文藝春秋の十月号に
「母と子で語ろう」―天才姉弟をこの手で育てて―
というタイトルで
五嶋みどり、龍、姉弟を育てた母、節さんと龍氏の対談が載っている。
節さんは
「よく『子どもの自主性に任せて、やりたいことをやらせる』っていうけど、
私はその気持ち分からへん。分野によっては本人がやりたいことに
気づいたときにはもう遅い、ってことになってしまう。
近頃は、ニートっていうんですか、やりたいことがいつまでたっても見つからへん、
って三十歳になっても四十歳になってもぶらぶらしている若者が多いそうじゃないですか」
と述べている。
私も『本人の自主性に任せる』という言葉のもとに、
今の親で子どもをダメにしている人が多いような気がする。
自分で自分の道を見つけることができるようになるのは、かなり大きくなってからだ。
その時までに何を身につけておくかは、親の判断に依るところが大きい。
お稽古事を始めるか否か、塾に行かせるか否か、
公立学校に行かせるか私立学校に行かせるかを、
子どもに聞いてみてそれだけ決めていたら、
それは子どもの自主性を尊重しているとは言えないと思う。
小さな子どもは、それをしたら人生にとってどうか等という判断はできない。
単に快不快の判断だ。もちろん親の判断が子どもに本当に合っているかどうかは
しっかり見ていなくてはいけないし、もしどうしても合っていないようだったら、
無理矢理押しつけてはいけないと思う。
だいたい今の時代は、子どもを作る、作らない、産む、産まない、
どんなお産をするか?等全て自分で決める時代だ。
子どもの育て方も生まれた時から、どう育てるか考えねばならない。
親が子どもに親の考えを押しつけてはいけないと言って、
大きくなるまで、子どもを放っておくのも親の主義、考えの押しつけだ。
また、節さんが
「今だったら、幼児虐待と言われるかも。
―中略―
子どもは自由とルールの意味が分からないうちは、
手を出して教えてもいいという結論に達したんです。
子育ての本には『子どもに対しては、言葉で理解させようとする親の努力が必要』
なんて書いてあるけど、そんなのウソ。
まあ、何歳の子どもを対象にするかがポイントですけど。
小さい子に基礎を叩き込む段階では、口だけじゃだめなんです
―後略―」
と言ってかなり激しい調子で叩いたり蹴飛ばしたりして叩き込んだ、と言っているが、
これは、私は全てに当てはまるとは思えない。
たまたま龍氏はお母さんの判断した才能もあり、耐えられる精神力もあったから、
うまくいって、今も素敵な母子関係ができているのだと思う。
自分と子どもは、やはり違うものであり、自分の知らない才能が、あることも多い。
もちろん好きで才能に恵まれていても、いやになったり、
壁にぶち当たったりすることはあるから、簡単にあきらめてはいけないと、
頑張らせることは大切だが、合っていないことを無理矢理させれば、
害以外何ものでもない。子どもがどんな状態かはよく見てあげなければならないと思う。
(冷静に判断する。ここが我が子となると難しいのよネ!)
偉そうに書いたが、私は娘の子育ては終わっているが、息子は高3で、
まだ子育て終了していないので、結論は出ていない。
また、我が子は、私の子であるから、才能と呼べるようなものがあるとは思えない。
しかし、子どもがしっかり自立して、歩んでいってくれることを目標に
もう少し頑張りたいと思っている。
「母と子で語ろう」―天才姉弟をこの手で育てて―
というタイトルで
五嶋みどり、龍、姉弟を育てた母、節さんと龍氏の対談が載っている。
節さんは
「よく『子どもの自主性に任せて、やりたいことをやらせる』っていうけど、
私はその気持ち分からへん。分野によっては本人がやりたいことに
気づいたときにはもう遅い、ってことになってしまう。
近頃は、ニートっていうんですか、やりたいことがいつまでたっても見つからへん、
って三十歳になっても四十歳になってもぶらぶらしている若者が多いそうじゃないですか」
と述べている。
私も『本人の自主性に任せる』という言葉のもとに、
今の親で子どもをダメにしている人が多いような気がする。
自分で自分の道を見つけることができるようになるのは、かなり大きくなってからだ。
その時までに何を身につけておくかは、親の判断に依るところが大きい。
お稽古事を始めるか否か、塾に行かせるか否か、
公立学校に行かせるか私立学校に行かせるかを、
子どもに聞いてみてそれだけ決めていたら、
それは子どもの自主性を尊重しているとは言えないと思う。
小さな子どもは、それをしたら人生にとってどうか等という判断はできない。
単に快不快の判断だ。もちろん親の判断が子どもに本当に合っているかどうかは
しっかり見ていなくてはいけないし、もしどうしても合っていないようだったら、
無理矢理押しつけてはいけないと思う。
だいたい今の時代は、子どもを作る、作らない、産む、産まない、
どんなお産をするか?等全て自分で決める時代だ。
子どもの育て方も生まれた時から、どう育てるか考えねばならない。
親が子どもに親の考えを押しつけてはいけないと言って、
大きくなるまで、子どもを放っておくのも親の主義、考えの押しつけだ。
また、節さんが
「今だったら、幼児虐待と言われるかも。
―中略―
子どもは自由とルールの意味が分からないうちは、
手を出して教えてもいいという結論に達したんです。
子育ての本には『子どもに対しては、言葉で理解させようとする親の努力が必要』
なんて書いてあるけど、そんなのウソ。
まあ、何歳の子どもを対象にするかがポイントですけど。
小さい子に基礎を叩き込む段階では、口だけじゃだめなんです
―後略―」
と言ってかなり激しい調子で叩いたり蹴飛ばしたりして叩き込んだ、と言っているが、
これは、私は全てに当てはまるとは思えない。
たまたま龍氏はお母さんの判断した才能もあり、耐えられる精神力もあったから、
うまくいって、今も素敵な母子関係ができているのだと思う。
自分と子どもは、やはり違うものであり、自分の知らない才能が、あることも多い。
もちろん好きで才能に恵まれていても、いやになったり、
壁にぶち当たったりすることはあるから、簡単にあきらめてはいけないと、
頑張らせることは大切だが、合っていないことを無理矢理させれば、
害以外何ものでもない。子どもがどんな状態かはよく見てあげなければならないと思う。
(冷静に判断する。ここが我が子となると難しいのよネ!)
偉そうに書いたが、私は娘の子育ては終わっているが、息子は高3で、
まだ子育て終了していないので、結論は出ていない。
また、我が子は、私の子であるから、才能と呼べるようなものがあるとは思えない。
しかし、子どもがしっかり自立して、歩んでいってくれることを目標に
もう少し頑張りたいと思っている。