大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

らいと古典・わたしの徒然草73『多くは皆虚言なり』

2021-04-15 06:55:50 | 自己紹介

わたしの然草・73
『多くは皆虚言なり』   



徒然草 第七十三段

 世に語り伝ふる事、まことはあいなきにや、多くは皆虚言なり。
 あるにも過ぎて人は物を言ひなすに、まして、年月過ぎ、境も隔りぬれば、言ひたきままに語りなして、筆にも書き止めぬれば、やがて定まりぬ。道々の者の上手のいみじき事など、かたくななる人の、その道知らぬは、そぞろに、神の如くに言へども、道知れる人は、さらに、信も起さず。音に聞くと見る時とは、何事も変るものなり。


 この七十三段は、もう少し長いのですが、要点は最初の一行。
「世に語り伝ふる事、まことはあいなきにや、多くは皆虚言なり」につきるでしょう。
 意味はお分かりだろうと思いますが、蛇足で訳すとこうなります。
「世の中に伝わる話は、真実ではおもしろくないので、たいていは嘘である」
 と、実も蓋もありません。

 前世紀の終わり頃、イギリスだったかで、一夜のうちに麦畑が不思議な図形に踏み倒され、UFOのしわざだと、マスコミなどが騒いだ時期がありました。犯人はUFOなどではなく、そこらあたりのアンチャンたちが、夜中に麦畑に進入し、踏み板で麦をでたらめに踏み倒したドッキリで、当の御本人たちが笑って種明かしをしていた。ネス湖のネッシーの写真もほとんどは、この伝だすです。懐かしいところでは『ノストラダムスの大予言』というのがあった。この世は千九百九十九年の七の月に滅ぶというもので、「恐怖の大王」が降臨するとかのオマケまでついていて、少年雑誌ではヒットラーが宇宙人の助けをを得て再来するというものまでありました。

 最近では「地球温暖化」ではないでしょうか。確かに、わたしの六十年になる人生の中では「子どもの頃はもっと寒かった」という感覚はあります。しかし、たかが六十年です。人類の気象観測も十九世紀に始まり、その統計資料は二百年に満ちません。

 1906年から2005年の世界平均気温の上昇は0.74度に過ぎません。この0・74度の上昇の原因も大方の科学者は原因は分からないとしています。そして統計をとる段階で、この「原因は分からない」と答えた科学者の意見は、「地球は温暖化していないとは言えない」というややこしい分別をされ、結果的には、世界のほとんどの科学者が「地球は温暖化している。と言っている」ことになっているのであり。正確には「分からない」という意見がもっとも多いのだそうです。

 問題は、その原因が人間が排出している二酸化炭素に原因があるとされ、京都議定書やCOP15(第15回気候変動枠組条約締約国会議)では、二酸化炭素の排出規制が述べられ、アメリカ、中国、インドなどが入らないまま、既定事実として扱われていることでしょう。
 2009年9月22日 鳩山由紀夫首相がニューヨークの国連本部 で開かれた国連気候変動サミットにおける演説内で温室効果ガス25%削減を発言したことは忘れた方も多いのではと思いますが、日本はすでに二酸化炭素などの排出規制技術では先進国で、いわば絞りきった雑巾。とても実現できるしろものではありません。これが、単に鳩山元首相のタワゴトで済めばいいのですが、国際的な約束になってしまいました。で、ここで排出権の取引というきな臭い、うさん臭い話になります。つまり、日本が達成できなかったぶんを他国にお金を払って買い取って、その国が達成した分を日本の排出達成分とするわけです。

 こう言えば、お分かりいただけるでしょうか。

「町内の景気が悪いのは、町に悪い気が充満しているからであって、その悪い気を町全体で減らそう。そのためにはお祀りをせねばならず、その費用は、それぞれの家の収入に比例させよう」ということが町内会で決議され、うかつに戸主が、その話にのったようなもの。

 もう一つはこれです。

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」
 お馴染みの日本国憲法の前文です。小学生のころからお題目のように繰り返し覚えさせられた。だからわたし達「戦争を知らない子供たち」は世界市民やコスモポリタニズムなどという言葉を神聖な誓文のように思い、「戦争反対」とにこやかに叫んでいれば、自由と平和は保証されるように思ってきました。この場合の「あいなき=おもしろくない」は、アメリカにとって、おもしろくないことでありました。新憲法ができて数年後に、アメリカのおもしろいことは日本の再軍備になりました(朝鮮戦争のころ)ので、日本の再軍備を要求してきました。そのころの政府首脳は、アメリカのおもしろいことに付き合うのはおもしろくないと利口に考えて乗りませんでした。だから、その後の奇跡のような経済成長を成し遂げることができました。

 いわば方便であった憲法を、うまく利用してきたのですね。もう、そろそろ世界のまことに気づき(世界は公正でもなければ真義にも厚くない)考えても良い時期ではないでしょうか。

 最後は柔らかく。学校における女子の体操服と制服であります。

 昔は、制服のスカートは長く、体操服のアンダーはパンツと見まごうほどに短いブルマでありました。普段スカート丈にうるさい体育の教師が、体育祭では女生徒の嫌がるブルマを強制していました。
 最近は男女共通の膝丈のハーフパンツをもって体操服のアンダーとしていますが、股下数センチのスカートには寛大であります。
 しかし、女子にもおもしろい意見というか対策(虚言)があります。どうも見せパンというのがあって、万一観られても構わないものを身につけている者もいるようですが、スカートの中という点では同じ事で、わたしのように免疫のない世の男性には同じことであります。
 この見せパンをオーバーパンツと言い換えると、なんだか健康的になります。でも、世の男性を刺激するという点では、なんら変わりはない……ように思えます。

 

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 真凡プレジデント・53《拡... | トップ | せやさかい・201『女王陛... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

自己紹介」カテゴリの最新記事