頑固爺の言いたい放題

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民度論

2020-06-09 15:10:03 | メモ帳

1週間前の出来事で董(とう)が立った感があるが、どうにも腹立たしい言葉の応酬があったので、遅ればせながら論じたい。6月6日の産経新聞に掲載された「産経抄」から引用する(赤字)。

麻生太郎財務相は4日の国会で、新型コロナウィルス感染症による死者が、欧米主要諸国に比べ日本で極端に少ない理由についてこう述べた。「国民の民度が違う」
(中略)
これに早速、立憲民主党の蓮舫副代表がツイッターでかみついた。「貴方はどれだけ偉いのでしょう、麻生大臣」
(中略)
国民の文化程度の高さに自信を示すことが、どうして麻生氏自身が偉いという話になるのか文脈が分からない。蓮舫氏は「国籍を問わずコロナ感染症で亡くなった方、そのご家族のお気持ちに寄り添わず・・・」とも批判していたが、牽強付会に過ぎよう。
(中略)
麻生発言に関しては、予想通り数紙が5日付け朝刊で批判的に取り上げていた。「他の国をおとしめることになりかねない発言だ」(朝日)、「波紋を広げる可能性がある」(毎日)。
(以下、省略)

なぜ爺が腹を立てたかというと、爺もこのブログで麻生財務相と同じことを述べたので、爺も蓮舫氏や朝日、毎日に批判されているように感じるからだ。すなわち、4月13日の「要請と強制」において、<日本の要請+国民性=欧米の強制>という式を示して、「日本では『強制』する法律はないが、日本人の国民性で補える」と予想した。日本政府が緊急事態宣言を発出し、欧米諸国からその内容が手緩いと批判された時である。

ちなみに、「民度」という言葉を使わず、代わりに「国民性」を使用したわけは、日本人の場合、「民度」には過去の実績から、その言葉自体にpositiveなニュアンスがあるからだ。その点、「国民性」ならpositive でもなく、negative でもなくneutralである。控え目な表現にしたが、爺の気持ちとしては、「民度」も「国民性」も同じである。

爺は予想において「国民性(=民度)」を根拠とし、麻生財務相は結果に対して高い「民度」を挙げた違いはあるが、批判されるなら、予想でも結果でも同じである。

自国の「民度」を賞賛すると、「他国をおとしめることになる」になるのか。それなら、韓国の文大統領が「K検疫は世界に賞賛されている」と自画自賛したとき、なぜ「他国をおとしめている」と批判しなかったのか。

施政者が国民を賞賛することは国民を励まし、自信を持たせる効果がある。施政者を批判するタネをみつけては、つっかかる蓮舫氏や左派系新聞は反省してもらいたいものである。