大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

らいと古典・わたしの徒然草・70『菊亭大臣(きくていのおとど)』

2021-04-12 06:01:20 | 自己紹介

わたしの然草・70
『菊亭大臣(きくていのおとど)』    

 



徒然草 第七十段

 元応の清暑堂の御遊に、玄上は失せにし比、菊亭大臣、牧場を弾じ給ひけるに、座に著きて、先づ柱を探られたりければ、一つ落ちにけり。御懐にそくひを持ち給ひたるにて付けられにければ、神供の参る程によく干て、事故なかりけり。
 いかなる意趣かありけん。物見ける衣被の、寄りて、放ちて、もとのやうに置きたりけるとぞ。



 元応というのは1319年から、1320年までの元号で、後醍醐天皇の即位を祝ってつけられました。
 で、その後醍醐さんの即位を祝うパーティーで、菊亭大臣という琵琶の名人が玄上という国宝級の琵琶が無くなったので、代わりに牧場という琵琶の名器を演奏することになりました。
 菊亭大臣という人は、なかなかの人で、事前に、天下の名器と言われる牧場をチェック。すると柱というパーツが外れていることに気づき、持ち合わせていた補修道具の中から接着剤を出して、くっつけ、本番に支障が出ることはなかったという内容です。

 これには、二つの意味があります。

 一つは、天下の名器といえども、故障することがある。「いかなる意趣かありけん」とあるので、誰かが、悪意をもってやったことなのかもしれません。しかし、そういうことも含めて故障や事故の可能性はあるものであると述べています。
 もう一つは、天下の名人というのは、いかなる状況にも備えておくものである。という心構えの大切さであります。

 徳川家康という、いろんな意味で名人だった人は、戦に行くとき、薬と鎧(よろい)の補修道具を欠かさなかったと言われています。自分や供回りの者たちが体調を崩したり、戦の最中に鎧が壊れても(鎧というのは、頑丈そうで、案外壊れやすい。紐一本切れても、場所によっては一発で使い物にならなくなります)すぐに手当ができるようにしていた。
 わたしも、現役で芝居をやっていたころ、裁縫セットと、クレパスを必ずガチ袋(道具係の腰袋)に忍ばせておりました。裁縫セットは、衣装に故障が出た時や、道具の補修のため。
 クレパスは、道具を立て込んだ時に、傷や汚れが付いたとき。あるいはコントラストが弱く書き割りの絵に弱さを感じたときに、補正をしたり、立体感を強調したいときに使います。
 教師でいたときは、担任をしている生徒の記録のル-ズリーフを常に携帯していました。ルーズリーフは便利なもので、必要に応じてページが増やせます。連絡や、問題の多い生徒のページはすぐに増えます。このルーズリーフには、生徒の連絡先(家庭、保護者の職場など)から、毎日の出欠、考査・科目ごとの成績、本人や保護者と連絡をとったときの記録。立ち話程度の指導にいたるまで記録してあり。生徒や保護者、管理職を始めとした同僚と話をするとき、絶対に「ちょっと待ってください」と言わないためであります。
 放課後は、必要のある生徒の記録を更新します。

 ある年、担任をしていた生徒が「人身事故を起こした!」と、管理職から自宅に電話があり、帰宅して、そのことを家人に伝えられ、学校にとって返したことがあります。
 学校に戻ると、「死によった」と言われ、もう一方の管理職からは「バイクの安全指導はやってたんやろな!?」と糾弾するように聞かれました。死んだ生徒への想いはカケラもありません。しかし、担任であるわたしが来るまでに、府教委や、新聞社から、しつこく安全指導について聞かれていたのです。無理もないと言えるのですが、「これが、学校か……」とも思いました。そのとき、このルーズリーフが大いに役に立ちました。
 今は、個人情報の管理がうるさく、教師が個人的に、このような記録をとることは許されないかもしれません。

 国旗国歌に関わる法律ができたころのことです。

 府教委が、国旗の会場掲揚、国歌の斉唱を通達してきて。かなりの人数の教師が、これに抗議し、胸に青いリボンを付け、校門前で、国旗掲揚、国歌斉唱に反対するビラを配りました。
 開式の時間になっても半分以上の教職員が会場に居ませんでした。開式直前に、講堂の照明が一つも点いていないことに気がつきました。白地に赤の日の丸は見えますが、校旗は背景の幕に溶けて判然としません。壇上に校長が上がっても表情が見えません。大あわてで、舞台ソデの配電盤に行きましたが、体育の道具でいっぱい。式服のまま、かき分けるようにして配電盤に行き、館内と舞台の照明を点けました。
 別に、体育館や舞台が薄暗かろうが、府教委、学校としては構いません。
 日の丸が掲揚され、国歌が斉唱されればいいのです。
 わたしは、けして、何事につけても名人ではありません。けれど、卒業式が薄暗い中で行われて良いと思えるほど、無神経でもありません。

 卒業式ついでに。卒業式で「仰げば尊し」を唄う学校は、かなり少なく、公立の学校では、その年々に生徒にアンケートをとり、その時々に流行っている「卒業ソング」を唄うことがほとんどです。
「卒業ソング」には、桜・友だち・旅立ち・未来・果てしない道・思い出・かみしめて、などの単語は出てくるのですが、わたしが知っている限り「先生」「師」という単語は出てきません。
 日本人というのは、集団としても個としても、かなりの「名人」であると思うのですが、名人必携の何かが欠落しているように思えるのですが、考えすぎでしょうか。



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