クレルモンの風・9
『Für nächstes mal ohne Italien』
サロンでくつろいでいたら、シュルツが、こんな一言を残して自分の部屋に行った。
「え………?」
あっけにとられてポカンとしていると、キャサリンが笑いながら言ってくれた。
『今度は、イタリア抜きでやろうぜって、ジョーク』
やっと意味が分かった。イタリア人のアルベルトは、さっきからちょっと調子の外れた自作の歌を、ギター弾きながら歌っている。
あたしは、最近やっと幼稚園程度の日常会話がフランス語で。英会話は小学生程度にできるようになり、英語とフランス語、それぞれの言葉が美しいと思えるようになってきた。
なんちゅうか、小さな子どもが、ようやく喋れるようになって嬉しくて仕方がない……に似ている。
そこに今日、アルベルトがギターを持ってきて、映画のワンシーンのように叫んだ。
『オレ、イタリア語で恋の歌を作ったんだ、ちょっと聞いてくれよ!』
で、みんなが囃し立てた。
で、まさか五曲もあるとは思わなかった!
三曲目でアグネスが消えて、四曲目でハッサンが消え、全曲終わった段階でシュルツが、さっきの言葉を残して消えた。
それぞれ理由はある。家族とパソコンで話す時間。お祈りの時間。レポートの準備。
あたしは、普段から巻き舌早口フランス語のアルベルトは苦手だったけど、さすが母国語で歌う彼の声も言葉も好きになった。なにより、フランス語や英語の時には使わない顔の筋肉を使っていて、ちょっといけてるようにも思えたし、イタリア人は歌うのに日本人の三倍ぐらいカロリーを消費していると思った。それがかわいいってか、同じ人類かと思うほど衝撃だった。
よく考えると、彼の苗字はモンタギュー。そう、あのロミオと同じ苗字なのだ!
メイリンは、一見無表情だけど、熱心に聴いているのはよく分かった。目が合うと気まずそうに、あさっての方角を向く。
名前の割にはエロくないスペイン人のエロイはご陽気に調子を合わせ、ときどきスペイン語でヤジとも声援ともつかない声を上げている。
キャサリンは、そういうみんなの反応を楽しんでいるようだった。
『どう、今の中で、どれが一番良かった?』
アルベルトは、ちょっと上気した顔で聞いてきた。
『少し調子は外れてたけど、どれもよかったと思う』
『だめだよ、そういう日本的なあいまいさは』
あたしは、アルベルトの情熱をかったので、そういう返事になったんだ。それをフランス語にするほどの力は、あたしには無い。
『その歌、誰かにプレゼントするつもり?』
キャサリンが、思い切りよく聞いた。アルベルトの反応は素直だった。
『ああ、オレのジュリエットの誕生日にね』
その臆面の無さに、普段仲の良くないメイリンとあたしは目が合った。瞬間的日中友好!
『一つヒントをあげるわ』
キャサリンがニタニタしながら言った。
『え、なになに!?』
アルベルトは、テーブルを飛び越え、そのままキャサリンの前に座った。隣のあたしはのけ反ったけど、キャサリンは平気。で、とんでもないことを言った。
『シュルツがね、ユウコに言ったの。今度はイタリア抜きでやろうって』
メイリンとあたしは凍り付いた。
『ああ「Für nächstes mal ohne Italien」だろ』
アルベルトはケロっとして言った。
『イタリア人が知ってる数少ないドイツの格言だよ。お返しの言葉はこうだ「ケツの穴から帚突っこんで突っ立ってるドイツ野郎め!」もっとも発明したのはフランス人だけど』
『そんな風に言われて気にならないの、アルベルト?』
メイリンが真顔で聞いた。
『だって、イタリア人てのは戦争に向いていない。ドイツ人の屈折した誉め言葉だと思ってる』
『ばかね、シュルツは、もっと別の意味で言ったのよ』
え……?
日中伊の反応が揃った。
『歌を送る相手がイタリアの子だったら、どれ聞いてもブーだってことよ』
アルベルトは、瞬間でしょげかえった。日本の男はこんなに分かり易くはない。
『アルベルト、この楽譜で歌ってみてよ』
アグネスが戻ってきて、楽譜を放ってよこした。
『……これか!』
アルベルトは静かに歌いだした。
その曲は、わたしでも知ってる。
ジョン・レノンの『イマジン』だった。
やがて、自分の部屋に帰っていたシュルツもハッサンも戻ってきて、曲の終わりでは一同の拍手になった。
「やったやろ、ウチ!」
アグネスはニコニコだった。
「ほんなら、先にシャワー浴びてるから!」
サロンは、あたしとシュルツだけになった。
『ドイツは、まともな潜水艦を作れない。日本は飛行機を作ることを禁じられてる。ユウコ、覚えといた方がいい、ほとんどカタチだけだけど、国連にはまだ旧敵国条項が残っているんだぜ』
シュルツは、イマジンをちょっと崩して口ずさみながら行ってしまった。
あたしは、久々に「とんでもないとこ」に来てしまったと思った。