つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

名古屋散歩  名古屋城からボンボンさんまで

2020年02月20日 | 名古屋散歩

先日当店にお通いくださるお客さまからこんなメールを頂戴いたしました。



もうすぐ春?

キャッスルホテルの前
お堀端の柳が もうすぐ
芽吹きそうで 何となく
黄緑色をしていました
夕方ボンボンに
お茶をしに行きましたが
多くの人で断念
貴店のショーウィンドウの 契月の立ち雛の お軸が
春近しで良かったです
落ち着いていますね


〜〜
ホテル名古屋キャッスルは名古屋城を眺めながら宿泊、お食事ができるホテルです。
このお客さまはこちらのジムにお通いなのですね。

名古屋城は私たちの自宅にも近く、この柳のお話を伺って「そういえばそろそろ梅園の梅が咲いていないかな?」と久しぶりに2人で名古屋城に行ってみることに致しました。

ウィルス騒ぎでなかなか遠出ができませんので、この際、近場に出かけて、皆様に名古屋のご紹介をしてみようと思い立ったのです。




お堀の柳はこんな感じでした。確かに黄緑色に見えましたが
その色を上手に画像におさめられませんでした💦







現在名古屋城自体にお入り頂くことはできません。
近く当時の設計図のまま木造で再建される予定ですが、天守閣まで登るエレベーターを付けるかどうかで意見がわかれ、工事が先に進まないままなのですね。


そのかわりと言っては失礼ですが、同じ敷地内にやはり当時の新しく再建された本丸御殿があり、
こちらには入場が可能です。豪華な書院造のお部屋をお楽しみいただくことができます。








小さな民芸館では、名古屋に古くから伝わる土人形の玩具をご覧いただくこともできます。

今では残念ながら、この土人形を作ってくださる方がいらっしゃらなくなったそうです。






この猿夫婦はどこか私たちに似ているような???




肝心な梅は日当たりが十分でないためかまだ満開ではありませんでした。













この御殿椿は空襲で焼けてしまい、今では上の画像のように根株しか残っていないようですが、




挿木をされた木が残されて、3月から4月に白い大輪を咲かせるそうなので、また近く伺ってみようと思いました。


名古屋城では各季節のお花が楽しめるようになっています。
入り口で500円をお支払いいただくと、本丸御殿などの施設もご覧いただけます。
名古屋にいらっしゃる機会がございましたら、ぜひお立ち寄りください。




さて、先ほどのいただいたメールのなかのありました「ボンボン」ですが
私どもの店のあります名古屋市東区では有名な喫茶店、ケーキ屋さんです。
昭和24年の創業。当時のケーキ、お菓子の形、味わいをそのままにお値打ちにお菓子をお楽しみいただけます。

当店より徒歩5分の近さなので、よく、若いお嬢さん達がうちの店に入ってこられて「ボンボンさんはどちらですか?」と聞いてくださいます。

「どちらから名古屋へお越しですか」と私がお尋ねすると、「大阪です」「横浜です」とお答えが返ってきてビックリ!その度に食べログ、ネットの力を思い知らされます。

どんなに頑張ってみても、ボンボンさんより有名になるのは難しいので、名古屋の方達には「ボンボンさんのお近くの佐橋美術店でございます」と自己紹介をさせていただくことにしています。 


名古屋のご紹介、いかがでしたでしょうか?

また少しずつご紹介もさせていただきますので、当店の作品と合わせてお楽しみいただければ幸いです。

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画家の言葉

2020年02月20日 | 画家の言葉

ホームページの「今月の画家の言葉」を草間彌生から長谷川麟二郎に替えさせていただきました。

先日まで掲載させていただいた草間彌生の言葉は大変わかりにくく、読み手によってどのようにも解釈できる一つの「詩」のようであったと思います。

 

~~

トルストイの童話に「イワンの馬鹿」という話がありますが、

悪魔が根負けするまでは私の仕事もつづくのです。

何故なら悪魔は芸術の敵であり、それ以上に親友だから・・。

つまり悪魔は自由の中にのみ住むのです。

全て決定されたものからは、彼はたちまち離れます。

・・・内面の悪魔は新しい真実と、その形式を作るためには宿るのですが、既に出来上がった形式や概念の中に、芸術そのコピィの中には一瞬たりとも安住してくれません。

草間彌生 芸術新調 1955年 26歳

~~~

 

この頃より1970年代の草間彌生の仕事は大変生き生きとしていました。

そしてその個性的な仕事は当時、現在の「日本中どこへいっても草間アート」を想像させる要因を微塵も持たなかったように思います。

草間作品が本当の「個性」を失い、それこそコピィ化した時代から、皮肉にも草間作品は圧倒的な勢いで日本中、またアジア、世界に拡散していきました。

 

草間にとっての、「芸術の敵であり、親友である悪魔」とは、やはり「孤独」ではないかと私は想像しています。26歳の草間はとっくに孤独の苦しさとその意味を知っていた。

 

自由の中に生きようとするとき、人は深い深い孤独を味わうことになります。

例えば作品に何か方向性を決めてしまえば、画家は一挙にその孤独からは解放されますが、その途端、作品は形だけの抜け殻となり、そこには何もなくなってしまうのです。それでも、草間は孤独に耐え、幻聴や幻覚を作品にし行動し続けたのだと思います。


拡散に終止符が打たれる頃になれば、きっと冷静な草間作品への評価がくだり、草間の「手」や「声」が直接聞こえ、感じられる作品に価値が見出されるのではないかと期待をもって想像しています。

お通いくださるお客さまによくお話するように、今の当店がありますのは、以前に草間弥生の作品を多く扱わせていただくことができたからだです。


小さな本にふと見つけた草間の言葉を、ホームページに引用させていただき、私達の草間作品への思いを少しお伝えしたいと思いました。







 

 

 

 

 

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