わたしの徒然草・17
朝夕、隔てなく馴れたる人の、ともある時、我に心おき、ひきつくろへるさまに見ゆるこそ、「今更、かくやは」など言ふ人もありぬべけれど、なほ、げにげにしく、よき人かなと覚ゆる。疎き人の、うちとけたる事など言ひたる、また、よしと思ひつきぬべし。
普段慣れ親しんだ人が、急に気遣いして、よそ行きの言葉や態度で接してくることに、こう言う人がいる。
「いまさら、どうしたんだよ。なんか居心地が悪いよ」
しかし、オレは思うんだよなあ。そういう時って、つくづく、その人がユカシイってのか、いい人に思えちゃう。
で、もって、普段よそよしくしてる人が、急にうち解けたってか、馴れ馴れしくしてくるのもいいもんだよなあ(^o^) 一見、兼好のオッチャンの対人感覚が分からなくなる段であります。
親しいというか、オトモダチと思っていた人間が急に改まったりすると、普通はこう思いますよね。
「こいつ、なにか後ろめたいことでもやりやがった……?」
あまり親しくないやつが、急に馴れ馴れしくしてくると、こう思います。
「なんだよ、適当に話し合わせてただけなのに、なんかオトモダチだって誤解するようなこと言っちゃったっけ……?」
これを「いいもんだよなあ(^o^)」と、思うわけですから、分からなくなります。
実は、これは若い女の子への、感想だというのが真相らしいのです。
生涯シングルでしたので、兼好という人は、達観した世捨て人のように思っている人が多いように感じます。
しかし、現実の兼好は、女の子とも適当によろしくやっていたようです。
前段や、その前を読んでいると、さも人ごとのように書きながら、女の子にメロメロになって、夜中に、その子の家の周りをうろついたり、しばらくご無沙汰の彼女が「お見限りじゃないのよさ」と、露骨に言ってくるんじゃなくて「アシスタントでいい子いないかしら」と、間接的に水を向けてくれる女の子っていいよなあ。などと軽いところもあります。
女の子、多分その道のプロ。今風に言えば、東京じゃ銀座のオネエサン。大阪で言えばミナミや、北新地のその道のプロ。そのプロの男心のつかまえ方の上手さについて書いているような様子です。
「ケーさん、いえ先生。今日は、ゆっくりしていってくださいな。なんだか、わたし先生と、ゆっくり話したい心境なんです……ご迷惑じゃなかったら……」
「先生……兼チャンでいいよね。なんか兼ちゃんテキトーにしか話してくんなかったから、あたしもね、そんな風じゃったじゃん。今夜はアプローチしていいかなあ。ケンちゃんの目も、なんだか、そんな感じだしい」
てな駆け引きを喜んでいるような中年のオッサンであります。
わたしにも、女性から急に態度や物言いをガラッと変えられたことがありました。
三十年ほど前、組合が二つに割れたことがありました。分会でわたしは、こう主張しました。
「あくまでもN教組に残るべきやと思います。もしZ教に加盟するなら組合の規定に従って、組合員全員による投票が必要なんとちゃいますやろか」
これに対して、女性組合員のオバサンにこうやられました。
「我々は、上部組合組織に加盟するんじゃないんですよ。自分たちで新しい組合を創るんです。だから、再加盟に関わる全員投票には馴染みまセン!」
「そやかて、昨日までは全員投票必要や、言うてはったやないですか!」
「わたし達は学習したんです。その結果、こういう結論に達したんでス!」
「こ、これがM集中制いうやつでっか!?」
「違います。あくまでも、我々の自主的判断デス!」
日の丸、君が代でもめたときもこうです。
「日の丸も君が代も、軍国主義の産物とちゃいまんねんで。そのずっと前、明治のころにできたもんで、わたしらは終戦で、やっとそれを取り戻したんやないですか。思い出してください。子どもの頃、正月になったらみんな日の丸揚げてたやないですか」
「そのころは、まだ私たち日本人は気づいていなかったんです。あの旗には、どれだけ血塗られた歴史がこめられているか! どれほどアジアの国々にご迷惑と恐怖を与えたかを」
「アジア、アジアて言わはりますけど、どこのアジアでっか。知ってはりますか。パラオとかバングラディシュの国旗は日の丸がモデルになってまんねんで」
で、これに対し綺麗な標準語で、こう返ってきました。
「帝国主義者!」
「反動分子!」
「裏切り者!」
東京の人には分かりにくいでしょうが、大阪の人間、それも五十代以上の人が、「今更、かくやは」と、標準語を使うときは、往々にして「自分」がありません。若い人が使うときは、改まってキチンと話さなければならない面接の場合だったり、ちょっと気取ってみたいときなどで、カワユゲがあり、「よき人かな」と感じます。
逆に、普段は丁寧語で喋っている子が、急にくだけた言葉になることもあります。
学校で、十万円盗られた女の子がいました。
なぜ、そんな大金を持ってきていたかというと、その子は父子家庭の長女で、家事一般その子が仕切っていました。
その日は、家賃や公共料金の払い込みがあり、その子は放課後振り込もうと思って持ってきたのです。
学校は警察ではありませんので、取り調べにも限界がありました。体育の時間に起こったことなので、判明した直後に全員を会議室に集め、事情を説明したあと、無記名で各自に知っている限りのことを書かせ、五人の教師でそれを読みました。その間、生徒達の様子も観察しましたが、何も手がかりは出てきませんでした。
「ごめん、やれるだけのことはやったんやけど……分かれへん」
そう伝えると、その子は涙を浮かべ、こう吐き出しました。
「センセ……うち、悔しい! 悲しい!」
疎き人が、うち解けた瞬間でした。でも、とても悲しい、残念なシュチュエーションでの「うち解け」でありました。
その子は、悔しさ、悲しさの持って行き場がありませんでした。
思わず、わたしに抱きつこうとしました。まさに「うち解け」た刹那でありました。そのままハグしてやればよかったのですが、その前の月、体育の先生が、ささいな事でセクハラを取られたことが頭をよぎり。一瞬の逡巡(ためらい)が出てしまいました。
その子は、わたしのためらいを感じて自制しました。ほんの刹那のやりとりでした。ほんの0・二秒ぐらいの時間でした。
わたしは、教師という立場の怯えがありました。それが逡巡になってしまいました。
その子は、そういうわたしの立場としての怯えも瞬時に理解し、一人で耐えていました。
その子は、限りなくうち解け、よき人でありました。
よき人になり損ねた、なんとも身の置き所のない思い出でありました。