わたしの徒然草・18
副題にするには長いので端折りましたが、きちんと書くと以下のようです。
名利に使はれて、閑かなる暇なく、一生を苦しむるこそ、愚かなれ。
名誉や利益(欲)に縛られて、忙しく過ごして一生苦しむのは愚かなことだぜ。
これは、ちょっと意訳がいりますね。単なる世捨て人の決まり文句ではないだろうと思います。
俗な世捨て人は、世俗を捨てることによって、なにか悟りを開けるようなことを言いますが、実は、単なる現実からの逃避であることが多い。それを言い当てたような格言があります。
「小人閑居して不善をなす」
つまり、つまらん世捨て人は、一人すまし顔で暮らしていても、ろくな事はしない。という意味であります。へんなブログや、ツィッターで、ろくでもないことを書いたり、呟いたり。したり顔して同窓会などで、晴耕雨読を気取ってみたりする。
石原莞爾(いしはらかんじ)という軍人が居ました。
世界最終戦争論を唱えて東条英機らと対立し、開戦と前後して予備役に編入されて、日米戦の段階に突入した大東亜戦争には無縁の将軍でした。
彼の来歴や活動を述べる力量はありませんので、彼の戦後について少し触れたいと思います。
搭乗ともかかわりの深かった石原は、他の将官たちと同様にGHQに度々呼び出され、時には東京裁判の法廷にも呼び出されました。
GHQは、証言を得るに当たって「いまは、どのように過ごしていますか?」と質問します。
これに対する将官たちの答えは「晴耕雨読」の四文字と決まっておりました。
晴れた日には畑を耕し、雨の日は家の中で本を読んでいるという、いわば慣用句ですね。
GHQは「では、手を見せてください」と将官たちの手を取ります。
たいていの将官たちの手は白く柔らかい手をしておりました。「なるほど……」と呟いて担当のGHQは『こいつは噓つきだ』という印象を持ったそうです。
ところが、石原の手は日焼けしてゴツゴツしていて鍬を握ったタコができていました。
石原は、庄内の西山農場でほんとうに百姓をやっていました。
亡くなった友人が石原寛治が好きで、様々に本を読んで、ぐうたらなわたしが行くと白洲次郎のことなどと合わせて話をしてくれたもので、よく本を貸してくれました。
三回は読まなければ理解できないと言われた本を一回読んだところで友人は逝ってしまいました。
今手に取ると、十ページいったところに栞が挟んであります。
実は、この友人について「名利に使われて」のことについて書こうと思ったのですが、取りあえず晴耕雨読は難しいという導入でありました。