第六十七段
上賀茂神社に在原行平、在原業平兄弟が祀られている。二人の事には踏み込みません。ただ平安初期の公家であり、弟の業平は六歌仙の一人であることを示しておきます。要は、四百年後の兼好の時代では、すでに神として祀られ、その社が上賀茂神社の中の岩本社と橋本社にあったということです。
問題は、ここからです。
兼好の時代には、すでに、どちらに行平、業平が祀られていたか、一般には分からなくなっていたことです。
ある日、兼好は上賀茂社に行き、年配の神主に聞いて、やっと分かった。
「さすが、専門の神主やなあ……!」
そう感動したことを書いたのが、この六十七段です。
業平などに特別の興味が無ければ、読み飛ばしてしまう段ですね。
しかし、この段には、日本人の宗教観、社会観が読み取れるのです。
―― 何事のおわしますかはしらねどもかたじけなさに涙こぼるる――
有名な西行法師が伊勢神宮をお参りしたときの、有名な歌です。
伊勢神宮は天照大神が祀られていて、日本の神社の総元締めのような存在で、西行ともあろう教養人が、それを知らないわけはありません。しかし、西行は「何事のおわしますかしらねども」とカマしたのです。
なぜか、西行は、日本人の宗教観、精神性を、この三十一文字に籠めたのです。
古来、日本の神道には教義がありません。世界に類を見ない大らかな宗教です。
古代人は、山や岩、滝、あるいはなんでもないところに神聖さを感じたら、もう、そこに神が在ました。しめ縄を張り、掃き清めれば、もうそこは神域になります。
わたしの家の近所に石切神社があります。その参道の土産物のオッサンが、隣の空き地に参詣者が立ち小便をするので困っていました。なんせ参詣者にはご老人が多く、無理のない話ではあるのですが、オッサンにとっては迷惑千万。そこで器用なオッサンは、小さな鳥居を作り、立ち小便される場所に立ててみました。すると効果覿面。立ち小便はピタリと止まった……のみならず、鳥居のところに、お賽銭を置いていく人が現れ、それがけっこうな金額になります。そこでオッサンは、さらに鳥居を立派にし、賽銭箱を置きました。そして賽銭は、店の売り上げに匹敵するようになりました。
数ヶ月すると、オッサンは店をたたみ、こざっぱりした社殿を建て、そこの神主に収まってしまいました。もう三十年も前の話ですが、実話です。
ちなみに、この石切神社がある生駒山系には六百あまりの宗教法人が存在する一大宗教山系であります。
日本人の神道信者と仏教徒を合わせると、日本の人口の倍になるらしい。
普通、新しい宗教が入ってくると国際的常識では、宗教戦争になり、新旧どちらかが駆逐されてしまいます。我が民族は、それを、ほとんど争いを起こすこともなく融合させてきました。
神仏習合ですね。
飛行機神社は飛行機の原理を発見した二宮忠八翁が御神体でありますが、たいていの航空関係者は二宮翁を知らず、「飛行機の神社」とあがめています。
芥川の短編に、タイトルは忘れましたが、道で出会ったキリストに、日本の神さまが「どうぞ、ご自由にやりまはれ」という場面があります。ちなみに、日本の全宗教信者に占めるクリスチャンの割合は百分の一あまりでしかありません。どんな宗教が入ってきても、この百分の一を超えることができないようです。
ちなみに、自分が神道の信者、仏教徒であると自覚している日本人も多くはありません。初詣に神社にいけば、もうそれで神道の信者です。お葬式を仏式でやれば仏教徒です。で、日本人にそう言うと「ああ、そうかな」と言います。しかし、結婚式をキリスト教式でやったり、クリスマスを祝って、「あなたは、クリスチャン?」と、聞くと「……それは、ちゃうなあ」ということになり、教会もそれでは信者としては認めてくれません。
なんだか、与太話のようですが、これが日本人の精神世界なのだと思います。そして、日本のthe national polityの根元が、ここにあります。
わたしは乃木さんという人が、その名前とともに好きです。乃木坂と聞くだけで、秋空の下に枯れた緩やかな坂道が思い浮かびます。その乃木さんの旧宅が乃木神社になり、その周辺を、なんとなく乃木坂というようになりました。わたしは、『まどか 乃木坂学院高校演劇部物語(旧題 なゆた 乃木坂……)』という小説を書いたことがあります。脱稿した、その日、乃木坂46の発足が発表されました。
これはパクリとかアヤカリとか言われるだろうなあと思いましたが、日本人の宗教観を言い訳に、そのままにしました(^_^;)。