クレルモンの風・5
アグネスの翻訳を聞きながら必死で「日本文学概論」の講義をノートしていた。
アグネスが大阪弁の日本語に訳し、それを標準語に変換してノートに写す。単語や短い文章はなるべくフランス語で書く。
「それ、なおす!」
「え……」
疑問に思いつつも、ノートを閉じて、机の下にしまった。
「なにしてんねんな!?」
「だって、なおせって……」
「アホかいな。スペル間違うてるさかいに、なおせ言うてんねん」
「あ、そういう意味!」
フランスの中南部クレルモンに来て、大阪弁の不思議に戸惑うとは思いもしなかった。
「アニエス。横のお嬢さんは、日本人かい?」
やぶ蛇だ(;'∀')。
日本語のやりとりを、先生のムッシュコクトーに聞きとがめられた。
で、今の会話の解説をさせられた。
先生は知っていたようで、「なおす」の意味が、日本の中西部では意味が違うことを、わたしの失敗を例に説明した。実演までさせられて教室は爆笑。もうクレルモンに来て何度目か忘れたぐらいの赤っ恥。
「じゃ、ユコ シュヌーシ。正確な発音はゆうこ・すのうち」
コクトー先生は、きれいな平仮名で黒板に書き、発音記号まで添えた。
「ここに来て、漢字で書いてくれるかい?」
慇懃に教壇に招かれ、ピンクのチョークを渡された。須之内優子と縦書きにした。あちこちで「かっこいい」という意味のフランス語がささやかれた。
「これが、カッコイイのは、縦書きだからだよ、ヨーコ。じゃ横書きにして」
で、今度は横書きにした。
「ぼくが書くと、こうなる……」
子優内之須と先生が書いた。軽いどよめきが起こった。
「昔は、こう書いたんだ。なぜ逆になったか、ユウコ説明できるかい?」
「あ……戦後、こうなったんだと思います」
「ぼくは、なぜって聞いたんだ。時期を聞いたんじゃない」
「あ……分かりません」
「じゃ、次の時間までに調べておくこと。ユウコ以外の人でもいいよ」
一人の濃い顔つきのニイチャンが立って言った。
『アラブ語と関係あるんじゃないかな。アラブ文字も横書きで、右から書くし。それにアラブの精神と日本の武士道は似ているような気がします』
『フセイン、じゃ、次回それを説明してもらおう』
『はい先生』
「ヨウコ、挽回の機会を与えよう。5分で、日本文化について語ってくれるかい。ぼくが翻訳する」
ええ……!? だった。頭をフル回転させた。
で、黒板に「倭」と書いた。
「これは『WA』と発音します。大昔の日本のことです。ただし、日本人が名乗ったのではありません。当時の中国が付けて、定着したものです。直接の意味は『チビ』です」
笑いと、それを非難する声が同時に起こった。
「まあ、わたしも倭人の特徴そのものですが」
笑いと「カワイイ」という日本語が飛んできた。
「中国というのは、中華思想というのがあって、他の民族を低く見る風潮があって、国や民族に好ましくない字をあてていました。例えばヨーロッパ人は、中国の南部の人間と一括りに『南蛮』と書かれました。『蛮』の下は虫って意味です。その中で『倭』の左側は人偏と言って人間を現します。まあ、かろうじて人間扱いはされたようです。で『倭』には、もう一つ意味があります。『従順』という意味です。これは中国に従順という意味ではありません。自分たちのリーダーに従順で、よく指示に従い、秩序を重んじるという意味があります」
ほー、っという感じが教室を包んだ。
「皇室の歴史は、今年で2680年ぐらいになりますが、少しハッタリが入っていて、まあ1800年、ザックリ2000年かな……その中で、日本は概ね権威と権力は別れていました。天皇は権力を持たず、ひたすら国民と国家の平和を祈る存在……えと……権威で有り続けました。だから日本には、過去に分裂の危機が全くと言っていいほどありませんでした。多分、これからも」
喋り終えると、拍手が来た。後ろの席でアグネスが目を丸くしていた……。
「ハハ、受け売りでも、あそこまで言えたら、大したもんや」
アグネスがペダルを漕ぎながら言った。あたしのスピーチは好評だったけど、実のところ関西ローカルの『たかじんの そこまで言って委員会』の受け売り。あたしは、どうも自分の力を超えて前に出てしまう傾向がある。一言で言えばオッチョコチョイである。
で、ヒートダウンとクレルモンの案内を兼ねて、クレルモンの北西にある早稲田の森じゃないけど、小高い丘の緑のモンジュゼ公園に案内してもらった……。