秘録エロイムエッサイム・21
(中国妖怪猛女 孫悟嬢の安心)
「日本の唱歌が、こんなに素敵だとは思わなかった!」
東京郊外のスタバ、少し訛のある日本語で、こんな感嘆な言葉が上がった。
T市の市民会館が空いていたので、大江戸テレビが急きょ抑えて真由のライブを、朝から入れ替えで行っていた。
東京には、芸能関係のプロダクションが日本中の半分が集まっており、ぜいたくを言わなければ、ライブのスタッフなどは簡単に集まる。
大江戸テレビは、名前こそ大きいが、その所帯はパートやバイトを含めても100人ほどで、とても真由のライブに人が割けないし、たとえ全社員が出ても、仕切れないほど、真由の人気と観客動員能力は高くなってしまった。
担当の山田和子プロディユーサーは嬉しい悲鳴。零細地方局の身軽さで、開場のスタッフの80%を外注にした。
外注のスタッフたちも、寄り合い所帯の仕事には慣れていたので、滞りなく、3回6000人のライブを成功させた。むろん、それでは収まらないほどの観客が集まったが、NHKから借りた大型プロジェクターを会場の前に据え付け、1万人に近い人たちが、それを観た。
「『仰げば尊し』がよかったよね」 「うん、真由が途中で紹介したじゃない、『ビルマの竪琴』で水島上等兵がビルマのお坊さんになって、仲間のいる収容所に現れて、外から竪琴で、この曲を奏でると、それだけでお別れの気持ちが分かるんだよね」 「お別れだけじゃなくて、日本人であることを卒業するのよ。それで贖罪と鎮魂のために、一生をビルマで生きていく決意が静かに伝わってくる。とてもいい」 「原曲がアメリカなのもいいよね。なんでも外国のいいところを取り入れて自分たちのものにする。とても良い姿勢」
中国人留学生たちは、仲間内でも、なるべく日本語を使うようにしていた。限られた留学期間で、貪欲に日本を吸収するためだ。
若い女に化けていた孫悟嬢は、ほくそ笑んだ。沖縄の国際通りの戦いではやられっぱなしで、少し脅威に感じていた真由だけど、真由の方向は、なんと文部省唱歌を中心とした歌手である。さっき留学生が言っていたように、古い唱歌の多くが原曲が外国だ。モノマネ日本と、その唱歌。これなら自分たち中国妖怪たちの脅威にはならないと見定めた。
ペーパナプキンに化けていた式神は、クシャクシャにされ口を拭かれながらも、情報を清明とウズメに送ってきた。
「なんとか一息だな。これでいい」
清明は、番茶をすすりながら呟いた。当代の清明はご先祖の清明と違って下戸である。
「清明さんの深慮遠謀なんだろうけど、そんなことはどうでもいいわ。真由が日本らしいアーティストになってくれれば、あたしは満足」
ウズメは茶碗酒をあおり、ニコニコ顔で言う。言いながらウズメは清明の意図をちゃんと理解している。ともに食えない日本の陰陽師と神さまである。
そこにくたびれた顔で、真由が楽屋に戻って来た。
「ああ……お客さんが喜んでくれるのは嬉しいんだけど、あたし、これじゃもたないわ。もうすぐ新学期だし、どうしたらいいのかしらね……」
「大丈夫、考えてあるよ」
スタイリストの姿に戻って、清明が言う。
「あの、冬休みの宿題だって手つかずなんだけど」
「今夜、家に帰ったら菅原道真さんが来てるから……知ってるわよね、日本一の学問の神さま?」
「え、天神さまの?」
「そう、日本中の神さまやら、その眷族が味方だから、真由は気持ちだけしっかり持って」
「あの、どうして、ヨーロッパのエロイムエッサイムに、ここまで肩入れしてくれるんですか?」
ドサッと衣装を脱ぎながら真由は訊ねた。
「ヨーロッパで途絶えようとしていた魔法が日本で蘇ったのよ。ちゃんと守らなきゃ、日本の恥だわ」
「そう、真由の血は1/8……つまり、ひい祖母ちゃんがユーゴスラビア人だった。その薄い縁で日本に頼ってきたんだ。鏡を見てごらん。体中にエロイムエッサイムが満ちているから」
真由は衣装を脱いだ姿で、鏡に全身を写してみた。お札の透かしのようにEloim, Essaimの文字で埋まっていた。
「うそ、こないだはオデコだけだったのに!」
真由は、残りの衣類も脱いだりめくったりして確認した。
「真由、お尻のまで確認しなくてもいいと思うよ」
清明が視線も避けずに冷静に言った。