つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

いくどーー

2023年01月10日 | 日記・エッセイ・コラム
長くお休みを頂戴致しました。

ブログの更新は相変わらず毎日というわけにはいきませんでしたが、それでも連日
ここにお立ち寄りくださる皆様のご厚情を大変嬉しく、心強く感じる事ができました。

まことにありがとう存じました。

年明け2日には、相模原市に住む妹のおうちに2人で行く事ができました。
私の箱根越えはなんと3年ぶり🚅

弟も顔を見せてくれ、姉弟の家族と再会する事ができました。
皆で私の還暦祝いもしてくれ、とても幸せな三が日を過ごす事ができました。

昨日は佐橋の父の七回忌にあたり、元日から昨日まで2人で毎日仏壇に向かい拙いお経をあげることもできました。
信仰心というよりも、不思議にお経を読むという作業に癒されました。

妻としての私、嫁としての私、母としての私、祖母としての私、姉としての私、私はその役割の中に連日生きているのだと実感し、
私なりによくやっているなぁと初めて自分を褒められた気も致します。


お盆とお正月のお休みは、やはり日本人にとっては祖先や家族とのつながりを確認することのできる日々ですね。

結局スプーンは曲がらなかったけれど😅このお休みは私にとっては自分の位置を確認する貴重な毎日となりました。


孫のサイチは、お滑り台を滑る時、また少し高いところからジャンプするとき必ず「いくどー」と声を出します。

「いくぞー」と言っているつもりなのですね。









佐橋美術店の私。

その役割はまだまだ私には重いものですが、もしかしたら1番私らしい自分を見出せる場所なのかもしれません。

美術品に向かう気持ちというのは、案外恋愛や父母を慕う素直な気持ちに近いものがあるのではないか?とこの頃強く感じるのです。

その辺りのことも、これから色々「研究!」して参りたく存じます。


今年も佐橋とお客様皆さまと「いくどー」という気持ちで美術品に向かう日々を過ごして参りたく存じます。

あらためまして、皆様、どうぞよろしくお願い申し上げます。













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お正月

2023年01月05日 | 日記・エッセイ・コラム
あっという間に三ヶ日が過ぎ、昨日或いは今日、仕事始めの日をお迎えの方も多くいらっしゃるかと思います。

私共はまだお休みをいただいておりますが、仕事に向かう時の緊張感、責任感を思い出すともう既に鳩尾のあたりがキュっとして参ります。どんなに好きな事でも、やはり仕事となるとそれなりの重みを受け止めなければいけませんね。

月並みですが、今年一年の皆さまのお仕事でのご活躍を心よりお祈り致しております。



さて、先日大晦日のテレビ、NHKの「ゆく年くる年」に奈良の唐招提寺が紹介され、上の画像のように東山魁夷の襖絵が暗闇に大変美しく、青い光を放っていました。

世の中に名前を残したいなどと思いませんが、美しいと思える感動を後世の人々に与える仕事を残したこの画家をとても羨ましく思え、東山魁夷はやはり大いなる「祈りの人」であったように感じました。

私たちが日常を離れ、一年で1番「祈り」の場に近づく時、この画家の偉大さを実感できるのではないでしょうか。








昨年末、2人で京都に一泊させていただく機会を得ました。

このホテルの窓から東山魁夷の「年暮る」と同じ風景が見られるとお客様にお教えいただいたことが旅のきっかけにもなりました。


鴨川の向こう側に見える景色は、時代こそ違え確かにあの絵画の世界である事が実感されました。





初めは、時が流れ、こうした家屋の屋根が並ぶ美しい風景を見る事ができなくなったことを残念に思っていましたが、少し考え、もし私の目の前にこの作品と同じ景色が広がり、雪がシンシンと降っていたとして、この絵と同じような感動を覚えるのだろうか?かと疑問を持ち始めました。

唐招提寺の襖絵もそうですが、やはり東山魁夷には目の前の景色を「無言」の世界に変えてしまう、沈めてしまう画力があるような気がいたします。「鎮魂」という言葉がよく似合うのかもしれません。

そして、その沈める力、祈りの世界に近づく力は人生の並大抵の苦労、単なる孤独感では養えるものでは無いように感じます。

ある意味「狂気」の世界だろうと想像します。

感じる、考える、感じる、考える。

筆を動かす、筆を動かす、筆を動かす。また筆を動かす。

各画家のその深い思いと無数の作業を感じ分けることが私たちの仕事です。

日本近代絵画を支えた画家達のその深み、高みに近づいていくことは、やはり私たちにとって大変苦労の多い作業になります。

日常と狂気の狭間で、右往左往し、錯覚を起こし、それでも何かを夢見ているのが人間、特に画商達なのだろうとつくづくと感じます。

絵を見るときに言葉を発するのは邪道だろうと思いながら、私は何年もこのブログを書かせていただいています。

その後ろめたさも大切に、これからもある意味無責任に記事を更新させていただこうと思います。

飛び飛びで申し訳ございませんが、これも私が私を保つリズムのようですので、どうぞお許しいただき、今年もお付き合いのほどよろしくお願い申し上げます。





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明けましておめでとうございます

2023年01月02日 | 日記・エッセイ・コラム
皆さま、明けましておめでとうございます🎍


元旦の中日新聞に今年も当店の広告を掲載させて頂きました。




新聞のこのコーナーに賛同する画廊さんも随分減ってしまいましたが、そして「今こそ新聞📰でしょ」
という新聞社さんの覚悟もまだ過渡期かな?と思いますが、

「新聞を開いて読む」その時間と手触りを大事に思う事は、私達の仕事にも通じるものがあると思うので

出来るならまだしばらくは、時々新聞にこうして広告を掲載させていただきたいなぁと思っています。


さて、私は大晦日にオンラインヨガの、瞑想のクラスレッスンを受けて、とてもさっぱりとした気持ちで新年を迎えさせていただきました。

が、何と先生がそのレッスン中に、意識の集中のお手本としてスプーン曲げをなさったことに驚き、

そして、それを見て、「なんだか私も出来そう」な気がして、佐橋にも内緒でエプロンのポケットにそっとスプーンをしのばせ
暇を見つけてはスプーンの柄を握りしめているという特異なお正月を過ごしております🥄💦


佐橋さん、あぶない、あぶない、、

そんなお声が聞こえてきそうな気も致しますが、案外ね、絵を見る👀って、長く美術品に触れているってそういう世界にギリギリ近づく事だとも思うのですね。

心に手を当ててみると、コレクターさんにもそんなお気持ち、違う世界を夢見るお気持ちというのはお有りなのではないかな?
と思います。

とにかく、もし、もし、力づくでなくスプーンが曲がったら、またご報告させて頂きますね。





昨日は2人で近くの氏神さまにご挨拶をしに出かけ、後はもう別々に好きなように過ごしておりましたが

佐橋は忘れ物を取りに元日から店に行くというので、私はせめて少しでも仕事を忘れたいと思い
自宅に残ることにし、年末に息子が明治図書さんから出させていただきました本を読む時間にあてました。

(申し訳ありません、明らかに息子の本の宣伝です。)







小学校の教師をする息子の苦労を間近で見て参りましたので、手元に届いてからは前書きを読んだだけでなんだか辛くなり、その先に進めませんでしたが、昨日は全体に目を通すことができました。

違う世界に歩みを進めている子供に親のすることは何もなく、まだまだ未熟でしょうが、息子を一人前にしてくださるのはもうただひたすらご縁をいただく親以外の多くの皆さまのおかげだと昨日はしみじみと感じ、深く感謝し、親である私達は、これから一人前になっていく子供に「見事に」欺かれ、裏切られながら老いていくのだという覚悟と喜びを新たにする事ができました。









皆さまはどんなお正月をお過ごしでいらっしゃいましょうか?

ブログを書くと自然に仕事モードになって体が固くなるので😅連日とはいきませんがまた折々に記事を更新させて頂きます。

よろしくお願い申し上げます。











コメント (2)
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