かの世界この世界:170
飛ぶぞ!
その声は時美先輩だ。
声の背後に息をのむ気配、これは美空先輩だろう。
突然の決心に二人の先輩は短く声をあげることと息をのむことしかできなかったようだ。
仕方ない、ここからは自分でやるしか……これまでもそうだったけど、わたしの時空の飛び方に脈絡は無い。たとえ、犬のウンコを握りつぶしたことがきっかけであったとしても、自分の選択だ。
前を向いて行くしかないよ。
洗濯機の中を思わせる時空の渦の中をグルグル振り回されながら落ちていく……目が回るようなことはなかった。手にこびりついた犬のウンコが遠心力で飛び散ってきれいになっていく。
よかった、ババ掴みのままで異世界探訪なんてまっぴらだ。
しかし、飛び散っていくのはウンコだけではなかった。
身に着けた制服がビリビリと音を立てて裂けていく。
ちょ、なによ(;゚Д゚)!?
手で押さえたり、脚を絡めたりして制服の分解を防ごうとするのだけど、巨大な竜巻に取り込まれたように儚い抵抗でしかない。
ビリ ビビビ ビリビリビリ!
上着が スカートが ブラウスが その下にまとっているものも次々と千切れて引き剥がされ、鈍色の渦の彼方へ吹き飛ばされていく!
ムヘン以来身に降りかかったアレコレに慣れて、気を失ったりパニックになることは無かったけど、スッポンポンにされるのはかなわない!
プツ
儚い音を立てて最後の一枚が吹き飛ばされた(#*0*#)!
キャーーーーー!
誰が見ているというものでもないのだけど、両膝を抱えるようにして、露出する肌の面積を最小にしようと努力する。これって、羊水の中の赤ちゃんに似てるかも……。
異世界慣れした感覚が『目だけは開けておけ』と囁く。
とことんのところは自分の選択だ、巨大な渦に巻き込まれているとしても、自分の意識だけは覚醒しておかなければ、さっきみたく、犬のウンコを握るようなことになってはたまらない。
それでも、風圧のために日本史で習った土偶のような細目でしか見開けない。
あの土偶、なんて言ったっけ……ぼんやり思っていると、そのスリットのような視界の中に、何かが見えてきた。
人か……?
いや、人の輪郭はしているけど、帽子の下も袖の先も空虚だ……これって、コスのサンプル?
最初は尖がり帽子に黒を基調としたローブで、袖口の先にはロッドが揺れている。魔導士……黒魔導士。
次は草色の胴着にレイピア、剣士か。
枯れ葉色の胴着に短弓、アーチャーだ。
白のローブにお揃いの尖がり帽子、白魔導士。
冒険者のコスが、次々に現れて、目の前で数秒留まって流されていく。そして数十秒かかって元のコスが現れて……どうやら、わたしの周りをサンプルのコスが回っているのだ。
選べと言うことか?
そうか……以前は剣士をやっていたから、今度は白魔導士くらいがいいかなあ?
そう思っていると、聞き覚えのある声が風の中から聞こえてきた。
『ごめんなさい、テルは剣士だったわね!』
あ、荒地の万屋!?
ペギー!
そこまで思い出すと、ホワンと音を立ててコスたちは消えていき、体が引き締まったかと思うと、剣士の姿になった。
「ペギー、どこにいるの?」
『ここじゃ、店も姿も現せないのよ。始原のカオスだからね。もう、たいていのことには驚かないだろうから、幸運を祈ってるわよ』
「じゃ、コスの代金は?」
『お得意さんだから、次にあった時でいいわよ。それから、パートナーをひとり選べるから』
「え、そうなの?」
『ちょっと待って……あ、コンプリートしてないから、指定さ……れて……る……みた……い……』
そこまで言うと、かき消すようにペギーの気配が無くなってしまった。
あれ? サンプルの消し忘れ?
コスの一つがボンヤリと残っている……いや、そのコスには、ちゃんと首も手の先も残っている。
パートナー……?
それは、懐かしい仲間の姿を取り始めた。
☆ 主な登場人物
―― この世界 ――
- 寺井光子 二年生 この長い物語の主人公
- 二宮冴子 二年生 不幸な事故で光子に殺される 回避しようとすれば逆に光子の命が無い
- 中臣美空 三年生 セミロングで『かの世部』部長
- 志村時美 三年生 ポニテの『かの世部』副部長
―― かの世界 ――
- テル(寺井光子) 二年生 今度の世界では小早川照姫
- ケイト(小山内健人) 今度の世界の小早川照姫の幼なじみ 異世界のペギーにケイトに変えられる
- ブリュンヒルデ 無辺街道でいっしょになった主神オーディンの娘の姫騎士
- タングリス トール元帥の副官 タングニョーストと共にラーテの搭乗員 ブリの世話係
- タングニョースト トール元帥の副官 タングリスと共にラーテの搭乗員 ノルデン鉄橋で辺境警備隊に転属
- ロキ ヴァイゼンハオスの孤児
- ポチ ロキたちが飼っていたシリンダーの幼体 82回目に1/6サイズの人形に擬態
- ペギー 荒れ地の万屋