今様の事どものめづらしきを、言ひひろめ、もてなすこそ、又うけられぬ。世にことふりたるまで知らぬ人は、心にくし。いまさらの人などのある時、ここもとに言ひつけたることぐさ、ものの名など、心得たるどち、片端言ひかはし、目見合はせ、笑ひなどして、心知らぬ人に心得ず思はする事、世なれず、よからぬ人の、必ずある事なり。
訳すと、こんな感じでしょうか。
最近流行のめずらしいあれこれを言い広め、得意げになっているのは感心しないぞ。そういうことは世間で言い尽くされてしまうまで、そんな事は知らずにいる人は奥ゆかしいものだ。新米の者がある時、こちら側で言い馴れている言い方、物の名前とかを、分かってる仲間同士で言葉の一部を省略して言い合って、目を見合わせて、笑ったりして、意味を知らない人に「え、なんのことだ?」と戸惑わせて悦に入ってるやつとか、世間のバカが必ずやる事だよな。
兼好は、こう言いますが、流行りのものに飛びつくのは、心身が若い証拠でしょうね。
わたしなど、いまだにスマホはおろかガラケーも触ったことがありません。
だから、外出先で急に電話しなければならないことになって「あ、わたしのスマホ使ってください」と勧められてもかけ方が分かりません。
パソコンは使いますので、キーボードの操作はできるのですが、スマホというやつは「アルファベット」とか「あかさたな……」とかが並んでいるだけです。タッチして上下左右にスライドさせるとか、タッチの回数で文字が変わるとかの操作が必要なんだそうで、わたしにはエニグマの暗号機を操作しろと言われているのとかわりません。
たまたまの外出先で電話する必要ができたときは、ひたすら公衆電話を探します。
この公衆電話が、近頃は見つけにくくなりました。
ちょくちょく自転車で散歩に出かけるのですが、気が付くと十キロやそこら走ってしまって、帰りが遅くなることがあります。以前、六時間余りも走って帰ると「電話ぐらいしてちょうだい」とカミさんに叱られました。言外に――スマホぐらい持てよ!――という気持ちがあるのですが、わたしのスマホ嫌いはどうしようもないと観念しているので、せめて公衆電話からでも電話しろということなのです。
自宅の八尾市を出て、東大阪市のど真ん中で思いつきましたが、やっと、公衆電話を見つけて電話できたのは守口市でした。
しかし、公衆電話からの着信はうちの固定電話のディスプレーには『公衆電話』としか表示されません。
不審な電話にはいっさい出ないカミさんは、なかなか受話器を取ってくれません。
一分余りも呼び出し音が鳴って、やっと出てくれると無言です。
『あ、オレ。ちょっと遠出して守口市まで来てしもたから、ちょっと遅くなる……聞いてる?』
十秒ほど空白があって「うん、分かった」と二秒もかからない返事。
カミさんは、いちおう返事はしたものの、わたしが帰って確認するまでは半信半疑だったようです。
カミさんのスマホに電話すればよかったのでしょうが、憶えている電話番号は自宅の固定電話だけです。
いやはや……
流行りのものに飛びつく浅はかさと、流行りのものに飛びつける心の若々しさは面白くも奥深いものがありますので、また改めて触れたいと思います。