交通信号の緑をなぜ青と呼ぶのか。爺は以前から疑問に思っていたが、「まぁどうでもいいや」と、特に突き詰めて考えたことはない。日本人ならほとんどの人が爺と同様だと思う。
しかし、カナダ人のデビット・ベネット氏(レノボ・ジャパンの社長)の著書「不思議すぎる日本語」によれば、ベネット氏はこの表現(に限らず、数々の日本語の不思議な点)に興味を持ち、いろいろ調べたらしい。
“緑のおばさん”は、正しくは“青のおばさん”であるべきだし、京浜急行の駅名“青物横町”もヘンだ。野菜が青いわけがない。ベネット氏の結論は、「日本語の青は範囲が広く、緑は青の部類に入る」である。
それでは、なぜブラウンを茶色と呼び、ライトブルーを空色と呼ぶのか。お茶にはグリーンもあるし、空はグレイのこともあるではないか。こうなると習慣だという以外ない。
ベネット氏によれば、外国人が日本語を学ぶとき、もっとも苦労するのは“てにをは” らしい。しゃべる時の“てにをは”はともかく、「お母さんは、やさしい人です」の文章で、なぜ「僕のお母さんわ」では間違いなのか。なぜ「学校へ行きます」が正しくて、「学校え行きます」は誤りなのか。これも習慣というほかない。
外国人にとって難解な漢字には、訓と音の読み方があり、前後関係から使い分けなくてはならない。例えば、「今」の読み方はイマまたはコン。しかも「今日」ならば、キョウだからややこしい。
“野郎ども”の“ども” は複数を表す接尾語である。しかし、“子ども”の“ども”は、昔なら複数を意味したが、現代では複数を意味せず、複数にしたいなら“子どもたち”にする。
こんなに厄介な日本語だが、われわれ日本人は日常、支障なく使いこなしている。ことによって、日本人は言葉の天才なのかも知れぬ。(笑)
お知らせ
次回の投稿は6月28日の予定で、テーマは「日本人の自虐癖」です。