昨日、割りばし事故の民事訴訟の1審判決が出た。
割りばし事故 遺族敗訴「予見不可能」 東京地裁判決
記事によると東京地裁は請求を棄却し、
裁判長は「割りばしが刺さったことによる脳損傷を予見することは不可能だった」
と担当医の過失を否定したそうだ。
この事故は1999年、ちょうど私がくも膜下出血になる一年前に起きた。
最初にこの事故を知った時、私は、病院側は事実を隠そう隠そうとしている。
病院って全く、患者のことをどこまで考えて医療に当たっているのかと思い、
杏林大学病院なんて絶対にかかりたくない病院だと思った。
だから、自分がくも膜下出血になって最初の病院で断られ、
救急隊の人が、
「杏林大学病院が引き受けると言ってくれてますが、どうしますか?」
と聞いた時、
「えっ!あの割りばし事件の杏林大学病院!?」
と思って、一瞬返事をするのに躊躇した。
しかし、急なことで大変なことになっていることはわかったので、考える余裕もなく、
「よろしくお願いします」
と言って、杏林大学病院に連れて行ってもらった。
そして、病院に着いたところで記憶がとぎれた。
救急医療の現場というものにはじめて触れ、私の考えは全く変わった。
病院のスタッフの人々がどれほど夜昼なく、
必死になって患者を救うために頑張っているかを知って、
これは、もっと知らせなければと思った。
それを考えると、医師は、この割りばし事故で病院に来た男の子を
別にいい加減に診たわけではないと思うのだ。
医師は患者を診て、身体の異変が起きた状態などを聞いたりしてどういう問題があるか考える。
そして、必要に応じて検査をしたりしてトラブルの原因を見極め治療に当たる。
この判断は、知識や経験により、素人よりもずっと正しい。
しかし、常に絶対誤りがないなんてことは、人間であるかぎりありえない。
もし、間違ったらそれは犯罪だ等と言いだしたら、医師になる人はいなくなる。
私たちは自分では治せないから、医師を頼る。
もっと謙虚になっていいのでは?
割りばし事故 遺族敗訴「予見不可能」 東京地裁判決
記事によると東京地裁は請求を棄却し、
裁判長は「割りばしが刺さったことによる脳損傷を予見することは不可能だった」
と担当医の過失を否定したそうだ。
この事故は1999年、ちょうど私がくも膜下出血になる一年前に起きた。
最初にこの事故を知った時、私は、病院側は事実を隠そう隠そうとしている。
病院って全く、患者のことをどこまで考えて医療に当たっているのかと思い、
杏林大学病院なんて絶対にかかりたくない病院だと思った。
だから、自分がくも膜下出血になって最初の病院で断られ、
救急隊の人が、
「杏林大学病院が引き受けると言ってくれてますが、どうしますか?」
と聞いた時、
「えっ!あの割りばし事件の杏林大学病院!?」
と思って、一瞬返事をするのに躊躇した。
しかし、急なことで大変なことになっていることはわかったので、考える余裕もなく、
「よろしくお願いします」
と言って、杏林大学病院に連れて行ってもらった。
そして、病院に着いたところで記憶がとぎれた。
救急医療の現場というものにはじめて触れ、私の考えは全く変わった。
病院のスタッフの人々がどれほど夜昼なく、
必死になって患者を救うために頑張っているかを知って、
これは、もっと知らせなければと思った。
それを考えると、医師は、この割りばし事故で病院に来た男の子を
別にいい加減に診たわけではないと思うのだ。
医師は患者を診て、身体の異変が起きた状態などを聞いたりしてどういう問題があるか考える。
そして、必要に応じて検査をしたりしてトラブルの原因を見極め治療に当たる。
この判断は、知識や経験により、素人よりもずっと正しい。
しかし、常に絶対誤りがないなんてことは、人間であるかぎりありえない。
もし、間違ったらそれは犯罪だ等と言いだしたら、医師になる人はいなくなる。
私たちは自分では治せないから、医師を頼る。
もっと謙虚になっていいのでは?