あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

塩の道・千国街道を歩く(小滝~糸魚川②)

2006-08-26 22:05:13 | 塩の道を歩く
 北からの乾いた高気圧と南の湿った暑い高気圧の境目に入り、首都
圏は最高気温が30℃まで上がらず、幾分しのぎやすい日となりました。

 暑くてさぼっていた貸し農園に行き(といっても、わが家の東側)、草
むしりと、今年初のモロヘイヤを少しと、熟れすぎて赤くなったシシトウ
ガラシを収穫しました。

 塩の道レポートは最終コース、いよいよ日本海海岸を目指します。


 2005年9月1日(木)
 =塩の道・千国街道 小滝~糸魚川(日本海海岸)続き=

 林道は、滝から流れ下る虫川の右岸に沿って下って行く。

 公園からすぐ、菅沼から来た道と合するところに、三界萬霊供養塔と
記された古い石仏があった。


 森屋敷橋で虫川の左岸に回ると、ビニールパイプから冷水が流れ出
ていてコップもある。

 背後からの暑い太陽でのどが渇いていたので、一気に2、3杯飲み
干した。

 虫川の清流沿い、にぎやかなミンミンゼミの鳴き声を聞きながら進み、
虫川に入る。


 田んぼのそばに「史跡 虫川関所跡」の標柱があった。

 塩の道が賑わった当時は要所だったのだろうか、今はその面影を
想像できない数戸だけの静かな集落だ。

 すぐ先の虫川白山社に参拝し、杉木立の下で昼食にした。


 さらに虫川沿いに下る。次第に流れより高みとなり、大谷内集落へ。

 谷間から抜けた東側は黄金色の田んぼが広がる。大谷内と次の中谷
内集落に、塩などを運ぶ牛をつないだ牛つなぎ石が残っていた。



 中谷内の西側山すそにある霊源寺に回って参拝、杉木立下の石段の
横に、江戸時代の石仏群が並んでいた。


 午後の日差しが強まり暑くてたまらぬので、珍しくあった商店でアイス
クリームを買い、近くの八幡社の木陰で食べる。


 集落を出て田園地帯になる。振り返ると、雨飾山や海谷山塊などの
重畳たる山並みがよく見えた。


 梶屋橋付近からは、東側の姫川駅周辺に、生コンか砂利の工場らし
いのが4~5社見える。

 杉林の山すそを回って頭山集落に入る。車がやっと通れる道がくね
くねと住宅の間を抜けている。もとの車道に戻って岩木集落へ。

 舗装路が尽きたところから真っ直ぐに上がって広葉樹林下の山道
に入る。

 北陸自動車道の岩木トンネル上を通過、樹間から姫川にかかるJR
や国道の橋が見えた。


 歩く人が少ないのか、雲の巣が多く、倒木もある。目印の黄色い
ビニールひもを頼りに、分かりにくい山道をたどり、姫川第七発電所
構内の建物の後に下った。

 碍子と送電線の並ぶ横から水力発電機のある建物の東に出る。
 
 背後の山腹から3本の送水管が下っているが、かなりの太さである。
桜の下で小休止して正門を出た。

 姫川左岸を北に向かう車道は、ダンプの通過が多い。

 JR北陸本線の線路手前で左折して西へ、山すその諏訪神社に参拝
し、間もなく塩の道完歩の御礼を申し上げる。


 北陸本線と国道8号下を抜け、クロマツと芝生の須沢臨海公園に入る。
さらに車道を越え、15時34分ついに日本海に到達、塩の道・西コース
のゴールである。

 4年がかり、延べ7日半ほどでの完歩、夏の草道は分かりにくいとこ
ろもあったが、江戸時代の塩の道の面影はあちこちに残っており、
歩きがいのあるコースだった。

 公園で小休止してから宿に向かう。姫川橋を渡り、船の並ぶ糸魚川
港の南を回り、国道8号を横切り、16時30分、昨日と同じビジネス
ホテルに着く。

 この日、近くの上越市の最高気温は33℃、距離よりも暑さが厳しい
一日だった。

(天気 快晴、距離 22km(海岸まで19km)、地図(1/2.5万) 小滝、
糸魚川、歩行地 糸魚川市、)




 
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塩の道・千国街道を歩く(小滝~糸魚川①)

2006-08-25 22:15:37 | 塩の道を歩く
 2005年9月1日(水)
 =塩の道・千国街道 小滝~糸魚川(日本海海岸)=

 全夜宿泊したビジネスホテルを出て、駅前通りのコンビニで弁当を
買い、糸魚川駅8時20分発南小谷行きに乗る。


 8時41分、小滝駅に下車、小滝郵便局先の三差路までは昨日の道
を戻る。

 電柱に、「注意 熊が出ます」という表示が出ていてビックリ。
 
 でもまだ暑い今は大丈夫だろうと勝手に考える。

 前川の三差路で「不動滝 明星山」の表示のある上り道へ。最初の
カーブから、その明星山の垂直な岩肌をむき出した東面がよく見える。

 きのう南側から見た凸型と違い、横長の山容なので、同じ山とは
思えない。

 スタートから暑いが、岡集落に向かう上り坂で、早くも大汗をかき、
首に巻いたタオルがたちまち濡れる。

 岡集落の尽きる辺りに明星山登山口がある。集落の先から林に入っ
たが、まもなく東側はススキの原に変わる。どうやら田んぼが休耕田
に変わったようだ。



 携帯電話のアンテナ塔横を過ぎると、行く手の峠がよく見える。

 民有林道岡倉谷線を緩やかに下り、やがて峠への上りとなる。周りは
杉などの林だが、道路は木陰がなく、太陽が背から照って暑い。


 かすかに寛政年間(1789~1801)と読める朝霧地蔵や、朝霧大橋
を過ぎ、2つ目のカーブの辺りから、道標に従い左手の若杉の山道に
入る。

 東に、海谷(うみだに)山塊の山が見えてきた。


 道はしっかりついていて、数分だが林道をショートカットした。

 林道に戻ってすぐに菅沼峠、標高は約470m。林道を横断する山道
を右に100mほどで、杉林を少し下ると、謙信・信玄像がある。

 石の座像で江戸時代のものらしいが、年代は記されていなかった。

 ゲンノショウコやノギクの咲く草道を下って行くと右手に棚田が現れ、
十字路に出た。直進すれば菅沼のはずなので進んだが、小さい沢の
右岸をだんだん東に回り込み、集落に出ない。

 おかしいと思い、十字路に戻って左に進む。数戸の民家が終わり、
杉林に入る。500mほど進んで車道に出た。

 すぐ先のヘヤピンカーブに「ふるさと林道 岡・倉谷線」の案内図が
ある。手持ちの地図と見比べ、西に迂回してしまったと分かった。

 ヘヤピンカーブを下って東に、菅沼の北で合する道に向かう。十分
足らずで鳥居が見え、ログハウスと広い駐車場があり、不動滝の案内
板が立っていた。


 西側一帯が芝生と桜、キャンプ場、池などのある自然公園になって
いる。


 その奥に、断崖から細く流れ落ちる糸滝と、落差70mで3段に曲折し
水量豊富な不動滝の2つが流れ落ちている。


 少し回り道はしたが、思いがけずりっぱな滝を見ることが出来た。(続く)

コメント (2)
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塩の道・千国街道を歩く(北小谷~小滝②)

2006-08-24 22:13:02 | 塩の道を歩く
 昨日のレポートの続きです。


 2005年8月31日(火)
 =塩の道・千国街道 北小谷~小滝(続き)=

 旧国道を下りはじめると、北側の水平な稜線の向こうに、明星山
(みょうじやま)の凸型のピークが、少しだけ見えた。


 さらにヘヤピンカーブにかかると、眼下に姫川の流れと平岩駅周辺が
よく見える。ヘヤピンの下りは7段ほど続く。


 途中、ボッカトチノキと呼ぶ糸魚川市天然記念物の大きなトチノキが
葉を広げていた。

 カーブの終わる辺りに白馬温泉の建物があり、その手前に昭和47年
(1972)建立という露座の白馬大仏があった。

 当時はにぎわっただろうが、現在は国道が変わり、訪れる人も少ない
ようで、大仏さんもなんとなく淋しそうに見えた。

 大糸線の線路際に下り、「姫川渓谷いで湯の広場」という小公園や、
ホテル国富の横を通過、平岩洞門を抜けて平岩駅に着いた。

 時刻は12時近い。駅の待合室は照明も無くうす暗いので、駅前広場
にシートを敷き宿の弁当を広げる。

 海苔を巻いた大きなむすび2個と焼き魚や煮物などのおかずが付き、
十分なボリューム、おいしくいただいた。


 10数戸並ぶ駅前の家並みや電気化学大所発電所前を通過、国道を
横切り姫川と別れ、廃校になっていた山之坊小横を上がる。


 須合・山之坊方面への道標に従い山道にとりつく。やはり草が伸びて
いるが、道はしっかりしている。

 水場の表示を過ぎ、杉落ち葉のたっぷり積もった道を上がる。気温が
上がって汗が増える。

 左の斜面に垂直に切り立つ大岩・仏岩を過ぎ、さらに上がると林が
途切れ、行く手に民家が見えてきた。

 ススキの穂とワラビの伸びた間を進んで須合集落に上がる。集落の
外れで、ヘアピンカーブ先端の舗装路に出た。

 車道を進むと東側の展望が開け、日本百名山の雨飾山(1963m)が
よく見える。

 私が登ったのは1966年6月だったから、久しぶりの対面だ。

 車道を進んで山之坊集落へ。標高500~550m付近に点在する山上
集落、豪雪地帯なので、建物に雪囲いの板を入れる設備も出来ている。

 道を聞いた民家の親父さんの話では、冬の積雪は3~4mになるという。

 その家の横から車道にショートカットする草の道へ。ここもかなり草が
伸びている。

 地図上では500m足らずに見えたが、もっと歩いた感じで山之坊から
続く車道に出た。アジサイがまだ咲き残っている。

 大汗をかいた体に、峠からの向かい風がさわやかになぜてくれる。

 今回の最高地、標高667mの大峰峠に着いた。小屋に2体の地蔵さん
が祭られている。

 大きいのは天保13年(1842)、新しくて小さいのは平成8年のもの。

 そばの碑文によれば、「平成7年7月、姫川の大洪水で国道148号や
大糸線が流失、急きょ代替道としてこの県道大峰線を開通、西塩道の
大網地蔵尊を移設、開通記念に親子地蔵(小さい方)も建立…」と記され
ており、ここでも姫川災害の大きかったことが知れた。


 碑文の背後には、ビニール管から豊富に冷水が流れ出ている。のどが
渇いていたので、コップに2、3杯、一気に飲み干した。

 少し下り始めたところに「大峰峠 標高651m」の標柱があり、その先
から車道をショートカットする草道に入る。


 杉林を下り、大雨でえぐれたところを通過、右カーブ点では、明星山の
凸型の山容が中腹あたりまで見えた。

 流れを横切り、水の流れる道を下って車道に戻った。

 入りコン沢を左下に見下ろしながらの下りとなり、北風がさわやかに
汗をなでてくれる。


 夏中地蔵の辺りから色づいた棚田が現れ、ほどなく夏中集落である。

 男女共同作業所の角を左に、集落の家並みの間の細道をくねくねと
抜けて車道に戻った。


 こんどは右の道に入り、旧小滝村役場と記された夏中会館の前から
棚田の見える草の道を緩やかに下り、東峰集落に出た。

 車道が横切っていて「小滝関所跡」の標柱が立つている。そばの
「自然公園道」の標柱横から細い流れの左岸沿いの草道に入る。

 前半は、やはり草が伸びていて分かりにくい。「塩の道」とガードレール
に記された橋を通過して、間もなく車道に戻った。

 入りコン沢の昭和橋横を通過、小滝川の前川橋を渡り、前川集落へ。
小滝郵便局に寄り、東京・小金井市のMさんに便りをしたため、風景印
を押印してもらい投函する。

 小滝側に沿って進む。雨が少ないのか流れはわずか。


 国道の大正橋の南側で国道に合流し、黒部川電力姫川第6発電所の
先にある今日のゴール、無人の小滝駅に16時15分に着いた。


 16時45分発大糸線下りディーゼル車で終点の糸魚川に17時9分着、
十分あまりで今日の宿、ホテルルートイン糸魚川に入る。

(天気 曇り後晴、距離 20㎞、地図(1/2.5万) 雨飾山、越後平岩、小滝、
歩行地 長野県小谷村、新潟県糸魚川市)
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塩の道・千国街道を歩く(北小谷~小滝①)

2006-08-23 22:37:22 | 塩の道を歩く
 昨日に続く塩の道・千国街道のレポートです。以下は昨年8月末に
出かけたものです。

 
 2005年8月31日(火)
 =塩の道・千国街道 北小谷~小滝= 
 残暑が納まらないが8月も月末になったので、4年がかりの塩の道・
千国街道の最終コース、北小谷~糸魚川の歩きに出かけた。
 
 今回のコースは、JR大糸線北小谷からだが、適当な宿がないので、
一つ手前の南小谷駅に近い、民宿に前日に来て泊まった。

 5時50分起床。曇っているが谷間から稜線にかけ、山ははっきり
見えるので雨の心配は少なそう。

 朝食後、お願いしておいた弁当を受取り、駅に向かう。半袖では
少し冷える感じで、気温は15℃前後だろうか。

 7時55分発ワンマン1両のジーゼル車に乗り、2つ先、無人の北小谷
駅に8時7分に着いた。

 ここからの塩の道は2ルートある。人気があり道も整備されていると
思われるのは、東側の大網峠を越えて山口に下るコースだが、宿の
関係などから今回は、西ルートの天神道を通って大峰峠越えのコース
を行くことにした。

 姫川を小谷橋で渡り、道の駅おたりまでは昨年歩いたところ。水曜
の今日、道の駅は休業日だった。


 早朝なので車の少ない国道148号を500m足らず、島温泉の横から
「塩の道天神道」の道標に従い、草の道に上がる。

 夕べの雨で濡れた草がかなり伸びていて、靴もズボンの下部もたち
まち湿る。まだ赤くなく、小さな白花のミズヒキがたくさん咲いている。

 橋の流された小さい流れを横断し、杉木立の下を進むと、「唐沢の
石仏」の表示があり、文政年間(1818~30)のこけむした石仏が
数基並んでいた。

 舗装した林道を横切り、樹林下をトラバースしながら進み、塩沢の
砂防ダム下を橋で越える。


 秋の虫の音を聞きながら行くと、東側の展望が開け、姫川対岸の斜面
に李平(すももだいら)方面の集落が見えた。


 国道の塩坂トンネル上を緩やかに上り、峠になっている城ノ越に着く。
松の木の根元に文化年間(1804~18)の石仏が2体あり、茶店が
あったことも記されていた。


 木の樋から清水が流れ落ちていたので、汗をかいていて乾いたのど
を潤した。
 
 未舗装だが1車線ほどの道から右下に下る道標があり、草の伸びた
分かりにくい細道に入る。

 太陽が直接当たるところは草が伸びているが、少し先で樹間に入っ
たら道もはっきりしてきた。


 ブナも茂る林を通過し、姫川の流れを見下ろしたりして、右が低い
斜面をトラバースして行くと、3体の石仏が並ぶ「砂山の石仏」がある。
文政9~10年建立のものである。


 急流が流れ落ちる前沢に出て、三段続く砂防用堰堤(えんてい)の間に
かかる橋を渡る。

 少し下の大きな砂防用堰堤の横を国道に下った。国道は塩坂トンネル
を抜けたところ、すぐ先で国道の東側棚田の横を下って湯原の集落を
過ぎる。

 姫川左岸、河川敷の道を進むと大規模な砂利の堆積場がある。川沿い
を進んだが、上に上がる気配がないので戻り、堆積場の左横を進んだら、
20基前後の石仏が並んでいた。

 猫鼻石仏群と呼ばれ、文政9年(1826)、天保10年(1839)、
文久2年(1861)などの年号が刻まれた庚申塔や二十三夜塔など
である。

 塩の道は、石仏群の手前から林に入り、ジグザグに上がって旧国道
に出る。

 雪崩除けのために道路を覆う国界洞門に入り、左にカーブして500m
前後進む。


 洞門を出ると信越国境、蒲原川にかかる国界橋を渡って長野県小谷村
から新潟県糸魚川市に入った。


 橋の上流は滝で、かなりの流量で流れ落ちている。

 旧国道はその先、Y字路を左に進むのだが、道路崩壊で通行禁止、
Y字路を右にヘヤピン状に下り、国道の国界橋際に出た。

 橋の北側の平坦地に、新しい慰霊碑がある。碑文には「平成7年7月
の豪雨により、ここ蒲原沢でも大規模な土石流が発生、前年完成した新
国界橋が流出した。

 その復興と地域の安全のため、砂防ダム等の建設と新国界橋の復旧
工事中、平成8年12月6日、再び大規模な土石流が発生し、工事中の
14名の尊い人命が失われた。

 慰霊碑はこの14柱の御霊に哀悼の誠を捧げる…」と記されていた。


 すぐ下流の姫川左岸は、高さ100m以上も緑がはがされ、土砂が
むき出し。当時の崩壊のすさまじさがしのばれた。

 すぐ先、大所トンネルの手前で国道の右に下り、合宿所風の一軒家の
手前の道標に従い、沢の左岸沿いの山道をジグザグに上る。

 ここも日の当たるところは草が伸びていて、ちょっと分かりにくい。
電線が道路を横断しているところで旧国道に戻った。

 民宿アルプスの看板の出た建物がある。すぐ先が葛葉峠で、標高は
約450mである。

 今は通過車もないが、国道時代の峠の休み所だったらしい3棟の廃屋
が残っていた。                       (続く)
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塩の道・千国街道を歩く(栂池~北小谷②)

2006-08-22 23:04:10 | 塩の道を歩く
 昨日の続き、一昨年7月のレポートです。


 2004年7月20日(火)
 =塩の道・千国街道 栂池~北小谷(続き)=

 小谷村役場のある雨中(うちゅう)集落に入る。

 役場の前に小谷郷土館と小谷名産館が並んでいる。かやぶきの小谷郷
土館は、明治中期以降、長く役場として使われた建物だという。

 館内には、小谷から出土した化石、石器、縄文時代の出土品、おたり
杜氏(とうじ)の資料、暮らしの道具、山や里の暮らし、自然などを紹介
していた。

 特に興味を引かれたのは、平成6年に発見されたという恐竜足跡の
化石だった。隣の名産館は定休日で入館できなかった。

 郵便局前から国道に分かれ、平行する西側斜面へ。オオバコなどに
覆われた草の道である。

 花盛りの和平集落を抜け、さらに山すそをトラバースして虫尾集落
に入る。かやぶき屋根をトタンで覆った民家が数戸目についた。

 三差路にある虫尾阿弥陀堂に寄る。小さいが趣ある建物。ここにも
庚申塔など10数体の古い石仏が並んでいた。


 そばにあった説明板に従って集落上の棚田まで上がったが、どうも
道が違うようだ。

 阿弥陀堂に戻ってよく見たら、お堂の左側に、草の道へ下る道標が
あった。よく確かめずに、20分ほど無駄な時間を費やしてしまった。

 草道を下って杉林を抜け、アサノセメントの工場横で下里瀬(くだり
せ)の旧道へ。

 中小谷簡易郵便局前からたんぼ道に入り、青いとんがり屋根のある
建物の横から車坂にかかる。

 杉林の中のジグザクの上りが続き、大汗が出る。上り切ってから西に
向きを変え、弘化4年(1847)銘の「南無阿弥陀仏」碑の先から下りと
なる。

 途中で弁当が買えなかったが、前日の昼食用に用意したパンがあっ
たので、送電線下の草の土手に腰を下ろし、棚田や深い山並みを眺め
ながら軽い昼食にした。

 近くには発電所の送水管があり、中土(なかつち)駅近くの発電所に
向けて下っていた。

 急斜面をトラバースして池原下集落へ。ここもかやぶきにトタンを
覆った家が目に入る。


 次の池原集落に立つ「千国街道」碑に、「春の野の 越後の方に
道続く」という句が彫られていた。


 二つの集落は棚田や深い姫川の谷を見下ろす高台にあり、昔ながら
の農村のたたずまいをよく残している。


 集落のはずれから上り道となり、車道を2度横切る。天気がすっかり
安定して青空が広がり、大汗が出る。


 しかし、石坂集落に向かう棚田の間の下り道になると風がさわやか
に吹き、汗も引いた。


 ウグイスの鳴く気持ちよい道を進む。浦川を見下ろす好展望地に
幸田文文学碑が立っていた。明治44年(1911)、稗田山(ひえだやま)
の崩落による受難者の鎮魂を祈願したもの。

 幸田は昭和52年(1977)にこの地を訪ねて取材し、雑誌「婦人の友」
に寄稿、のち紀行文「崩れ」を発刊したという。

 アーチ橋の浦川橋を渡り、標識に従い浦川左岸に向かって下る。沢音
と向かい風が心地よい。


 「塩の道・千国街道」道標に、「トチの実を栗鼠(りす)と競いて塩の道」
の句が記されていた。


 正面に見えた稗田山崩落監視塔と風車の下を通過する。


 少し上がった好展望地に、塩の道千国街道と稗田山の崩壊について
の説明板があり、崩壊時に土石流で流れてきたという大石が並んでいた。


 その先から舗装路となり、姫川や東の山並みを眺めながら進んで
来馬(くるま)集落に入る。

 鎌倉時代の青銅鏡があるという来馬諏訪社を抜け、姫川を見下ろす
高台の常法寺に参詣する。

 本堂には県宝の阿弥陀如来及両脇侍立像が、姫川を背にした境内
には古い石仏が並んでいた。


 姫川左岸沿いに進み、村営の来馬温泉下を回って小谷橋の西側に
出る。

 橋を渡れば北小谷駅だが、上り電車まで1時間ほどある。左折して、
国道を挟んで咲くネムの花を見ながら少し進み、道の駅小谷に寄る。

 特産品や地酒の販売、レストランや軽食コーナー、天然温泉「深山の
湯」などがある。

 汗を流したいが温泉に入るには時間が足りない。牛乳や冷水を飲ん
で汗を鎮め、夕食用の弁当を買って駅に向かった。

 旧道の小谷橋を渡り、無人の北小谷駅に着いた。帰途は、きょうから
使える青春18きっぷの1枚目を利用し、8時間近くかけて帰宅した。

(天気 晴、距離 18km、地図(1/2.5万) 塩島 雨中 雨飾山)
 
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塩の道・千国街道を歩く(栂池~北小谷①)

2006-08-21 18:12:14 | 塩の道を歩く
 第88回全国高校野球大会決勝戦は、延長再試合という熱闘、
今日の再試合も、手に汗握る接戦でした。

 見事初優勝の早稲田実業、夏3連覇はならずとも健闘した
駒大苫小牧高の両校に大きなを送ります。

 さてこちらは、塩の道・千国街道のなかでも、1番当時の雰囲気の
残る長野県小谷村(おたりむら)のレポートです。

 
 2004年7月20日(火)
 =千国番所跡を経て北小谷へ①=

 朝、青空が見えるが低い雲もある。でも、雨の心配は無さそう。
8時前、宿泊した長野県小谷村栂池のロッジを出る。

 ロッジに近い松沢の三差路、直進するもう一つの細道が塩の道。
少し進むと松の木の下に前山百体観音があり、西国、秩父、板東の
百観音が整然と並んでいた。

 江戸時代の建立らしいが、小谷村のほか白馬村や大町市の願主の
名前が記されているという。正面の弘法大師像は、安政5年(1858)
の造立と記されていた。


 前山の山すそを進む草の道は、親の原スキー場や松沢、栂池などの
集落を眺めながらの気持ちよい道。


 沓掛(くつかけ)集落が近づき、花盛りのそば畑の向こうにかやぶき
の家が現れた。40年前のような農村風景である。


 沓掛集落には、牛方宿(うしかたやど)が残っていた。先ほど見えた
かやぶきの家がそれで、牛は土間に牛方は2階に寝泊まりして、塩の
道の旅の疲れをとった宿だという。

 開館時刻前のため、内部を見学することは出来なかった。

 庚申塔の並ぶ庚申塚で車道を左に分け、せせらぎを左に聞きながら
杉林の下、石ころの多い清水坂を下る。

 右手からわき出る冷水は「弘法の清水」と呼ばれ、牛や牛方ののど
を潤したという。

 すくって飲んでみたら冷たくておいしい。少し下には、大きな岩に穴の
空いた牛つなぎ石があった。

 弘法の清水の下は親坂。けっこう傾斜があり、重荷(おもに)を担いで
の上りはきつかったと思われる。

 坂を下った親沢のほとりの斜面に古い馬頭観世音がたくさん並び、
その間にユキノシタが咲いていた。


 沢を渡って千国(ちくに)集落へ。親沢左岸の谷間に、かやぶき屋根
をトタンで覆った家が数戸見られ、街道らしい雰囲気が漂う。

 集落の中ほどに、復元された千国番所と千国の庄資料館があった。

 千国番所は、慶長年代(1596~)から明治2年(1869)までの
約270年にわたり、塩や海産物、穀類などの運上銭の徴収や、人改め
をした千国街道の要だったところ。

 番所の中には、取締りをする役人の人形が復元されていた。

 千国の庄資料館は、千国集落にあった民家を移築したもの。いろり
や居間があり、黒光りする梁や柱が建物の歴史を示し、馬小屋や塩の
カマスをつけた背負子が、当時の交流を忍ばせてくれる。

 桝方と呼ぶ、90度曲がる道筋を左折、親沢を合した姫川の左岸沿い
に北に向かう。かやぶきの民家も残っていた。


 街道沿いの民家の庭先には、ネムノキ、アジサイ、ヒャクニチソウなど、
色鮮やかな夏の花が咲き競う。

 杉林に囲まれた風格のある社殿の千国諏訪神社の前から車道に
分かれ、草と土の道を上がった。


 高台にある源長寺からは、東側の緑濃い山並みと、その山腹に転々
と並ぶ民家などの眺めがよい。参道入口に、33体の石仏が並んでいた。

 小谷中の裏から黒川沢に出て、高圧線の下で車の通れぬ橋を渡る。


 草の道を上がると、棚田のあぜにグラジオラスやノカンゾウが咲き、
谷を挟んだ山並みの展望が広がる。

 こんなに気持ちよい道を、一人で歩くのはもったいないなと思う。

 大別当集落を抜け、庚申塔や道祖神の並ぶ庚申塚を過ぎて杉林へ。
東斜面をトラバースしながら少しずつ下る。

 小土山の集落も、コスモスやダリア、ヒャクニチソウ、タチアオイなど
が咲き競っていた。

 集落の中ほどに庚申塔などの石造物群が並んでおり、中に線刻の
珍しい鍾馗様(しょうきさま)が2体あった。

 鍾馗は疫病除けの神だという。昭和46年(1971)7月、この場所
から姫川をせき止める大崩落があったことも記されていた。

 杉林の三夜坂をヘヤピン状に下る。二十三夜塔のそばに、「歩荷
(ぼっか)は江戸の宅配便」という木札があった。言い得て妙である。
                             〈続く〉
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塩の道・千国街道を歩く(白馬~栂池)

2006-08-20 12:34:27 | 塩の道を歩く
 塩の道・千国(ちくに)街道は、長野県松本市~新潟県糸魚川市間の
約120kmにわたります。

 神話時代から塩を運んで信州の人々の生活を支え、上杉謙信が敵方、
武田信玄の窮状を察して牛馬により塩を運ばせた道です。

 JR大糸線や姫川に沿って南北に伸びる道を私は、2002年7月から
昨2005年9月までの毎夏、4年がかり7日ほどかけて歩きました。

 今日は、そのうちの信州側の北端、白馬(はくば)~栂池(つがいけ)の
区間について紹介します。一昨年7月に歩いたものです。


 2004年7月19日
 =塩の道・千国街道 白馬から栂池まで=

 午前中に栂池自然園を歩いたハイキングの仲間と白馬駅前で別れ、
14時40分、一人で塩の道・千国街道に向かった。


 400m余り西の交差点で、塩の道の案内板に従い北に進む。ヒグラシ
がしきりに鳴く平川神社には、りっぱな庚申塔があった。

 白馬高の先から西側の展望が開け、白馬大雪渓と八方尾根が望める。
しかし稜線は雲に隠れて見えない。


 緑あふれる水田を過ぎ、国道148号に出て松川橋を渡る。
 
 日本海まで46㎞の標識が立ち、橋の北側には、ドライブインや温泉、
コンビニなどがある。

 「白馬新田・森上」交差点で国道に分かれ、新田集落へ。

 すぐ先のT字路から西へ向かう道沿いには、きれいな用水が流れ、
桜並木の下に花盛りのアジサイが続いている。

 突き当たったT字路の左手に水車小屋と水神塔があり、正面には
大きな大黒天と道祖神が並んでいた。


 北に進み、がけ下から左に石段を上がって水田の横の草道に出る。

 気持ちよい田園風景、流れの横にルドベキアが色鮮やかに咲いていた。

 車道に出て左の林を100mほどで観音原と呼ばれところへ。広い芝生
の回りに石仏が並ぶ。

 江戸末期の天保年代(1830~44)に南信の高遠石工(たかとういしく)
が刻んだといわれ、西国、板東、秩父観音霊場の石仏などが、187体
あるという。

 まだかやぶき屋根の家が残る切久保集落に向かう。

 切久保集落入口には、切久保庚申塚があり、天和3年(1683)の庚申
塔や、二十三夜塔、馬頭観音などの石仏群が並んでいる。

 当時から村民のほか、歩いて荷を運んだ歩荷(ぼっか)や、旅人たちの
安全加護を祈っていたことがうかがえる。

 集落の北端、大杉に囲まれた切久保諏訪神社に参拝。社殿の前には、
小さいが趣ある石造りの太鼓橋がかかっていた。


 歩くスキー用の陸橋を過ぎ、ヒグラシがにぎやかに鳴く杉やカラマツの
林を抜ける。

 楠川の橋際に「おかる穴」の説明板があり、嫁としゅうとめとの不和に
関わる伝説のことが記されていた。


 その横で車道に分かれて草の道を上がる。雨上がりで水の流れている
ところもあるが、塩の道らしい雰囲気のよく残る山道だ。

 カラマツの林を抜け、グランドの横に出て、地蔵前バス停のところで
車道に戻った。

 春先にはミズバショウが咲くという落倉自然園横を通過、そばに風害
や風邪予防などの庶民信仰を伝える風切り地蔵があり、アジサイが
見ごろ。


 道祖神や甲子塔の並ぶ落倉バス停を過ぎて、ラフォーレ白馬の横を
下って小谷村(おたりむら)に入る。

 松沢を渡ってすぐ先の薬師堂には、庚申塔、道祖神など30体近い石仏
が並んでいた。

 白馬村も小谷村も本当に石仏が多いところだ。松沢集落に入り、左に
車道を分け、タチアオイやルドベキアの咲き乱れる民家の横から草の道
をまっすぐに上がる。

 200mほどで車道に戻った。

 近くに体育館があり、その手前が今日の宿、17時ちょうどに着く。
冬は栂池スキー場のスキーヤーでにぎわうようで、周辺には民宿や
ロッジが多い。

 しかし連休最後の今日、宿泊客は私ひとり。そばにある栂池温泉・
元湯栂の森で、汗を流した。
 
(天気 晴、距離 7km、地図(1/2.5万) 白馬町、塩島)

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