【オシロイバナ】
今日、末の妹NAOKOがインドで買った真っ赤な
民族衣裳を纏って会社にやってきた。
やわらかくゆったりとした綿素材は、
風をふくむようにふわふわとしなやかで、
灼熱のような日中でも
エキゾチックでいて涼しげである。
***********************
そういえば、これは去年の5月頃の話。
彼女は5~6年ほど唇のひどい荒れに悩んでいた。
西洋医学はもちろん漢方薬をためしたり、
ホリスティック医療(西洋医学と東洋医学の合わせたもの)など
果敢にチャレンジしたが、いっこうに回復しない。
「ステロイド」など強い塗り薬は即効性があり、
瞬間、腫れが引いても翌日にはまた、ぶり返す。
口のまわりも赤くなり、真夏でもマスクが手放せなくなった。
だんだんと、しゃべるのも人に会うのも
億劫になって、うつむきがちになっているのが
傍目から見てもわかるほど辛そうであった。
…そんなある日、パソコンに向かって何かを
見つけたらしく、突然大声で叫んだ。
「私、インドに行ってくる!さ来週から!」と
声を弾ませている。
えっ…?何しに?と聞くと
「アーユルベーダの本場インドで
“毒出し”と“体質改善”!
これで治るかもしれないわ!
そしてあわよくばダイエットよ」と
一石二鳥のプランに目がすっかり夢の世界を泳いでいた。
「16日間で3食付き、ヨガやオイルマッサージ、
サウナ、医者ともチームになって
しっかりしたコースがなんとホテル代込みで12万っ?安い~!」と
すべてネットで手配をして、ゴールデンウィーク前に
意気揚揚と出かけていった。
まずカウンセリングから始まって
最初の毒出しは、
「くしゃみコース」か「下剤療法」、「催吐法」など
想像するのも恐ろしい方法で体内の汚れを洗い流す。
パソコン持参で日々の出来事や感想がメールで
送られてきて、ふんふん、快適そうでなにより!
なんて思っていたら、途中から徐々に熱が出た、
具合が悪い、との内容に変わってきてしまった。
それでも、今朝は大丈夫!調子がいいの。
観光や買い物に出かけたよ、などと報告を受けると、
少し安心して、無事体質改善ができることを祈っていた。
最終日は回復したわ、と飛行機が出るまで
空港のネットカフェからメールでやり取りをして、
時間通りの便で日本へと帰路についた。
到着するとすぐに電話があり、
機内では再び調子を崩しずっと横になっていたけれど
大丈夫、明日は朝から出勤するからね!と
旅の疲れのせいもあり、少し力のない声ではあったが、
帰国の報告に胸をなでおろした。
翌日は土曜日だった。
思っていたよりもずっと元気で、
楽しいおみやげ話を聞きながらランチを共にした。
このヨモギパンおいしいわ~、はい口あけて!と
一口大にちぎったパンをほうり込んでくれた。
よかった、よかった。
少し体調は崩れたものの、いい旅だったんだね!と
皆、彼女の帰りを喜んでいた。
そして、週が明けて月曜日。
私はお花のレッスンの日で朝から表参道で過ごしていた。
昼に携帯の着信に気づき、ファインに電話をすると、
大変なことになっちゃったのよ~!と慌てふためいた声がした。
白衣にマスクをした人達が数人、
ゴーストバスターズのように、消毒液を持って
突然、会社に来たのだという。
そして、いきなり会社中を消毒し始めたそうだ。
「みなさん、インド帰りのNaokoさんから
離れて~!!!」と言われたかどうかは定かでないが、
とにかく彼女は病院に連行され、そして隔離された。
なんと『赤痢』にかったらしい。
空港で、気になり検査室に立ち寄ったらしいのだ。
週が明け、検査結果を携えて
バスターズのご一行が乗り込んできたのだった。
そして私達まで2次感染をしていないかどうか、
側にいた全員が“ブツ”を提出させられた。
は~、便秘じゃなくてよかったよ…。
こういう時は一気にみんなに紛れて出すに限る。
あとからひとりは目立っちゃうからね。
なんてヘンなところで胸を撫で下ろしたり。
それにしても、パンをあ~ん、なんて
普段やらないことをしちゃったことを後悔した。
(注:そんなことでは感染しないらしい。)
これもまた、結構過ぎれば面白ネタに
なるんじゃないかな、と考えて見たり、
いやいやTVとか新聞とかに出ちゃったらどうすんのよ…
とさまざまなことを想定しては笑ったり
青ざめたりしていた。
***********************
結果的に病院には入院せず2週間ほど、
家で療養となり、他の誰にも2次感染をすることなく
無事にその事態を切り抜けることができた彼女は、
「は~、もう辛い思い出ばかりだったわ。
もう行きたくない!」とコリゴリの様子だったのに、
つい最近「インドってやっぱり楽しかったわ。また行きたい!」と
シャラっと言ってのけた。
やはり人間って喉もと過ぎれば忘れるように
できているのかもしれない。
そしてほとぼり冷めたある日、
インドの写真を見せてもらったら、
風景や観光地がちっとも写っていない。
なんで食事ばっかりなの?と尋ねたら、
「そう言えばそうなのよ!なんでこんなに食べ物ばかりを
撮ってしまったんだろう?」と本人も首をかしげていたが、
でも保健所の人や病院でどんな食事を食べたかを
事細かく聞かれた時すべてを画像つきで答えられたそうだ。
「こんなにきちんと記録している人はそうそういませんよ」と
感心されたそうだが、もちろん事態を予測していたわけではなく
偶然の産物。食欲が結果的に役に立ったらしい。
日本へ帰ってからも毒出し作業をした我が妹は
あれから1年、すっかりと口のまわりがキレイになった。
ストレスからくる神経性の炎症だということを
ある日のこと、ハッと確信したのだそうだ。
それからは、極力自分の心の持ち方に気を配る様に
なり、長い長いトンネルから脱出できたようだ。
「心身一如」
心と体は密接な関係でひとつとなっている、ということを
彼女の経験から私も学ぶことができた。
インドの騒ぎが直接のきっかけではないと思うが、
荒療治も実は大きく影響しているのかもしれない、と
ひそかに思っている。
今日、末の妹NAOKOがインドで買った真っ赤な
民族衣裳を纏って会社にやってきた。
やわらかくゆったりとした綿素材は、
風をふくむようにふわふわとしなやかで、
灼熱のような日中でも
エキゾチックでいて涼しげである。
***********************
そういえば、これは去年の5月頃の話。
彼女は5~6年ほど唇のひどい荒れに悩んでいた。
西洋医学はもちろん漢方薬をためしたり、
ホリスティック医療(西洋医学と東洋医学の合わせたもの)など
果敢にチャレンジしたが、いっこうに回復しない。
「ステロイド」など強い塗り薬は即効性があり、
瞬間、腫れが引いても翌日にはまた、ぶり返す。
口のまわりも赤くなり、真夏でもマスクが手放せなくなった。
だんだんと、しゃべるのも人に会うのも
億劫になって、うつむきがちになっているのが
傍目から見てもわかるほど辛そうであった。
…そんなある日、パソコンに向かって何かを
見つけたらしく、突然大声で叫んだ。
「私、インドに行ってくる!さ来週から!」と
声を弾ませている。
えっ…?何しに?と聞くと
「アーユルベーダの本場インドで
“毒出し”と“体質改善”!
これで治るかもしれないわ!
そしてあわよくばダイエットよ」と
一石二鳥のプランに目がすっかり夢の世界を泳いでいた。
「16日間で3食付き、ヨガやオイルマッサージ、
サウナ、医者ともチームになって
しっかりしたコースがなんとホテル代込みで12万っ?安い~!」と
すべてネットで手配をして、ゴールデンウィーク前に
意気揚揚と出かけていった。
まずカウンセリングから始まって
最初の毒出しは、
「くしゃみコース」か「下剤療法」、「催吐法」など
想像するのも恐ろしい方法で体内の汚れを洗い流す。
パソコン持参で日々の出来事や感想がメールで
送られてきて、ふんふん、快適そうでなにより!
なんて思っていたら、途中から徐々に熱が出た、
具合が悪い、との内容に変わってきてしまった。
それでも、今朝は大丈夫!調子がいいの。
観光や買い物に出かけたよ、などと報告を受けると、
少し安心して、無事体質改善ができることを祈っていた。
最終日は回復したわ、と飛行機が出るまで
空港のネットカフェからメールでやり取りをして、
時間通りの便で日本へと帰路についた。
到着するとすぐに電話があり、
機内では再び調子を崩しずっと横になっていたけれど
大丈夫、明日は朝から出勤するからね!と
旅の疲れのせいもあり、少し力のない声ではあったが、
帰国の報告に胸をなでおろした。
翌日は土曜日だった。
思っていたよりもずっと元気で、
楽しいおみやげ話を聞きながらランチを共にした。
このヨモギパンおいしいわ~、はい口あけて!と
一口大にちぎったパンをほうり込んでくれた。
よかった、よかった。
少し体調は崩れたものの、いい旅だったんだね!と
皆、彼女の帰りを喜んでいた。
そして、週が明けて月曜日。
私はお花のレッスンの日で朝から表参道で過ごしていた。
昼に携帯の着信に気づき、ファインに電話をすると、
大変なことになっちゃったのよ~!と慌てふためいた声がした。
白衣にマスクをした人達が数人、
ゴーストバスターズのように、消毒液を持って
突然、会社に来たのだという。
そして、いきなり会社中を消毒し始めたそうだ。
「みなさん、インド帰りのNaokoさんから
離れて~!!!」と言われたかどうかは定かでないが、
とにかく彼女は病院に連行され、そして隔離された。
なんと『赤痢』にかったらしい。
空港で、気になり検査室に立ち寄ったらしいのだ。
週が明け、検査結果を携えて
バスターズのご一行が乗り込んできたのだった。
そして私達まで2次感染をしていないかどうか、
側にいた全員が“ブツ”を提出させられた。
は~、便秘じゃなくてよかったよ…。
こういう時は一気にみんなに紛れて出すに限る。
あとからひとりは目立っちゃうからね。
なんてヘンなところで胸を撫で下ろしたり。
それにしても、パンをあ~ん、なんて
普段やらないことをしちゃったことを後悔した。
(注:そんなことでは感染しないらしい。)
これもまた、結構過ぎれば面白ネタに
なるんじゃないかな、と考えて見たり、
いやいやTVとか新聞とかに出ちゃったらどうすんのよ…
とさまざまなことを想定しては笑ったり
青ざめたりしていた。
***********************
結果的に病院には入院せず2週間ほど、
家で療養となり、他の誰にも2次感染をすることなく
無事にその事態を切り抜けることができた彼女は、
「は~、もう辛い思い出ばかりだったわ。
もう行きたくない!」とコリゴリの様子だったのに、
つい最近「インドってやっぱり楽しかったわ。また行きたい!」と
シャラっと言ってのけた。
やはり人間って喉もと過ぎれば忘れるように
できているのかもしれない。
そしてほとぼり冷めたある日、
インドの写真を見せてもらったら、
風景や観光地がちっとも写っていない。
なんで食事ばっかりなの?と尋ねたら、
「そう言えばそうなのよ!なんでこんなに食べ物ばかりを
撮ってしまったんだろう?」と本人も首をかしげていたが、
でも保健所の人や病院でどんな食事を食べたかを
事細かく聞かれた時すべてを画像つきで答えられたそうだ。
「こんなにきちんと記録している人はそうそういませんよ」と
感心されたそうだが、もちろん事態を予測していたわけではなく
偶然の産物。食欲が結果的に役に立ったらしい。
日本へ帰ってからも毒出し作業をした我が妹は
あれから1年、すっかりと口のまわりがキレイになった。
ストレスからくる神経性の炎症だということを
ある日のこと、ハッと確信したのだそうだ。
それからは、極力自分の心の持ち方に気を配る様に
なり、長い長いトンネルから脱出できたようだ。
「心身一如」
心と体は密接な関係でひとつとなっている、ということを
彼女の経験から私も学ぶことができた。
インドの騒ぎが直接のきっかけではないと思うが、
荒療治も実は大きく影響しているのかもしれない、と
ひそかに思っている。