韓国と北朝鮮の関係が険悪である。脱北者が韓国から北に撒いたビラに端を発し、北のナンバー2である金与正が韓国を口汚く罵り、北にあった南北連絡事務所を爆破した。そして、北は報復措置として、韓国に大量のビラを撒こうとしている。朝鮮戦争以来の最悪の状況である。
なぜ、こんな状況になったのかを検討するに当たり、両国の国のカタチがどうなっているのか、という基本的命題から考えてみたい。現在の日本の言論界の見解を集約すると次のようになるだろう。(ただし、頑固爺の個人的見解も多少入っていることを申し添える)
韓国の憲法は「大韓国民は、3・1運動で建立された大韓民国臨時政府の法統と、不義に抗拒した4・19民主理念を継承し」と記している。
3・1運動とは、1919年(大正8年)3月1日に日本統治時代の朝鮮で発生した大日本帝国からの独立運動だが、挫折した。それ以降、日本総督府が宥和政策に転じたため、独立運動は再発せず、1945年8月の日本の敗戦まで総督府の安定した統治が続いた。
大韓民国臨時政府とは、3・1運動が挫折して直後に、上海で設立された組織。しかし、国際社会で認められたわけではなく、日本軍と交戦した実績はない。
4・19運動とは、1960年3月に行われた大統領選挙における大規模な不正選挙に反発した学生や市民による民衆デモにより、当時の李承晩大統領が下野した事件。
韓国は、日本の敗戦によって棚ボタ式に独立が与えられ、日本の敗戦の日である8月15日を光復節と呼んで祝日としている。しかし、それでは民族としての誇りが許さない。そこで、国の起点を1919年3月1日に置き、それ以降は上海の臨時政府が独立運動を続け、日本の悪逆非道な統治に耐えつつ、1945年の光復に結び付けたという虚構の歴史を組み立てた。
一方、北朝鮮の憲法はその序文で次のように述べている。(赤字)
偉大な首領金日成同志は朝鮮民主主義人民共和国の創建者であり、社会主義朝鮮の始祖である。金日成同志は不滅のチェチェ思想を創始し、その旗のもとに抗日革命闘争を組織指導して、栄えある革命の伝統を築き、祖国解放の歴史的偉業を成し遂げ・・・
さて、韓国の憲法は、3・1とか4・19などの画期的事件を引用しているが、いかにも苦し紛れで、理念が明確ではない。当時は、第一次世界大戦(1914~1918)を挟んで、民族自決が世界の潮流となった時であり、多くの国々が独立を果たした。フィンランド(1917)、ポーランド(1918)、チェコ(1918)、エジプト(1914)、アフガニスタン(1919)、モンゴル(1913)などである。
韓国で1919年3月1日に起きた独立運動は、こうした世界の流れに触発されて起きた暴動だが、準備不足で、民衆の総合力を発揮することなく、総督府によって鎮圧された。それ以降1945年に至るまで、独立運動は起きていない。
韓国の教科書では、冒頭に述べたように、“35年間にわたる日本の悪逆非道の統治に耐えて、1945年の光復(日本の敗戦)によって、その努力が実った”という歪曲した歴史を構築した。そして、すべての韓国国民が“悪逆非道の日本統治”を信じこみ、政府は国民の連帯感を“反日民族主義”に置いている。
一方、北朝鮮の創始者である金日成は、1937年から日本の敗戦まで、中国吉林省と北朝鮮の国境にある白頭山に拠点を置き、朝鮮側にある警察や、消防署、役場などを襲撃した。しかし、その活動は局地的ゲリラ戦で、北朝鮮の独立に貢献したわけではない。それでも、北朝鮮は国民の連帯感の根源を、憲法に記されているように、“金日成民族主義”に置いており、チェチェ思想という理念が明確である。
しかも、北では金日成から正日、正恩という独裁者の世襲制が確立されており、韓国の大統領のほとんどが、亡命・暗殺・投獄・自殺など悲惨な末路に終わっていることと比較すると、国のカタチとしては北に軍配が上がる。
だから、韓国では親北勢力の力が強く、南北統一の夢が語られる。経済力では韓国が北を圧倒するものの、統一ということになれば、国のカタチが優先され、北が支配する可能性が強い。しかも、統一された時に、北で核施設が温存されていれば、統一朝鮮は軍事的にも強国になる。
だから、文大統領を始めとする韓国の親北勢力は、北に擦り寄ろうとする。朝鮮戦争の時、韓国人が9万人も北に拉致されたが、韓国は北に遠慮してか、日本ほど拉致問題を騒がない。これも、一種の“擦り寄り”だと思う。
ところが、金与正は韓国の親北勢力をしたたかに蹴飛ばしてしまった。北は深刻な食糧難に喘いでいるはずであり、韓国または中国の支援が喉から手が出るほど欲しい。だから、何らかの形で険悪な状況に終止符を打ちたいはずである。どのようにして振り上げた拳をおろすのかが、北の差し迫った課題だろう。