オオナムチと八十神の父親は共にアメノフユキヌですが、母親が違います。
オオナムチの母はサシクニワカヒメですが、八十神たちの母は、父のアメノフユキヌがあちこちの女神と交わって生まれた神々です。上代や古代においては母親が違えばほとんど他人と変わりません。異母兄妹なら、平気で結婚もできました。
兄の八十神たちはオオナムチの惨たらしい遺体をサシクニワカヒメに送りますが、そういう惨いことができたのも自分たちの母親ではなかったからでしょう。
八十神たちに、どこか遠慮の有ったサシクニワカヒメは、息子の遺骸に涙して、ただただ祈る事しかありませんでした。
どうか、どうか、息子の命を、オオナムチの命を戻してください、返してください……。
祈った神は、彼女の父のサシクニオオカミかオオナムチの七代前のスサノオか、あるいは大元のイザナギであったのか……。
やがて、その祈りの甲斐があって、キサガヒヒメ(赤貝の精)ウムギヒメ(蛤の精)がやってきてオオナムチの命を呼び戻してくれます。
おそらくは、死んで黄泉の国へ行ったんでしょうが、イザナミのように黄泉戸喫(ヨモツヘグイ)をしていなかったのでしょう。黄泉戸喫、憶えておられるでしょうか、イザナギが亡くなったイザナミを連れ戻しに行った時、黄泉戸喫してしまったイザナミは「自分の意思では戻れないので、黄泉の神々と相談するので、けっして覗いてはいけません」と言われ、待ちきれないイザナギは覗いてしまって、えらい目に遭いました。
オオナムチは、ご先祖のイザナミの失敗を知っていたのか、母親のサシクニワカヒメがなんとかしてくれると思っていたのか、とにかく蘇りました。
「おまえが生き返ったということは、すぐに八十神たちの知るところになるわ」
「どうしよう、せっかく生き返ったのに(;゚Д゚)」
「よく聞きなさい、木国(きのくに)のオホヤビコの神を頼っていきなさい、きっと助けてくれます!」
オオナムチは木国を目指します。
木国は、おそらく紀国のことでしょう、名前の通り日本有数の森林地帯で、江戸時代には幕府や紀州藩の御用林がありました。奈良と三重の間に和歌山県の飛び地がありますが、江戸時代の御用林の分布の名残だと言われています。
しかし、敵は八十神、名前の通りでも八十人、実際はもっと多かったかもしれません。やがて居場所が知られてしまいます。
「どうも、ここでは匿いきれない。根の国堅州国(ねのくにかたすくに)に行って、スサノオ命に頼りなさい」
なんとも運の無い男ですが、見ようによっては、どんな逆境に陥っても、必ず助けてくれる人が現れるという強運の持ち主であるとも言えます。
この歳になって人生を振り返ると、ああ、こういうことってあるよなあと思います。
まさに『捨てる神あれば拾う神あり』ですなあ……
高校を四年通うハメになったわたしは、不器用な生徒で、アルバイトもろくに見つけることができませんでした。
「こんなバイトがあるでえ」
友だちが落第した説教をする前にバイトを紹介してくれました。
大学も五年通うハメになったのですが、その五年間も、いろんな人がバイトや人の繋がりを仲介してくれました。
部活指導という名目でグズグズ母校の演劇部に顔を出していると、賃金職員や非常勤講師の口をかけていただきました。
三十路を目前にして校長からはやんわりと「学校から出ていけ」と言われましたが、ほかの先生たちは、こんな道あんな道を示して、力も貸して下さり、いつの間にか採用試験に通って本職になってしまいました。
あいつは、いつまで独り身でおるねん!?
周囲の人たちは、心配をして下さり、しばしばお見合いの機会を設けて下さり、四十路を前に、やっと所帯を持つことができました。
四十路の結婚と言うのは、初婚でもきまりの悪いもので、カミさんとも相談して結婚式などはあげませんでした。
それは、もったいない!
ということで、先輩の先生たちがおぜん立てをして下さり、出席者100人を超える結婚披露パーティーを開いてくださいました。
なんか、我田引水になってきましたが、こういう世話焼きが、日本の良き伝統であるような気がします。
若いころから、日本神話には親しんできましたが、オオナムチの下りで、そういうことに思い至ったのは、いい意味で歳なのかもしれません。