つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

お納めの前に

2025年02月12日 | 福井良之助展
福井の作品は今月いっぱい展示させていただきますが、さすがにご来店のお客様は少なくなりましたので、お約束いただきました作品のお納めの準備を進めさせていただいています。

「青い音」は先日このブログでもご紹介させていただきましたが、その後まもなく当店に長くお通いくださいますお客様にお約束をいただきました。

「この作品はあのお客様のお好みかな?」
口には出すことはありませんが、展覧会前に作品が並ぶとつい作品とお客様のイメージを重ねてしまうことがあります。それがピタリ!と結果的に当たるときもありますが、今回は全くの想定外でした。

ただ、すかさず「え~さすが~」と唸ってしまっていました。

先ほどいらしてくださった弥栄さんにも「そうなの?これを選ばれるのはなかなか眼のあるお客様だよねぇ」とおっしゃっていただきました。


色々な画家の数多くの作品をお持ちくださるお客様ですが、福井作品をお求めくださるのは初めてでいらしたと思います。私より少しお兄さんのお客様の、「最初の福井」にこちらの作品を選んでくださる目筋にあらためて感激いたしました。

この作品とお暮しになられて、どんなことをお感じになられるか?また後日ご感想をお聞きできるのがとても楽しみです。




大変お寒い中を恐縮に存じますが、できましたら作品のご購入にかかわらず、是非みなさまに福井ワールドをご堪能いただきたいと思っています。
この作品たちに漂う画品は、鳥海、森、薫以上のものだとあの名古屋の雪の日から感じています。



気品とは寂しさに似て雛の面  高橋秋郊

以前にもご紹介させていただいた私の好きな句です。
立春過ぎのまだ寒いこの季節に、雛人形を飾って祝う日本の文化にしか宿ることのない「品」というものがあるように思えてなりません。

そしてその「品」こそ「美」「芸術」であると思えてなりません。





















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お休みをいただいて

2025年02月12日 | 福井良之助展
三日間のお休みをいただきました。当店の展覧会の会期中はおうちのことを放ったらかしにしてしまうので、お掃除やお洗濯など最低限の片付けをしました。

ぎっくり腰依頼、お休みをしていた毎週一回のオンラインでのヨガのレッスンも受講できました。

そして、これが私個人としてはなかなかの進歩だと思うのですが、およそ2年ぶりに筆を持って文字を書きました。
5年近く通った書道教室では、偶然なのか必然だったのか先生にお願いをして写経のようことをしていました。

写経といっても、信仰心というより憧れ的な理由によるものですが、その続きを書き進めてみたいと昨年末から考えるようになったのです。

恐れ多くも国宝の法華経方便品。






蝶や草花の下絵が美しい法華経で、琵琶湖に浮かぶ竹生島(ちくぶしま)に伝わったことから「竹生島経」と呼ばれています。 もとは、法華経8巻が揃っていたはずですが、現存するのは、ともに第1巻であったこの「方便品」(ほうべんぼん)と、竹生島の宝厳寺(ほうごんじ)に伝わる「序品」(じょほん)の2点だけです。 平安時代後期になると、法華経を単に書写するだけでなく、贅沢な料紙を使って美しく飾った装飾経を制作することが、極楽往生を遂げるための功徳になると考えられました。 竹生島経も、そうした願いをこめて作られたものです。金の罫線がひかれ、蝶、鳥、草花、霊芝のかたちの雲などの大ぶりな下絵が、金や銀で描かれています。銀の部分は酸化して黒くなっていますが、作られた当初の銀色に輝いていた様子を想像してみてください。 巻末に、「寛永の三筆」のひとり、松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう)(1584-1639)が、源俊房(みなもとのとしふさ)(1035-1121)筆とした鑑定書があります。その確証はありませんが、法華経の本文は、いかにも端正な和様の書で、平安時代を代表する装飾経の一つです。




佐橋とお別れをしてから以前良いと思っていたもの、美しいと思っていたものがそうでもなく感じることが多くなっていたのですが、久しぶりに観るこの画像にあらためて感動し、プリントアウトし直しました。












とはいえ、2日も家に1人籠っていると全く脚力が弱ってしまうので、昨日は愛知県美術館で開催中のパウル・クレー展に出かけて参りました。

今回はパウル・クレーだけに焦点を当てるのではなくその創造の過程で出会った仲間達の作品の紹介や交流を主に展覧が進められています。

久しぶりにクレーの作品をいくつか観ることができましたが、やはり基本的に人間としての純粋性に魅力のある画家なのだと実感しました。

今回の愛知県美術館さんのパウル・クレー展の主題にクレー自身の言葉が掲げられています。

「この世では、私を理解することなど決してできない。なぜなら私は、死者たちだけでなく、未だ生まれざる者たちとも一緒に住んでいるのだから」

愛知県美術館は名古屋栄にあるので、当店から歩いて出かけることもできます。

パウル・クレー展を拝見してから、少し用があり店に寄ってみると、福井の雪景達が私を迎えてくれました。

そして、ひたすらに、私は日本に生まれて幸せだったなぁと感じられました。福井展の企画中にクレーの展覧会に伺ってよかったとつくづく感じました。

「たとえば人間は死んでしまうと形がなくなって、土の中に帰ってゆく。形あるものはすべて、いずれは土の中に消え去ってゆく・・・。そういう考え方で絵を描きたい。これが私の気持ちだった。」

パウル・クレーの言葉と福井良之助の言葉。
そして、平安の時代に書かれた文字たち。

辛さに見失いそうになっていたものを、いま少し取り戻せたような気が致しました。それが錯覚でも、夢と消える短い時間であっても、「美」について、再び静かに見据えていきたいと思います。












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朝井閑右衛門の言葉 福井良之助について

2025年02月08日 | 福井良之助展
福井さんは、上野の美校の出身であります。以前、あの学校では奇妙な趣向を持った生徒がいました。福井さんもその一人で、初めは彫金科で、後には油絵を描いておりました。いつかその説明をきいたのですが、忘れていました。現在は、風景、婦人像ともしっとりとした美しい色彩で、誉高い名作が多いことになっていますが、絵の組立てとしては、強い写型にささえられているのを世の人は忘れがちであります。
彫金科で得た、堅いものを対手とする、いのりこむような腕力と、それを動かす眼力、心の型を造るまわり道がよい作用をしているらしく思います。あの学校では、遠いまわり道が最後に役立っているような、偉い人が先輩にもいるのです。

福井さんは忘れたころ、彼の親友と必ず二人で現れる。私のことを居酒屋と思っているらしいのです。また、お酒が入ると、その人と二人だけで議論する。だんだん美学、哲学のようなことで大見得を切口上でやり合う。先日も理論よりからだで技術だなどと大威張りしましたーーどうも、裸女に花に雪景色、芸者に舞妓と、やわらかな美しいものばかり描くので、詩とか人生とか哲学とか、むずかしいのが頭にこもるのかもしれません。


ずっと以前に福井さんの画のことを書けと注文されたことがあった。あの仕事は見かけは美の陶酔から来ていると見えそうだが、解剖してゆくと、たてとよこと奥の奥があって分かるように、文にすると理屈っぽくなり、とてもエカキの手に負えるようなものではないのであやまってしまったことがある




この朝井の福井評が、福井芸術の全てだと心から思えます。

今日は名古屋も本当に雪が降りました。

朝まだ暗いうちに窓から見えた雪景色が、この3週間に得た福井への知識を全て捨てさせてくれ、朝井の言葉と同じように
一挙に福井の作品への共感を深めてくれました。

今日は前をお通りの男性の皆さんが沢山作品をご覧くださいました。

とりあえずの会期を終えさせていただきますが、福井の作品は今月いっぱいはいつでもご覧いただくことができます。

やっと十号の雪景色が見えてきました。
この作品達に相応しい空間、佐橋美術店となりますよう来週からも精進して参りたく存じます。

皆さまどうぞ暖かくお過ごしください。


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寒波のなかにあって

2025年02月07日 | 福井良之助展
更新が遅くなりました。

ブログで一通り展示作品のご紹介を終えるとホッとしてしまう部分もありますし、なんといっても、毎日少しづつ各お客様がお顔をお見せくださるのが嬉しく一日があっという間に過ぎます。

展覧会のご案内を差し上げたのがお正月間もない頃でしたので、この会期のことをお忘れになられる方もいらして当然!と思っておりましたが、昨日は「急だけれど伺っていいですか?近くにいるので」とおっしゃってくださるお客様のご来店が続き、本当に感謝の気持ちでいっぱいになりました。

この地域では「寒い、寒い!」と厚着をしていれば何とかなりますが、寒波の影響で雪の多い地域にお住いの皆さんは大変なご苦労をされていると思います。

人の生活には必ず「絵どころじゃない」という局面が幾度も訪れますので、この福井の作品たちをお近くのみなさま、またブログをご覧くださる皆さまとともに色々な祈りをこめて静かに鑑賞したいと思っています。

また福井良之助の作品というのは、まさにそういう作品だとこの数日で強く実感しています。



2月第二週の週末。
今日とても美しく感じられた作品達を少しご紹介させていただこうと思います。














雪景色の作品にはチークの額がよく似合っていてとても素敵だと思うのですが、10号サイズですと額によってかなり重いものがあり、どうしても「私でも壁に掛けられるもの」という物理的な選択、そして、そのなかでも作品の密度、好みなどから考えると~今一番好きな作品はこの2点かなと思っています。

(実作品の色調は額の部分を除きトリミングした画像が一番近くなります)


3号「暗い日」はより写実的で、その写実の中に垣間見える「情緒」が何とも心に響き、いつまでも残像の残る作品です。その趣は10号の作品並といえるように感じます。

6号の「雪景」はとても丁寧に描かれている作品で、しかも今回の展示作品のなかでは一番「お洒落」に感じられています。忘れがちですが、福井の作品は実にオシャレであることも今回再確認させていただきました。






柿は以前にもご紹介いたしましたが、図書室に飾ってみると、先日の水色の他に多くのピンク色がみえてきて、更に魅力的に感じられました。
「ゼンマイ仕掛けの時計が動き出した」そんな印象の強い作品です。




福井はいままで展覧会でご紹介させていただいた画家のなかで最も「見せない」作品たちを生んでいたのかなと思いはじめています。見せないというのは「一見」ではわからないという意味です。

そのあたりのことを福井と親交のあった浅井勘右衛門が面白く語っているので、次回以降その文章をご紹介させていただこうと思っています。




ゆっくりとしか見えてこないわたしでも、この3週間ほどで福井の作品達がとても愛おしく感じらるようになりした。おそらく、来週あたり、つまり作品と出会って一か月過ぎたころから激流のごとく作品たちが私の目の中に飛び込んでくるのだと思います。その時を更に楽しみにしたいと思っています。




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舞妓

2025年02月05日 | 福井良之助展
のんびりと雪景色の絵画を鑑賞するという余裕さえ与えてくれないようなお寒さ、今週は全国的に大寒波が襲来するようです。

私は寒がりなので、今日も用心をして厚着で家を出ましたが、店のなかに暖房をいれても少し寒い感じがいたします。

今週はこのお寒さですし、ご来客は少ないかなぁとは思っているのですが、それでもできましたら皆さまにはこの「12月の妓」という作品は一度ご覧いただけたらなぁと思っています。

福井の「舞妓」は有名なシリーズであり、この作品も画集に掲載されているとても良い作品なのですが、それにもましてこの額が大変立派で、今まで見たことのないレベルの装飾性に感激しました。お伺いしたところによると「手彫りの額」だそうなのですね。



画集にもこの円窓部分が載っていますので、作品誕生と共に古径さんで作られたと思います。でも、手彫りって。。当時の福井作品の人気度もよくわかり益々額にも見とれてしまいます。




福井の描く人物画は全て横向きです。



「正面とか七三の顔を描くと、表情が出過ぎるのです。静物でも風景でも表情が出過ぎると嫌なんですね」というのは福井の言葉です。

描く対象自体には表情を求めない。音とか、情緒とか、そういう心に響く要素を否定するわけではなく、より深く、或いは高尚なものにするために、それらを画布に鎮めてゆくような作業を福井は絵を描くという作業に重ねていたのかもしれません。

この舞妓の作品は〝12月の妓〟というタイトルです。お気づきでしょうか?髪飾りに「良之助」という小さな札が見えています。これは〝まねき〟というそうで、ふつうは12月の京都南座の顔見世興行で贔屓の役者さんにこの札に名前を入れていただく、サインしていただくという慣習があるそうなのですが、福井の洒落か?或いは本気か?つまり嫉妬か? 良之助とご自分の名前を入れていらっしゃるところが、すこーし気になるところではあります💦


12月のかんざしは、もち花、小判、招き猫、鯛、羽子板、サイコロなどおめでたい飾りが使われるようです。油彩画であっても十分に季節感を感じさせる作品ですね。






※「12月の妓」にはすでにお納めのお約束を戴いております。












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