オフステージ(こちら空堀高校演劇部)46
『エリ-ゼのために・1』
それは違う!
俺も谷口も言い続けてきた。
コンクールを射程に入れた文化祭の上演作品である『エリ-ゼのために』はけっして転校生の三宅さんがモデルではないと。
なぜなら『エリ-ゼのために』の企画は三宅さんが転校してくる半月前にはできていたからだ。
「十代の現在(いま)でしか書けない少女像を書こう!」
空堀商店街名物からほり屋の冷やしコーヒーで乾杯しながら誓い合った。
あのころのアイドルは美容院のサンプルみたいに人工的だった。
清楚・可愛い・清潔・分かりやすい等々の要件をミキサーにかけて固めて輪切りにしたように均質だった。
ま、いまから思えば「~ではない」という否定形でしか自己規定や価値判断ができない高二病だった。
谷口の部屋で売り出し中のアイドルM・Aの新曲テープを聞こうとしたら、手入れの悪いラジカセの為にテープがオマツリワカメになってしまい、憂さ晴らしにビールを引っかけたのが悪かった。
しかし、動機はともかく創作劇を書こうという気持ちは天晴であった。
谷口が文章を書き、俺が二次元化した。
「それは朝丘アグネスや、そっちは南淳子や、あかんやっちゃなー」
「そういうこれは岡山百恵やないかー」
文章と二次元の違いはあったが、二人の作品は、やっぱり美容院のサンプルだ。
ただタイトルだけは決まっていた。
『エリ-ゼのために』
当時のアイドルには無い名前、名前だけで万人のイメージを喚起させるインパクト。
夏真っ盛り、冷房の効かない俺の部屋、階下の調剤室から立ち込めてくるドイツの新薬の香りで浮かび上がったのがエリ-ゼだった。
「「これはエリ-ゼとちゃう!」」
呻吟していた俺たちの前に現れたのが彼女だった。
三宅エリ-ゼ
当時珍しい帰国子女、日本人の父とドイツ人の母を持つ栗色のロングヘアー。
少しドイツ訛の、それでいて正確な日本語、直接口をきいたことはないが、友だちと下校の正門で「ごきげんよう」の挨拶をしていた。
じきにそぐわないと自覚したのか「さようなら」に置き換わるが「さいなら」というような大阪原人の風には染まらない。
偶然を装ってすれ違った図書室前。髪の香りはエメロンシャンプーなどではなかった。
「エリ-ゼが降臨してきよった……」
俺たちのイメージははっきりした。
一か月後、ストーリーとラフができあがった。
明らかに三宅エリ-ゼに影響されているんだけど、俺も谷口も自分の中にあったエリーゼの具現化だったと信じた。
ほら、仏師とかが言うじゃないか、仏様を彫るんじゃない、木の中におわします仏様を掘り出すんだって。
雨の季節になってプロットとラフは精緻になってきた。
俺は、エリ-ゼを二次元から三次元に昇華させた。
そうなんや、それがあの人形や。
それがなんでミイラかて?
まあ、ちょっとお茶飲ませてくれるか。
車いすの子が器用に車いすを旋回させてお茶を入れ替えてくれる。
四十三年前の演劇部の子たちが、あのころの時空からやってきたような親しさを感じさせてくれる。
雨はまだ降り続いている……。