つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

2021/12/31

2021年12月31日 | 絵画鑑賞
更新が遅れてしまいました。

おかげさまで、29日、最後のお客様をお見送りさせて頂き仕事納めとさせていただきました。

一人での仕事納め、実に色々な思いが込み上げて参りました。

タクシーをとばし、帰宅すると佐橋が家中を温め、私がお料理しやすいように
大きなお鍋にお湯をたっぷり沸かし、待っていてくれました。

得意の20分料理!の後のお食事では
「ありがとう」と「お疲れさまでした」という言葉が自然に、心の奥から発せられ
2人お互いに一年の仕事を終えた安心と喜びに浸りました。



そして、

昨日は、2年も会っていなかった妹と弟が、車で私達に会いに来てくれました。

皆が佐橋の事をとても心配してくれていました。












私達の勤務した画廊での後輩、現在翻訳家の山田蘭さんが送ってくださった大きな晩白柚を皆で剥いていただきました。

晩白柚を初めて見、初めて賞味させていただきましたが、
イベント感たっぷりで、
皆でとても楽しく分厚い皮を剥き、
さっぱりとして甘さで、とても美味しくいただきました。









さて、今夜には恒例の「アッパレ!お買物賞」を発表させて頂きたいと思いますが、

その前に皆さまにクイズです。





これはどなたのお文字でしょう?

勿論画家の文字です👩‍🎨

お分かりになられた方はぜひコメント欄📝にお答えください。

初見では私達もわかりませんでした。


ヒントは現在もご活躍中の画家さん!

ヒント出し過ぎかな?

正解者がいらしたら、また何かプレゼントを考えます!




いよいよ大晦。

皆さまのお触りないご越年を心よりお祈りいたします。







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日本近代美術史論 抜粋

2021年09月10日 | 絵画鑑賞
日本近代美術史論 高階秀爾 たかしなしゅうじ

「横山大観」より抜粋

もっとも、それでは大観は、それほど深く思想問題に興味を抱いていたかというと、必ずしもそうではない。むしろ大観は、どちらかというと知的な問題には縁遠い方である。斉藤隆三氏の思い出によると、大観は平素古典に親しみ、読書に耽るということはほとんどなかっという。彼が好んで読んだのは、おそらくその内容に共感するところが多かったためであろうが、もっぱら老荘だけで、そのほかの漢籍には興味を示さず、稀に必要に応じて唐宋の詩を近づける程度であった。日本の古典も読まない。仏典は尚のこと知らない。近代文芸から和歌連俳にも興味を持っていない。ましてキリスト教の思想など考えたこともなかった。のみならず書画骨董、歌舞音曲、角力、遊芸、歌舞伎、旅行などにもおよそ興味を示さない。絵以外に心を向けることと言えば、もっぱら酒であったという。
要するに大観は、徹底した画人であって、文人でもなければ趣味人でもなく、無論、思索家でもなかった。彼は春草の理智も、観山の教養も、寺崎広業の粋も持ち合わせていなかった。いわんや師天心とは、この点で天地のへだたりがある。彼が終生天心に頭が上がらなかったのは、一つにその余りにも大きい教養の差のためであった。

そのような大観が、明治末年には多くの思想的、歴史的主題を描いているということは、一見不可解なことのように見える。しかし、それはとりもなおさず、当時一般の風潮が思想的、歴史的なものに興味を持っていたということであろう。大観は自ら教養に乏しかったため、他人の教えに対しては極めて謙虚な一面を持っていた。天心の教えは彼には絶対であった。年少の春草からも彼は多くを学んだ。突き詰めた思索などはしない代わりに新しい風潮には敏感に反応する。よく言えば素直であるが、悪く言えば時流に乗りやすい性格を持っている。彼がアクチュアリテに対する関心が強いというのも、そういう同じ性格から来ている。時代の波は彼の鋭敏なレーダーに捉えられ、彼の内部の強力なエネルギーによって何倍にも増幅されて彼の画面に放出される。その意味で大観は時代を創る人ではないが、確かに時代を代表する人なのである。

以上


「そのような大観が、明治末年には多くの思想的、歴史的主題を描いているということは、一見不可解なことのように見える。しかし、それはとりもなおさず、当時一般の風潮が思想的、歴史的なものに興味を持っていたということであろう」

という一文がとても気になりました。大観の時代にはまだ、一般の風潮が思想的、歴史的なものに興味があったという部分です。
だからこそ、無知なる大観にアンチ的な批評もでき、また新しい時代、個性の発見することができたということでしょう。

それに比して、現代は誰も、日本画に思想的、歴史的主題を求めていません。そして、更にまして、季節的な主題にも興味を示さない風潮が顕著なのです。







大観という画家の評価を大変巧みに言葉に表現したのはやはり時の文豪夏目漱石ではないかと思います。同じこの著書の戴冠についての論考に高階氏が漱石の一文を載せていますので、それもここに抜粋させて頂きます。










大観君の「八景」を見ると、この八景はどうしても明治の画家横山大観の特有な八景であるといふ感じが出てくる。しかもそれが強いては特色を出そうとつとめた痕跡なしに、君の芸術的生活の進化発展する一節として、自然に産まれたやうに見える。
中略

一言で言うと、君の絵には気の利いたような間の抜けたような趣があって、大変巧みな手際を見せると同時に、変に無粋な無頓着なところも具えてている。君の絵にみる脱俗の気は高士禅僧のそれと違って、もっと平民的な呑気なものである。八景のうちにある雁はまるで揚羽の鶴のように不恰好ではないか。そうしてそれが平気でいくつでも蚊のように飛んでいるではないか。そうして雲だか陸だか分からない上の方に無雑作に並んでいるではないか。またいかにも屈託がなさそうではないか。同時に、雨に濡れた修竹の様や霧の腫れかかった山駅の景色などは、いかにも巧みな筆を使って手際を見せて入りているではないか。好嫌は別として、自分は大観君の画に就いてこれだけの事が言いたいのである。


以上

先程、現代の日本人の日本的情緒の喪失について触れさせて頂きましたが、思えば、もうこの大観の登場によって日本人は日本人らしさをどこかに忘れ去ろうとしていたのではないか?とさえ感じます。

思想的、歴史的教養のない大観の描く、思想的、歴史的題材の作品を一般風潮が好み、漱石が記したように大観の作品に、日本画としての美意識でなく、大観本人の個性を感じ、それを喜び楽しもうとした時、日本人はすでに近代化を果たし、絵画作品に思索的価値、歴史的解釈の深みを求めなくなり始めていたと思えるのです。


そして、その風潮は昭和の時代に一つのピークを迎え、平成、令和と続いてきました。

今後の日本画家さんに私たちは何を求めるか?それはとても大きなテーマだと思います。
すでに、現代の日本人は大観の描く壮大な富士に見向きもしなくなっているのではないでしょうか?







春草の理智 ← 飯田市美術博物館さんサイトへ





観山の教養










寺崎広業の粋


結局は、この大観時代に遡り、そこから繋がる現代にと下り、各時代の画家の個性を見抜くこと、そして、その価値を現代に探ることが大切なような気がして参りました。それが、これからの日本画を探る手がかりになるとも思えます。


大観を残すなら、海山十題でなく、佐橋美術店なら間違いなく






1939年 昭和14年 「麗日」でしょう。

その好み、その識別、そして、その眼に自信を持つこと。

そこにこそ、佐橋の「必然」が隠れているように私には思えます。






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図録から

2021年07月09日 | 絵画鑑賞
オリンピックの無観客開催が決まったそうです。

東京、夢の島の会場で7月29日に行われるアーチェリーの男女予選会のチケット2枚が当たっていたのですが、当時のテンションは保てず、東京へは行かずにおこうかと迷っていたところでしたので、心のどこかで少し安心いたしました。


オリンピック前後は、きっとしばらくまた新しい作品を仕入れることはできませんので、当ブログでは、皆様お馴染みの作品、また図書室にある図録から時々記事を書かせていただこうと思っています。


「佐橋さんは香月は扱わないのですか?」とお客様にご質問をいただくことがあります。

「扱わないということはありませんが、今、香月と守一は『高嶺の花』になってしまっていて、少しそれでいいのかな?と思う気持ちがありますので」とそんな風に佐橋はお答えしているようです。

日本近代絵画を扱うのなら、当たり前のように熊谷守一、香月康男作品を扱わせて頂かなくてはいけないのかもしれませんが、気の進まないことも頑張ってしよう!という年齢でもなくなって参りました💦


それでも、私個人としては香月を買うなら、帰国後まもなくの、あれば絵画の小作品か、作家手作りのオモチャ!

シベリアシリーズの作品は、きっと現代のお若い世代にはかなり重く感じられることでしょう。母子や父子、人気の題材さえも、かなり淘汰されていくのではないだろうか?と思っています。

・・と書けば、香月ファンの方々に怒られてしまうかもしれませんね。


もちろん、「ニュアンス」「アート」の現代に、真剣に香月のシベリアシリーズと向き合ってくださるお客様がいらしてくださればこんなに嬉しいことはありません。






香月の旅をテーマにした油彩画作品。右ページは1950年代、左ページは1970年代の作品です。

香月は1974年の3月心筋梗塞で62年の人生を終えていますので、左ページの作品は絶筆に近い最晩年の作品となりますね。
淡い作品であるけれど、香月独特のセンスの良さと空間に対する自由な心の広がりを感じることができるように思います。「香月ならこの年代」今はこう頭にインプットされて作品をお求めくださるお客様が多いので、この辺りの制作作品の評価は低いのかもしれませんが、案外ね、香月の素顔が見えるような気がします。










香月のアトリエと道具、オモチャの数々です。

60年の人生とシベリアの記憶。。
香月には、背負うものが大きかった故の画境の達成があったと思いますが、別冊太陽のこのページを開くたびに、私はなんだかとってもワクワクし、本当の香月に会えた気がするのです。皆様はいかがお感じになられるでしょうか。




さて、佐橋美術店が香月作品を扱わせていただくときは、果たしてどんな作品になるのでしょうか?

なんの予想も、想像もできませんが、「無い事は無いな」そう思い、作品との出会いを楽しみにしていたいと思います。



「本当の美しさとは描いた人間の生命力の強弱によるものと私は今はそう信じている」香月康男
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おはようございます

2021年07月06日 | 絵画鑑賞
名古屋では昨夜も強い雨が降り続きました。皆さまはお変わりなくお過ごしでいらっしゃいましょうか。


先週はなかなかブログの更新ができず、失礼致しました。

お通いくださるお客様やご遠方のお客様から「ブログを楽しみにしています」というお声をよく頂戴し、大変嬉しく思い、できるだけちょくちょく記事を書かせていただこうとは思っておりますが、なかなか、それも出来ずにおりますことお許しください。




さて、先日、オークションのカタログに井上有一の作品を見つけました。

井上有一の作品を実際に扱わせていただいたこともありますので、自分の中にその印象は固って持っているものと思いましたが、
このカタログの文字を見た時、自分の中の井上の印象が随分変わっていることに驚きました。

以前は書というより、絵画だと思っていたのです。ですが、今回は「なかなか隙のない、しかも気持ちの良い書である」と感じました。


井上は
1916年大正5年、東京下谷に生まれました。こちらも、下町、下谷の生まれ。ご実家は古道具屋さんです。

1935年昭和10年、小学校の教員となり、画家を志し、夜間に画塾や研究所に通うが、勤務時間の余暇に油彩画制作の余暇はとれないと断念。

1941年昭和16年、前衛書家上田双鳩に8年間師事し、書に専念する。

1945年昭和20年、米機大空襲により、仮死状態になり、約7時間後蘇生。

1948年、双鳩を中心とした「書の美」創刊以来同誌を拠点に書の学習を続ける。

1949年、双鳩の元をさり、仲間と「墨人会」を結成、機関誌「墨人」を発行。以後この会の公募展を中心に活動をする。

その後、師であった上田にその作品を高く評価され、独自の制作活動を活発化させる。



一度は油絵の画家を目指したこと、その後、長く上田双鳩に書を学んだこと、大空襲による稀有な経験。教員を続けながらの新しい書の追求。

井上の制作、作品を理解するヒントは多く彼の経歴に潜んでいるように感じられます。

井上は色々な言葉を残しています。


書家が書を独占しているつもりでいること程、滑稽なことはない。書は万人の芸術である。日常使用している文字によって、誰でも芸術家たり得るに於て、書は芸術の中でも特に勝れたものである。それは丁度原始人における土器の様なものであるのだ。書程、生活の中に生かされ得る極めて簡素な、端的な、しかも深い芸術は、世界に類があるまい。」”
— (井上有一 「書の解放」『墨美』9号、1952)

メチャクチャデタラメに書け。
ぐわあーっとブチまけろ。
お書家先生たちの顔へエナメルでもブッかけてやれ。
せまい日本の中にウロウロしている
欺瞞とお体裁をフッとばせ。
お金でオレを縛りあげても
オレハオレノ仕事をするぞ。
ぐわあーっとブッタギッテヤル。
書もへったくれもあるものか。
一切の断絶だ。
創造という意識も絶する。
メチャクチャデタラメにやっつけろ。”
— (海上雅臣『ミネルヴァ日本評伝選 井上有一』ミネルヴァ書房、2005)



上の言葉は高村光太郎の書に対する言葉とよく似ています。

そして、下の言葉は、今現在、現代アートと言われる作品達が支持をされる理由を端的に表す言葉で有るように思います。

最近テレビを見て驚くのは、毒舌家のタレントさんが多く出演されている事です。ドラマも殺人を扱ったものが多く流されます。

感染問題、災害続き、お金儲けお金儲け!

人人の心に何かを打破しなければならない!そんなお気持ちが溢れているように感じられるのですね。


けれど、ふと気づいてみると同じ井上に言葉にもこうした発見があるのです。

「なにものにもとらわれない自由などというものは本来どこにもないし、どこにもないということは即どこにでもあっるという事であって、なにもそのために漢字という欧米にない素晴らしいものを捨てることはないということに気づくようになりました。文字を捨てることによって、文字を書くことの素晴らしさがわかったわけであります。」


結局、現代アートの枠組みは途方もなく広がってしまいましたが、真に世に残る作品、高値で取引をされる作品達というものは、人存在の真に迫る作品達であるという事実を認めなくてはいけないということだろうと思います。

それ故に、日本近代絵画にとらわれている私どもは、より厳しく真に迫る作品を残してゆくことに一生懸命にならなくてはいけないと思います。時代が変わっていくことを嫌っている暇はありません。時の流れを笑顔で寛く受け入れ、その奥底に、静かに流れているもの。それだけを見つめようとする勇気と力をゆっくりと密やかに、蓄えてゆきたいと願っています。






これを書かせていただきますのに、以下のサイトを参考にさせていただきました。ご参考にご覧ください。





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ストーリー

2021年01月28日 | 絵画鑑賞
コレクションを続けてゆく時の、作品集めの動機の一つに各画家のもつ「ストーリー」が大切になっている気がいたします。

そして、このストーリーを特に大切にされるのは、間違いなく男性のコレクター様だと思っています。


長谷川利行には利行のストーリー

佐伯祐三には佐伯のストーリー

青木繁にも松本竣介にも、夭折の画家のもつ独特な人生のストーリーがあります。

浅井忠や岸田劉生、、興味を持てばキリがないほど、画家達は実に特別な人生を歩んでいます。



各々の人生のストーリー自体が、その個性的な作品を生んだと言えばいいのだと思いますが、
特に近代日本美術を鑑賞するときには、その画家の持つストーリーは一編の詩となって作品を更に魅力的なものにしていると言えるように感じます。


勿論日本画にも同じ様なことは言えますが、

特に近代日本画の場合は、関東なら今村紫紅を加えた紅児会の周辺の画家、京都なら土田麦僊を中心とした国画制作協会周辺の画家達の動き、或いは作品に、皆さまが独特の「香り」を感じてくださっているように思います。


私は関東に生まれたので、やはり紅児会参加の画家達の切磋琢磨を「かっこいいなぁ」と思って参りましたが
名古屋に長く住むようになって、今ではかなり国画制作協会の画家たちの作品に魅力を感じる様になりました。

身土不二。

人生のストーリー無くしてはその画家の作品が語れないように、鑑賞者にも与えられた人生、環境が生む思考、趣向があることに気付かされます。









さて、今日はどんな作品に自分を遊ばせましょうか。


お寒さがまた戻ってくるようです。
寒明けまであと少し、、どうぞお体をお大切にお過ごしください。



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