つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

お正月

2023年01月05日 | 日記・エッセイ・コラム
あっという間に三ヶ日が過ぎ、昨日或いは今日、仕事始めの日をお迎えの方も多くいらっしゃるかと思います。

私共はまだお休みをいただいておりますが、仕事に向かう時の緊張感、責任感を思い出すともう既に鳩尾のあたりがキュっとして参ります。どんなに好きな事でも、やはり仕事となるとそれなりの重みを受け止めなければいけませんね。

月並みですが、今年一年の皆さまのお仕事でのご活躍を心よりお祈り致しております。



さて、先日大晦日のテレビ、NHKの「ゆく年くる年」に奈良の唐招提寺が紹介され、上の画像のように東山魁夷の襖絵が暗闇に大変美しく、青い光を放っていました。

世の中に名前を残したいなどと思いませんが、美しいと思える感動を後世の人々に与える仕事を残したこの画家をとても羨ましく思え、東山魁夷はやはり大いなる「祈りの人」であったように感じました。

私たちが日常を離れ、一年で1番「祈り」の場に近づく時、この画家の偉大さを実感できるのではないでしょうか。








昨年末、2人で京都に一泊させていただく機会を得ました。

このホテルの窓から東山魁夷の「年暮る」と同じ風景が見られるとお客様にお教えいただいたことが旅のきっかけにもなりました。


鴨川の向こう側に見える景色は、時代こそ違え確かにあの絵画の世界である事が実感されました。





初めは、時が流れ、こうした家屋の屋根が並ぶ美しい風景を見る事ができなくなったことを残念に思っていましたが、少し考え、もし私の目の前にこの作品と同じ景色が広がり、雪がシンシンと降っていたとして、この絵と同じような感動を覚えるのだろうか?かと疑問を持ち始めました。

唐招提寺の襖絵もそうですが、やはり東山魁夷には目の前の景色を「無言」の世界に変えてしまう、沈めてしまう画力があるような気がいたします。「鎮魂」という言葉がよく似合うのかもしれません。

そして、その沈める力、祈りの世界に近づく力は人生の並大抵の苦労、単なる孤独感では養えるものでは無いように感じます。

ある意味「狂気」の世界だろうと想像します。

感じる、考える、感じる、考える。

筆を動かす、筆を動かす、筆を動かす。また筆を動かす。

各画家のその深い思いと無数の作業を感じ分けることが私たちの仕事です。

日本近代絵画を支えた画家達のその深み、高みに近づいていくことは、やはり私たちにとって大変苦労の多い作業になります。

日常と狂気の狭間で、右往左往し、錯覚を起こし、それでも何かを夢見ているのが人間、特に画商達なのだろうとつくづくと感じます。

絵を見るときに言葉を発するのは邪道だろうと思いながら、私は何年もこのブログを書かせていただいています。

その後ろめたさも大切に、これからもある意味無責任に記事を更新させていただこうと思います。

飛び飛びで申し訳ございませんが、これも私が私を保つリズムのようですので、どうぞお許しいただき、今年もお付き合いのほどよろしくお願い申し上げます。





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