大橋むつおのブログ

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らいと古典・13『第三十三段 今の内裏作り出されて……』

2021-02-23 06:30:36 | 自己紹介

わたしの徒然草・13

『第三十三段 今の内裏作り出されて……』 

 


 この段は、二条富小路の内裏が再建されたときのことであります。

 花園天皇が内裏のお入りになる前に、祖母の玄輝門院が下見をされて「あ、閑院殿ののぞき窓のカタチがちゃいますよ」と指摘された。
 それを兼好のオッサンは「いみじきこと」と、喜んでいる。

「いみじ」とは、程度が甚だしい事に使う形容詞で、平安時代この方、よく使われる。
 兼好のオッサンには、申し訳ないのですが、女子高生の「かわいい」と大差ない頻度(品度にかけたシャレですが(^_^;))でつかわれています。

 今回は、兼好のオッチャンの「いみじ」にこだわってみます。

 この閑院殿の窓とは、やんごとなき皇族の方々が、役人たちの仕事ぶりなどを「のぞき見」するための小窓のことであります。この内裏が再建されたのは、じつに五十八年ぶりのことで、「カタチちゃやいますよ」と指摘した玄輝門院は、そのとき七十二歳。焼亡前の内裏のころは十四歳の少女でありました。
 つまり、玄輝門院は、オチャメな少女で、この閑院殿の窓から、のぞき見をしていたのであります。その少女の「オチャメな少女時代」を、無意識に「その窓ちゃいますよ」で、出してしまったことを、兼好のオッサンは「いみじ」と感じたのです。
 その少女時代のみずみずしいオチャメを「いみじ」と感じられ程の歳に、兼好自身が感じたのであれば、彼自身かなりの歳になっているだろうと思って調べたら、この三十三段以後を四十代の作とする先生達が大半であります。

 現職であったころ、昼休みに教室を覗いてみると、前日に同じ短大を受験した二人の女生徒が言い争っていました。
「準備万端」と黒板に書かれており、「これに読み仮名をつけなさい」という問題であったらしい。真面目そうなセミロングが気弱にこう言った。
「『じゅんびばんたん』やと思うけど……」
 元気印のショ-トカットは自信たっぷりに、こう言った。
「『じゅんびマンタン』やなあ、先生!?」自信マンタンに鼻を膨らませた。
「『じゅんびばんたん』やでえ」と、答えてやった。
「え、うそ……」鼻を膨らませたまま、ショ-トカットはフリ-ズした。
 これに似た感性を七十二歳の玄輝門院が、不覚にも見せてしまったことを兼好は感じたのでしょう。兼好自身いい感性をしていると思います。

 ここからは、わたしの感性であります。

 兼好というひとは、よく「無常観の人である」と言われますが、この無常観は、変わらぬものへの信頼があっての上であろうと思うのです。
 兼好は有職故実に詳しい。
 有職故実とは、ブッチャケて言えば形のことであります。挨拶のしかたに始まる礼儀作法や、衣装、儀式のありようなのです。
 象徴的なことだけ書きます(言い出せばきりがないので)と、看護婦さんという言い方が公には消えました。今は看護師と書きます。
 保母さんという言い方が公には消えて保育士と書きます。「婦」という字には「帚」という字が入っていて、差別的なのだと聞いています。でも、現場の病院や保育所にいくと「看護婦さん」「保母さん」が、まだ現役の言葉として残っているのではないでしょうか。
 ある社会的な考え方に右へならえで、前世紀の終わり頃に変わったと思うのですが、現役の言葉として生きているということは、やはり新しい言葉には無理があるのではと思うのですが、いかがでしょう。

 平塚雷鳥や、市川房枝が戦ってきたのは「婦人解放運動」であります。「女性解放運動」と言わなければならないのでしょうか。また「主婦」という言葉は置き去りにされていると思うのですが、どうなんでしょう?
 また、「看護師」「保育士」では「し」の字が違います。浅学のわたしには分かりません。ご教示いただければ幸いです。
 わたし一人の感覚かもしれませんが「婦人」という言葉には、独立したイッパシの女性の姿と尊厳が感じられるのですが、間違っているのなら教えてください。

 話は飛びますが、おおかたの学校から「仰げば尊し」「蛍の光」が消えました。
 教師は聖職ではなく労働者だと、現職のころよくいわれました。
 ブッチャケ、わたしはどちらとも言い切れません。ただ人の人生に大きな影響を与える責任の大きな仕事であるとおもいます。むりやり言えと言われれば「教育職の公務員」でしょうか。

 詩的な言葉でいえば「先生」ですね。この言葉だけは幕末から変わっていないように思います。
 詩的ではありますが、この「先生」という言葉は垢にまみれ、傷だらけでもありますが、学校を学校たらしめる最後の砦のような言葉だと思います。
 東京では「机間巡視」のことを「机間支援」というと聞きましたが本当でしょうか?

 言葉には、言霊が宿っています。

「仰げば尊し」「蛍の光」は、戦時中に作られた軍歌ではありません。日本が、明治に国民国家として自立していく中で作られた、言霊を宿した歌であります。
「ビルマの竪琴」という映画で、僧侶になった水島上等兵が、最後無言で竪琴で弾いた曲が「仰げば尊し」でした。この曲で、仲間達の兵隊、観客は自分の惜別の感情と共に水島の決意を感じるのです。これが今どきの年ごとにコロコロ変わる卒業ソングでは生きてきません。

「軍艦マーチ」が、海上自衛隊の儀仗曲であることはわりに知られています。
「抜刀隊」が陸上自衛隊の儀仗曲であることはご存じでしょうか。

 この曲は、昭和十八年、明治神宮外苑での雨の学徒出陣壮行会で流された曲で、かなりのご年配の方でも良い印象をお持ちではないと思います。歌詞の冒頭はこうです。
「我は官軍。我が的は、天地入れざる朝敵ぞ……」こう書いただけで拒絶反応でしょう。
 この曲は、西南戦争のおり、あまりに強い西郷軍に悩まされた政府が、士族が多い警視庁の巡査で部隊を編成したときの曲で、今の警察の公式儀仗曲でもあります。

 兼好が思ったように、世の中は無常なものであります。しかし、その中にけして無常ではないもの、無常にしてはいけないものがあるのではないでしょうか。兼好の心の底にはそれがあったと思います。
 我々も、へたな言葉いじりばかりしていないで、たまには無常ではないものに心を寄せてみてはどうでしょうか。

 一つ思い出しました。国鉄がJRになったとき、国電をE電と言うことにしました。令和の、この時代E電などと言う人はいないと思うのですが……

 もう一つ思い出しました。
「お父さん、お母さん」という言葉を我々は平気で使う。これは思想信条には関わりなく、この両親への呼称に異を唱える人はまずいないでしょう。
 しかしこの「お父さん、お母さん」は明治になって、文部省が作った言葉なのであります。語源は定かではありませんが、江戸の下町言葉である「おっかさん、おとっつあん」という説があります、明治の初年「そんな下卑た言葉を学校で教えるとは何事か!」と、怒鳴り込んだ人がいたらしいです。この人たちは「父上、母上」「おたあさま、おもうさま」と呼んでいた人たちでした。

 また、近頃では「お母さん・お父さん」という性差を感じさせる呼び方はいけないので「親一号」「親二号」と呼ぶべしという人もいるとか。

 先日、アメリカの議会で就任宣誓した議員は、「アーメン」ではなく「アウーメン」としめくくりました。連邦議会では性差を感じさせる言葉を使ったら罰金なのだそうです。

 



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