麻生財務相が「新型コロナへの日本の対応がうまくいっているのはなぜか」という質問に対し、「民度が違う」と答えた件で、国内では「その発言は他の国を貶めることになる」などという批判があった。
爺は6月18日の投稿、「民度発言に対する海外の反応」において、海外マスコミには麻生発言を批判した論調は見つからなかったこと、さらに日本の一部のマスコミが麻生発言に否定的だった理由は、「日本人特有の自虐性にあり」と述べた。しかし、「自虐性」については、話が長くなるという理由で、次の機会に先送りした。
今回は、その先送りした「自虐性」について考えてみたい。
第二次世界大戦終了後、連合軍総司令部(GHQ)は、日本人が再度軍国主義の道に進まぬように、日本人の思想改造を実施した。具体的には、新聞各紙に太平洋戦争史を掲載させたこと(昭和20年12月)、GHQが新聞記事の検閲を実施したこと、NHKのラジオ番組「真相はかうだ」(後に「真相箱」と改題)の放映、戦争指導者を裁いた東京裁判、そして戦争に協力した有力民間人の公職追放である。その一連の措置によって、「日本は悪である」という考え方が国民に刷り込まれた。そして、「日本は悪」の意識は、贖罪意識になった。
戦後の政治家は、その贖罪意識が常に念頭にあるから、必要以上に卑屈な謝罪外交を繰り返し、国益を損なってきた。謝罪することで人間関係を円滑にするという日本独特の精神文化が、贖罪意識と結びついた側面もある。
GHQが去ってからは、マスコミ各社(読売と産経を除く*)の「日本は悪者」の意識は、権力監視機能に転化し、現在に至っている。
*(注)読売新聞は1951年に正力松太郎の公職追放解除を境に、論調を中道に修正した。一方、産経新聞が全国紙になったのは1950年で、最初から政府支持の色彩が強かった。
「日本悪者」意識は左派系マスコミ(読売と産経を除く各社)に今でも引き継がれており、日本の長所を誇ることを憚る意識となった。これが、朝日新聞と毎日新聞が麻生発言を批判した背景である。
さて、日本が戦争を招いたことは事実であり、敗戦当時に日本人が贖罪意識(自虐思想)を抱いたことはやむをえない。しかし、戦後すでに75年、戦争に関わった年代は殆どこの世を去った。若い世代は先人の過ちをいつまでも引きずる必要はない。これからは、日本の美点は美点として誇ることを憚る必要はない、と爺は考える。