紛らいもののセラ
マスコミが騒ぎはじめた。
「セラのビフォーアフター」のタイトルで週刊誌が取り上げ、下校中に待ち伏せされることもあった。
某局のバラエティーでも特集のコーナーで取り上げられ、レポーターや評論家が適当に面白おかしく言っている。
「解離性同一性障害……の可能性がありますね」
どこから手に入れたのか、事故前のセラの写真や動画、さらには関係者と思われる匿名で顔ボカシ音声変換をかけたコメントまで出てきた。
「解離性同一性障害って、セラセラは男だったんですか!?」
性同一性障害と勘違いして、ゲストがボケて笑いを誘う。音響効果で笑い声まで増幅させている。
「違います。自分のことが自分のことと思えない症状で、昔は多重人格と言われたものです」
精神科の医師が真面目に答える。
「ということは、事故をきっかけにセラセラの隠れてた人格が出てきたってことですか?」
もう一人のゲストが身を乗り出す。
ちなみに、セラの呼び方はセラセラになってきた。本名が世良セラなのだから、そのままといえばそのままだけど、扱いとしては準アイドル的な表現で、佐藤良子や遺族の人たちには申し訳ない気持ちのセラだった。
「セラセラは、ご両親が再婚で、実のお父さんはアメリカの方。これが昔のセラセラなんだけど、写真も動画も、今みたいに明るいですね」
MCが、セラ自身で持っていない昔の写真や動画を出してきた。母親の再婚が決まったときに、セラなりに過去を清算しようと思って処分したものだ。どこで手に入れたのかネット社会というか情報社会の恐ろしさを感じた。
セラの変貌ぶりを好意的に取り上げてくれてはいるが、本音は数字を取りたいだけのメディア根性なので、世良家の日常に影を落とした。
毎日、メディアが家や通学路で待ち構えている。
「わたし自身困惑してます『春が怖くて』という曲は、そもそもアイドルとかアーティストなんてつもりで歌ったんじゃないんです。あくまで、あのバス事故の慰霊の延長線上にあることなんで、あんまり、こういう扱いはしないでいただきたいんです。お願いします」
セラは、聞かれるたびに、そう答えた。正直な気持ちだし、崩せない姿勢だと思った。
父の龍太が責任者として建造していた26DDHが、正式に航空母艦であると発表された。艦名も一言でそれと分かる「あかぎ」とされた。
政府が、周辺諸国へのプラスマイナスの影響を考えて、造船所に、そう指示してきた。三つの国が猛反発し、他のアジア諸国は好意的だった。某国の理不尽な進出に憂慮していたアメリカも賛同。遅れて建造の始まった27DDHも空母であると発表された。
「これで、俺も奥歯に物が挟まったような説明をせずに済む」
久々に帰宅した父は、にこやかに食卓に着き。セラには間接的に今のセラでいいと言われたような気がして、気持ちが楽になった。
そんな早春の朝、マネージャー兼プロデューサーの春美から電話があった。
『大木さん(『春が怖くて』の作曲者)が、今のセラのために新曲を作ってくださったの。事務所に来て、一度見てくれないかな』
「わたしは……」
『あ、セラちゃん。ぼく大木、このごろの君を見てて湧いてきた曲なんだ。ぜひ君に歌って欲しい』
「わたしは……」
『もう君の学校の近くまで来てる。目立たないよう駅の西の道で待ってる。よろしくね』
大木は、ときめいている。それが切ったばかりのスマホに余熱のように残っていた。
どうしよう……セラの正直な気持ちだった。