クレルモンの風・12
それでもハッサンは、礼儀正しくリムジンで寮まで送ってくれた。
逆説の接続詞「それでも」で分かるとおり、あたしはハッサンの申し出を断った。
申し出って……あれよ、お嫁さんになってくれって、突然の告白。
あたしは、ハッサンは嫌いじゃない。ノリの良すぎるアルベルトやエロイなんかよりは、側にいて疲れない。最初想像していたより、すごく相手の気持ちを大事にする人だ。
でも、それは、ハッサンが同じ寮生だからだ。寮生として気の置けない友だち。それ以下でも、以上でもない。
『人間はやって失敗する後悔よりも、やらないで、諦める後悔の方が大きい。だからダメモトでも当たってみようって、それだけだから、気にしないでユウコ』
ハッサンは、これを正確な日本語にしてあたしに伝えるようにアグネスに言った。
「ユウコがクレルモンに来て、フランス語が出来ないなら入学でけへん言われて、粘り倒して入学したときと同じ気持ちや。ユウコ、あのまんま日本に帰ったらムチャクチャ後悔したやろ。ハッサンは、あの時のユウコと同じ気持ちや」
めちゃくちゃ意訳だったけども、気持ちは120%伝わった。
理由を口にすれば、いくらでも出てくる。
第一に、あたしが『ウイ』と答えても、あたしは第二夫人だ。
ハッサンは、まだ未婚だけども、第一夫人になる許嫁がいる。親が決めたモノなので、変更はできない。ハッサンは、普段は地味にしているけども王族の一人である。この許嫁は国王も了解しているので、もう、これは絶対。
こうも言った。ボクは分け隔て無く二人を愛する。平等に妻達を愛し、面倒を見る。イスラムの男に科せられた義務だし、それを履行する自信がある。
日本にも、むかし側室制度があったことや、今でも二号さんいることを彼は知っていた。そして、イスラムの一夫多妻は違うことを力説した。
結婚しても日本に住んでいてもいいとまで言った。年に二三度国に来てくれればいいからとも……どこまでも強引だけど、根っこのところで優しい。
一番の問題は、あたしに、その気が無いこと。
お父さんのオハコの『神田川』の歌詞の意味がリアルに分かった。
―― ただ あなたの優しさが 怖かった ――
「ユウコ、気にせんとき。あれがアラブやねん。アラブのやり方やねん。持ち上げて、すかして、押したり引いたりしながら、要求を通してきよんねん!」
あたしは、アグネスが、初めてアメリカ人に見えた。
「ハッサンは、そんなんじゃないわよ!」
「もう、あんたの気持ちをシャッキリさせよ思て言うてんのに!」
「……ありがとう、アグネス」
そうなんだ、アグネスは、あたしにディベートを仕掛けてるんだ。あたしのグジグジをシャキッとさせるために。あたしが、この大学に入るときも、これでがんばってくれたんだ……。
ハッサンの申し出を受けるわけにはいかなかったけど、なにかしないではいられなかった。
そこで思いついた。アラブ人のわりにシャイなハッサンに賑々しい送別会は迷惑だ。その代わり、彼が熱中できて、みんなも参加出来ることを考えた。
『人間オセロ』をやろう!
学長の許可を得て、大学の玄関を使う。白黒のチェックで、チェスにうってつけだけどオセロもできる。
ハッサンに分からないように、64枚の駒になってくれる学生を集めた。アグネスやキャサリンが面白がって、二日で集めてくれた。カミーユ副学長先生が、ミシュランがイベントで白黒の大きな帽子をコンパニオンに被らせていたことを思い出し、ミシュランに掛け合って借りてきてくださった。
『ハッサン歓送、人間オセロ!』のポスターを、あちこちに貼りだした。
むろん対決は、あたしとハッサン。あたしはハッサンを送り出すのに一番ふさわしいイベントだと思った。
ポスターを見たハッサンが、ガチ真面目な顔で、あたしに言った。
『あれじゃ、決闘と同じだ。決闘には掛け物がいる……』
『か、掛け物?』
『昔のアラブなら、互いの命だった。そこまでは言わないが、互いに大事なものを掛けなきゃならない。それが、ぼくの国の習慣……オキテだ』
『そ、そんな……』
『ぼくが負けたら、ぼくの第一別荘をユウコにあげよう……』
『あたしが負けたら……』
『……ぼくの第二夫人になれ!』
それだけ言うと、ハッサンは早足で行ってしまった……。
ああ、藪蛇だあ(;゚Д゚)!