徒然草 第七十二段
賤しげなる物、居たるあたりに調度の多き。硯に筆の多き。持仏堂に仏の多き。前栽に石・草木の多き。家の内に子孫の多き。人にあひて詞の多き。願文に作善多く書き載せたる。
多くて見苦しからぬは、文車の文。塵塚の塵。
徒然草は、清少納言の枕草子を意識していると時に言われますが、この七十二段などは枕草子のスタイルそのものですね。清少納言も四百年の後のオッサンのエッセーのモチーフになるとは思わなかったでしょう。しかし鴨長明と並んで日本三大随筆になるんだから、やはり兼好というおっさんは偉いのでしょう。
わたしも時々AKB48のタイトルや、歌詞をモチーフに小話を書きますが、やっぱグレードがちがいます(^_^;)。
この『わたしの徒然草』は兼好が十四世紀にものしたもののモジリであります。
ちなみに「わたしの徒然草」で検索すると二百六十万件も出てきます。兼好のおっさんにあやかっている人はかなりおられるようである。ちなみに、わたしの『わたしの徒然草』は第九位……いささか前フリが長いです(;^_^A。
正直、この段を読むと、わたし自身のことを「賤しげなる者」と非難されているような気がします。原文は「賤しげなる物」で「者」ではなく「物」であり、状態を賤しげであると言っているに過ぎず、人格である「者」を否定しているわけではないようです。
ガラクタが多いのはいかんと兼好は言い切ります。同じことをカミサンも言います。
カミサンは物離れのいいたちで、暇さえあれば家の中を片づけ、捨てています。テレビが地デジになったとき、カミサンは家中のアナログテレビを「捨てる!」と宣言しました。わたしは「もったいない、モニターとしては、まだ使える」と主張しました。で、その場は収まりましたが、折に触れて「捨てろ!」と言われ続けています。あるとき「なに言うてんねん、これなんかテレビデオやねんぞ。これ捨てたらビデオが観られんようになる」と抗弁。
「ほんなら、溜まったビデオごと捨ててしまい!」
やぶ蛇でありました。カミサンはとうに数百本のビデオを惜しげもなく捨てておりました。テレビデオごときものを捨てるのになんの躊躇もありません。
で、わたしは、この埃の被ったビデオを鑑賞しているのかと言えば、もう二十年以上観ていないものばかりであります。
「三年間、一度も使わなければ、それは不要品である」
という理屈があるらしい。このデンでいくと、わたしの持ち物の九十パーセントは不要品であります。十二台もあるゲーム機、と、それに見合ったゲームソフトやゲーム関連の小物、十一領のヨロイ、二百あまりのプラモデル、劇団をやっていた頃の衣装、小道具、数千冊の本……書き出してみると、カミサンの小言もむべなるかなではあります。
解せないのは子孫(こまご)の多さであります。
兼好の時代は子孫が多くて当たり前の時代です。あらゆることに平衡感覚に秀でた人ではありますが、この段のこの部分は、やや異様。ひょっとしたら、兼好自身が生涯独身であったことと関係しているのかもしれませんね。
人にあひて詞の多き……巧言令色少なし仁である。
これは、少し耳が痛い。現職中は「男のオバサン」と言われるぐらい喋るオッサンでありました。
人を相手にする仕事をしていたので、相手が単数であれ複数であれ、その場の空気を読んで、会話に間が開かないように気をつかい、時に「気をつかうレベルを超えて」喋っておりました。
ただ、これだけは言えます。場の空気や人の気持ちに心を配り話ができる人は極めて少ない。わたしの浅い経験則ですが、職場での地位の高い人間ほど、その傾向が強い。そういう地位の人は、もともとそうであったのか、地位がそうさせてしまったのか見極めがつきません。おそらくは複合的な問題ではあるのだろうけど、幾人かの首長さんや首相経験者に顕著に「人にあひて詞の多き」人がいます。地位が高いぶん、社会的な影響力、もっと直裁に言えば害毒のある人々で、歴史用語ではデマゴーグといいます。
逆に、話の名手がいます。むろん面識はありませんが、いずれも故人の司馬遼太郎・小松左京・桂米朝のお三方で、企んだわけではありませんが、お三方とも大阪の人間であります。歴史的には吉田松陰・羽柴と名乗っていたころまでの秀吉などがこれにあたるでしょう。
わたしの少し上の全共闘世代もよく喋った人々でありましたが、戦時中の軍人のよう雄弁で、エキセントリックでした。酒性度や揮発性の高い言葉を使い、よく自分自身の言葉に酩酊しておられました。
今でも、こと言葉や会話について、自分は発展途上人であると思っていますが深入りはしません。
多くて見苦しからぬは、文車の文。塵塚の塵。
前半は、よく分かります。わたしなどは、図書館や書店に並んでいる本を見ているだけで心が豊かになっていくような気がします。気がするだけであって、大方は錯覚なのですが(^_^;)。その錯覚が、わたしの本棚の大半を占めていて、最近、自分の本棚に限っては自己嫌悪の対象になり果てております。
後半の塵塚の塵は分かりにくいかもしれません。
日本は、前世紀までは、あちこちにゴミの不法投棄がありました。子どもの頃は、不法投棄されたゴミは宝の山で、怪しげなものを拾ってきては親に叱られたものです。ある時などは不法投棄されたバッテリーを分解して、中の硫酸でやけどをしたこともありました。
この項、書き出したらきりがありませんので、いずれ改めて続きを書きたいと思います。