最初はSAH

2000.11にくも膜下出血(SAH)発症。無事後遺症もなく生還。今興味あること:脳のこと,教育のこと,テニスのこと

美山~薩摩焼の里

2017-12-07 15:04:27 | 海音寺潮五郎
鹿児島旅行2日目の午後は、薩摩焼の里「美山」に行きました。

薩摩焼の起源は、秀吉の大陸進出 野望の戦い
文禄・慶長の役の後者、慶長の役(1598)。
薩摩の猛将、島津義弘が捕虜として連れ帰った朝鮮の陶工たちが、
ここ薩摩の地で、窯を開いて、代々受け継いできたものです。
美山は苗代川系ですが、他にも龍門司系、堅野系などがあるそうです。

薩摩焼で全国的に有名なのは、沈壽官氏の作品です。
朝鮮から来た沈家の初代は沈当吉という人だそうですが、

12代 沈氏(1835~1906)が、沈壽官を名乗り、
藩の庇護がなくなってしまった窯を、上手く民間経営移行して
ウィーン万博(1873)始め、数々の万博、勧業博覧会などに出品し、
高い評価を得て、世界的な名声を博し、薩摩焼が海外でも広く愛用されるようになったそうです。

その後代々、沈壽官を名乗り、今は15代です。
「沈家伝世品収蔵庫」には、代々の作品が展示されていて、
透かし彫り、鮮やかな絵付け、美しい形、どれもやはり名品揃いで、愉しめます。

登り窯を見て、裏の工房に行くと沢山の職人の方々が、制作に取り組む様子をガラス越しに見ることができました。
若い職人さんが大勢で驚きました。


土と火の魔術なりけり荒木のや

幹二郎がしごとさやかなるかも

    海音寺潮五郎


次に同じ美山にある、
祖父海音寺潮五郎の好きだった「荒木窯」に行きました。
荒木幹二郎さんの窯です。
息子の荒木秀樹さんが継いでいらっしゃいます。
素敵な壷の上に祖父の色紙が飾られていました。

温かみのある作品で、私も大好きです。
私と夫の湯飲みを求めました。   (つづく)

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