泣いてもω(オメガ) 笑ってもΣ(シグマ)
ほんの子どものころ、うちはパブをやっていた。
それで、今でもお店はそのまま残っていて、応接間代わりにしたり、時には、あたしたちの遊び場や、たま~には勉強部屋になったりもする。
それでも、家族やご近所の人たちが使っているだけでは、現役当時の賑わいはない。
お店そのものは、お祖父ちゃんのこだわりで、昔のマンマ。
マンマなんだけど、えと……たとえばね、お客さんが出入りしていると痕跡が残るのよね。シートのレザーのテカり具合、棚に納められたグラスや食器の佇まい、テーブルやカウンターの微かなシミや汚れや傷、そういうものが違うのよ。
シミも汚れも傷も歳をとる。二十年前のそれと夕べ付いたそれでは、微妙に違う。
なによりも空気が違う。
空気清浄機があるとはいえ、営業していたころは、タバコやお酒のニオイ、香水とか加齢臭とか、シャンプーとかコロンとか、お客さんが運んできた外の空気のニオイとかがする。
要するに、生きているお店のオーラ。閉店してからは、そのオーラが無い。
え……?
学校からまっすぐ帰り、お店のドア開けて戸惑った。
お店に営業中のオーラがあるのだ。
「お祖父ちゃん、今日、人が集まったりした?」
「え、そうかい」
……お祖父ちゃんは、なんか隠してる。
お店に大勢の人が集まるのは、町会とか神社のお祭りとかで、たまにあるんだけど、その感じでもない。
でもまあ、大人の事情ということもあるんだろうから詮索はしない。
二階の自分の部屋に戻ってエアコンを点ける。
制服のブラウス脱いでハンガーにかける。ほんとは洗濯したいんだけど、昨日のを洗濯籠に入れるの忘れていたので致し方ない。
着替えとタオル持ってお風呂場にシャワー浴びに行く。
シャワ-浴びていると、お店ではない玄関の開く音がして、廊下をドタドタとお店の方に。
足音で腐れ童貞だと知れる。
それも、なにか重い荷物を持っている気配。
―― あいつ、なに企んでるんだ? ――
先週までは、帰宅後のシャワーでシャンプーまではしなかったけど、ここんとこのムシムシでシャンプーすることにしている。
シャワーの音に紛れて、微かにざわめきがしたような気がする。
濡れた髪をガシガシ拭きながら廊下に出る。
「小菊、こっちこっち!」
二階へ戻ろうとしたらお母さんに呼び止められる。
「え、なに?」
「いいからいいから!」
「なによ……」
お店と廊下を隔てるドアを開ける。
パパパパパーーーーン!!
「きゃ!」
音と閃光に思わず目をつぶった。
恐る恐る目を開けるとクラッカーの中身がチラホラ落ちていくところで……お店はご近所の人で一杯!
祝 突破新人賞受賞! 妻鹿菊乃!
横断幕が張られ、あちこちでビールの栓を抜く音、風信子ちゃんにエスコートされてお店の真ん中へ。
「よし、胴上げよ!」
町会長夫人が黄色い声を上げて、あっという間に担がれる。
あ、あ、ちょっと、胴上げもいいけど、オッサンたちは加わらないでよ、ちょっと、どこ触って……。
その間に、腐れ童貞は、段ボールに入ったトツゲキ6月号を配り始めた。手伝っているのは、ノリスケ、シグマ先輩、それに増田さんまで!
あ、ありがたいんだけど、これは……キャ!
ドスン!
胴上げに力が入りすぎ、天上にぶつかってしまった!
☆彡 主な登場人物
- 妻鹿雄一 (オメガ) 高校三年
- 百地美子 (シグマ) 高校二年
- 妻鹿小菊 高校一年 オメガの妹
- 妻鹿幸一 祖父
- 妻鹿由紀夫 父
- 鈴木典亮 (ノリスケ) 高校三年 雄一の数少ない友だち
- 風信子 高校三年 幼なじみの神社(神楽坂鈿女神社)の娘
- 柊木小松(ひいらぎこまつ) 大学生 オメガの一歳上の従姉 松ねえ
- ミリー・ニノミヤ シグマの祖母
- ヨッチャン(田島芳子) 雄一の担任
- 木田さん 二年の時のクラスメート(副委員長)
- 増田汐(しほ) 小菊のクラスメート
- ビバさん(和田友子) 高校二年生 ペンネーム瑠璃波美美波璃瑠 菊乃の文学上のカタキ