先日、孫が初めて筆を持ったときに、書いた文字です。
なるほど!
4日に丁度3歳になりましたが、この書を見た時、私はあっさり書のお稽古を辞めようと思え、本当にやめました😅
この作品を見て、専門家の妹はすぐにとらやさんの暖簾の画像を送ってくれました。
なるほど!
余白の取り方というのは、生まれた時からすでに持っている感性なのかもしれません。
一人になってしまい淋しいといえば勿論、さびしいのですが、そして本当に寂しくなるのはもっと後になるのかもしれませんが、突然目の前から居なくなった祖父がよく被っていたことを覚えてくれているのか?
帽子を被るのが大嫌いであった孫が、最近、お家でも帽子を被るようになったりする姿を見ていると目には見えない生命のつながりというものを深く感じることができますし、(ダンゴムシと遊んでいます)
以前の記事でお伝えしたように、私の住む古い家には、イモリだったり、蝶だったり、蜘蛛だったり、毎日話かけるお相手には事欠かないので、あら?今もこうして朝やはくから記事を書いていると
見たことのない猫さんが、どういうわけか我が家の住人のように外を眺めていたり。。。
とにかく「私は熊谷守一か?」というような生活は案外楽しいものだと思っています。
熊谷守一は、あの大原美術館にある「陽の死んだ日」に深い感銘を覚えてしまってからは、それ以降の特に、守一調の晩年の作品に
私は何か疑問を持つようになってしまいましたが、疑問というのは「守一はその世界に逃げ込んだのだ」と思えたからですが、守一という人間の本当の欲やずるさを1番よく感じ、知っていたのは、やはり守一自身であったのではないか?と今は思うようになり、彼が鉛筆一本、筆一本あれば他は何も要らないという生活を送れたことを初めて羨ましく感じられるようになりました。
そういえば、妻を四十代で亡った私の実父は、いつも大真面目に、ホームレスの人々の生活に憧れていたのを思い出します。
私には、例えば世を捨てても、自分の命をかけられる筆も鉛筆もありません。
佐橋を亡って残っているのは、結局この店だけです。
画商さんには色々なタイプの方がいらっしゃいます。
最も大切なのは、ひと目作品を見れば、その真贋、状態、額や表装の状態がわかるスキルを十分に身に付けていること。
そして、この業界の片隅の片隅に暮らしてきた私が書かせていただくのはおこがましい事ですが願わくば、画商は現実の世界と目には見えない非現実、超自然の世界を行ったり、来たりできる感性を必ず何処かに残しつつ仕事をしていくのが良いのではないか、それが絵がわかるという事ではないか?と思えています。
そして、このスキルと感性を併せ持つ画商さんは実際にはそうはいらっしゃらないのだと実感します。
佐橋が目指していた理想の画商の姿を、私にはそれを引き継いで追いかける事はできませんが、佐橋が教えてくれたこと、そして今私に多くの事をお教えくださるお客様、また近くにいて支えてくださる画商さんを頼りに、私なりのお仕事をさせていただけたらと思っています。
少しだけ、店内の掛け替えをさせて頂きました。
またご紹介させて頂きますね。