大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

らいと古典・わたしの徒然草71『名を聞くより』

2021-04-13 06:09:06 | 自己紹介

わたしの然草・71
『名を聞くより』   

 



徒然草 第七十一段

 名を聞くより、やがて、面影は推し測らるる心地するを、見る時は、また、かねて思ひつるままの顔したる人こそなけれ、昔物語を聞きても、この比の人の家のそこほどにてぞありけんと覚え、人も、今見る人の中に思ひよそへらるるは、誰もかく覚ゆるにや。
 また、如何なる折ぞ、ただ今、人の言ふ事も、目に見ゆる物も、我が心の中に、かかる事のいつぞやありしかと覚えて、いつとは思ひ出でねども、まさしくありし心地のするは、我ばかりかく思ふにや。


 この段は、思索的ですね。

 兼好は三つのことを言っています。

 第一は、名前を聞いただけで「ああ、こんな感じの人か」と思うけど、当たったためしがない。思い込みの不確かさを述べています。ごく当たり前なことなのですが、かみしめると味わいがあります。

「かおる」という名前がある。源氏物語にも出てくるユカシイ名前ですね。わたしの旧友に、咲〇かおるという宝塚の女優さんのような名前の女の子がいました。この人は会ってみると、めずらしく名前のとおりの可愛い女子高生でありました。しかし、長じて、わたしの劇団に入って分かりました。自他への規律心が強く、ラノベ風に言いますと明るい目の「委員長」タイプ。大分類すると元AKB48の高橋みなみに似ているかもしれません。
 しかし、一般に「かおる」というのは、名前だけでは男女の区別がむつかしいですね。
 ちょっと兼好の意図からは外れるかもしれませんが、名は体を表さないが、時代と、その空気を表すものがかなりある、という話をしたいと思います。

 子どもの頃の年寄りの名前は単純でした。女性に限って言っても、くめ・とら・よね・ちず・はな・とめ・よし・しま……など二音の名前が多かったように思います。人が呼ぶ場合、頭に「お」お尻に「ちゃん」が付く。例えば「よね」は「およねちゃん」で。安物の時代劇で、「名はなんと申す」と聞かれ「はい、およねでございます」ときたら、もう嘘です。自称では「よね」である。で、こういう命名は明治の中頃までであるように感じます。

 その後、女性の名前は「~子」が流行りになります。古来、女性の名前に「子」が付いたのはお公家さんちの娘だけであり、庶民が付けることはありませんでした。明治も中頃過ぎになると遠慮もなくなり、まずお金持ちの娘たちに付き始め、大正頃からは庶民も遠慮無く付け始め、長らく女性の名前の定番になりました。昭和三十三年・三十四年生まれの女性に「美智子」が多いのも時代的な背景がありますね。言うまでもなく、今の上皇后陛下のお名前にあやかったもので、「美智子」は、人柄はともかく時代はよく分かります。親日国で有名なトルコでも、この年代生まれの女性に「MICHIKO」多いそうです。
 昭和の終わり頃から、お人形さんや、タレントさん、アニメの主人公のような名前が流行りました。「真央」や「みなみ」「ゆうな」「りか」などが、その代表でしょうか。
 今の時代は、昭和二十年代生まれのわたしには、とっさに思いつかないキラキラ名前が主流でしょうか。

 キラキラネームでググると本気(マジ)とか姫星(キティ)なんてものがありました(^_^;)

 しかし、いずれにせよ、名は体を表さないのは、兼好の時代も、今も同じではあるのでしょう。

 第二、第三は、今昔の違いはありますが、見たり聞いたりしたことに思いをいたすということであります。

一昔前、落語ブームがありました。わたしもそのブームに乗った一人で、米朝さんの古典落語全集を持っている。

「天狗さばき」という古典があります。

 ある男が、おもしろい夢を見て目覚めます。よほどおもしろかったのでしょう。寝ながらケタケタと笑っていました。で、目覚めてカミサンに聞かれます「どんな夢みてたん?」 

 ところが男は、夢の中味は忘れてしまって説明ができない。「そんな、わてにも言えんような夢みてたんかいな!」と叱られます。同じ長屋の男が間に入り、「まあまあ……で、どんな夢みたんや?」 男は答えることができず、次々に大物が仲裁に入ってきます。大家が、町奉行の奉行が、そして最後に鞍馬の天狗まで出てきて、「で……どんな夢を見たんじゃ?」になり、答えられず天狗に懲らしめられているところで、カミサンに起こされ「えらいうなされて、あんた、どんな夢見たん?」と落ちになります。
 そして、この落語に接したものは、アハハと笑いながらも「そういうことってあるよな」と、自分に引き込んで感じてしまいます。
 今の芸人さんたちにも、わずかに、こういう人は存在するが、大半は相方や客をいじるか、極端にキャラを誇張して、笑いをとる。そこには場合によってはイジメのタネになりそうなスラプスティックなギャグも多く。昭和生まれのわたしは笑えないことが多くあります。
 昔、石原裕次郎や加山雄三の映画を観たアンチャンたちは、映画館を出てくる時には、なんだか、目の配り方や、姿勢までもが、石原裕次郎、加山雄三になって映画館から出てきました。
 今、映画館から出てくる人は、感動はしているが「カメラワークがどうたら……脇の弱さは制作費が……」などと評論しながら映画館から出てきます。

 第三は、今目にしたこと、聞いたことが「同じようなことがあったよなあ」というデジャブ=既視感(きしかん)であります。デジャブなのですが、これはまた章を改めて触れたいと思います。


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