今回のトルコ旅行は、5月18日(火)に成田空港を出発して空路、トルコ・イスタ
ンブールに入り、翌日から7日間、トルコ西部の世界遺産などを巡った。
2日目からの、日々の旅の様子を順次報告する。
ちなみに、宿泊地は ①イスタンブール、②アイヴァリク、③パムッカレ、④コンヤ、
⑤カッパドキア、⑥イスタンブール、⑦帰路の機内泊である。
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2010年5月19日(水)
成田国際空港からのトルコ航空にて、前日の20時過ぎトルコ第1の都市イスタン
ブールの空港に着き、空港から比較的近いホリディイン エアポートホテルに宿泊
した。
今回のメンバーは12人、この日は7時45分にホテルから大型バスに乗る、12
人で50人乗りくらいのバスなので、通路を挟んで4人並びの座席に1~2人だけ
座ればよく、ゆったりできるのがありがたい。
トルコは、アジアとヨーロッパに属するただひとつの国。その中でイスタンブール
はトルコの北西端近くにあり、ボスフォラス海峡を挟んで、アジアサイドにもヨーロ
ッパサイドにも市街がある。
イスタンブールの人口は、東京都と同じくらいの約1200万人という世界有数の
大都市、面積は5343平方㎞あるという。
バスはビルの林立するヨーロッパサイドの市街を抜けて、マルマラ海沿いに南西
に向かう。次第に人家が少なくなり、緩やかな起伏の緑豊富な平原が広がる。
緑の濃いところは林で、ほとんどが松林。日本の黒松や赤松とは違う種類のようだ。
このほか沿道には麦畑が多く、一部には水田もあり、その後の食事でライスを何度
も食べる機会があった。
マルマラ海の西端まで進んで、西側のエーゲ海とを結ぶ長さ62㎞、狭いところは
幅1.2㎞というチャナッカレ海峡沿いに入り、中ほどの町Eceabatにあるカーフェリー
乗り場のそばで昼食をした。
波止場に停泊中のカーフェリー。われわれのバスは右側のフェリーに乗る。
カーフェリーは12時30分に港を離れた。
対岸のアジアサイドから来たカーフェリーと行き交う。
アジアサイドが近づき、30分足らずで対岸の町、チャナッカレに着いた。
チャナッカレから再びバスで約30分、20㎞ほどで、世界遺産トロイ遺跡に着く。
トロイは、伝説上の都市と信じられていたが、ドイツの考古学者シュリーマンが
私財を投げ売って発掘を続け、1870年に発掘した遺跡である。
ここは城門への入口。突き当たりを左折するところは、外敵の侵入を防ぐため、
さらに狭くなっていた。
遺跡の一角から見える風景。当時は海が近くまで迫っていたようだ。
ここに初めて集落ができたのは紀元前3000年ごろ、それから紀元400年ころ
までの間に、9つの時代の都市が重なり合っているという。
遺跡のあちこちに咲くヒナゲシ。トルコの気候風土に合うのか、この後もあちこち
で見た。
9層に重なった都市層が見られるところ。下から上にⅡ、Ⅲ、Ⅳの表示が見える
が、その時代の都市層を示す。
遺跡の高台から見える、4つ前の写真とは別方向の眺め。手前の黄色いところは、
実りを迎えた麦畑。
大劇場だったところ。右手の木のところが舞台だった。
遺跡の入口付近には、トロイの象徴ともいえる「トロイの木馬」の復元像がある。
1975年に当時の大きさで復元したが、形はこのようだったかははっきりしない
らしい。
階段を上がって中に入り、窓から外を眺めることができる。
この日の観光はトロイ遺跡のみ。ここからエーゲ海沿いに南下する。周辺は次第に
オリーブ畑が増え、やがて一面、山の上までオリーブ畑が広がる。
通過する町並みには、新築の集合住宅が目立ち、その屋根にはどこも、太陽熱の
温水設備やパラボラアンテナが並び、ベランダでのバーベキュー用という煙突も目に
ついた。
トロイからアイヴァリク(Ayvalik)まで、約170㎞南下し、エーゲ海に面したグランド
テミゼル(GRANDTEMIZEL)ホテルに宿泊した。
プールの右手を下りると、海水浴場の砂浜と紺碧のエーゲ海が広がる。
対岸に見えるのは、大きな島である。
ンブールに入り、翌日から7日間、トルコ西部の世界遺産などを巡った。
2日目からの、日々の旅の様子を順次報告する。
ちなみに、宿泊地は ①イスタンブール、②アイヴァリク、③パムッカレ、④コンヤ、
⑤カッパドキア、⑥イスタンブール、⑦帰路の機内泊である。
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2010年5月19日(水)
成田国際空港からのトルコ航空にて、前日の20時過ぎトルコ第1の都市イスタン
ブールの空港に着き、空港から比較的近いホリディイン エアポートホテルに宿泊
した。
今回のメンバーは12人、この日は7時45分にホテルから大型バスに乗る、12
人で50人乗りくらいのバスなので、通路を挟んで4人並びの座席に1~2人だけ
座ればよく、ゆったりできるのがありがたい。
トルコは、アジアとヨーロッパに属するただひとつの国。その中でイスタンブール
はトルコの北西端近くにあり、ボスフォラス海峡を挟んで、アジアサイドにもヨーロ
ッパサイドにも市街がある。
イスタンブールの人口は、東京都と同じくらいの約1200万人という世界有数の
大都市、面積は5343平方㎞あるという。
バスはビルの林立するヨーロッパサイドの市街を抜けて、マルマラ海沿いに南西
に向かう。次第に人家が少なくなり、緩やかな起伏の緑豊富な平原が広がる。
緑の濃いところは林で、ほとんどが松林。日本の黒松や赤松とは違う種類のようだ。
このほか沿道には麦畑が多く、一部には水田もあり、その後の食事でライスを何度
も食べる機会があった。
マルマラ海の西端まで進んで、西側のエーゲ海とを結ぶ長さ62㎞、狭いところは
幅1.2㎞というチャナッカレ海峡沿いに入り、中ほどの町Eceabatにあるカーフェリー
乗り場のそばで昼食をした。
波止場に停泊中のカーフェリー。われわれのバスは右側のフェリーに乗る。
カーフェリーは12時30分に港を離れた。
対岸のアジアサイドから来たカーフェリーと行き交う。
アジアサイドが近づき、30分足らずで対岸の町、チャナッカレに着いた。
チャナッカレから再びバスで約30分、20㎞ほどで、世界遺産トロイ遺跡に着く。
トロイは、伝説上の都市と信じられていたが、ドイツの考古学者シュリーマンが
私財を投げ売って発掘を続け、1870年に発掘した遺跡である。
ここは城門への入口。突き当たりを左折するところは、外敵の侵入を防ぐため、
さらに狭くなっていた。
遺跡の一角から見える風景。当時は海が近くまで迫っていたようだ。
ここに初めて集落ができたのは紀元前3000年ごろ、それから紀元400年ころ
までの間に、9つの時代の都市が重なり合っているという。
遺跡のあちこちに咲くヒナゲシ。トルコの気候風土に合うのか、この後もあちこち
で見た。
9層に重なった都市層が見られるところ。下から上にⅡ、Ⅲ、Ⅳの表示が見える
が、その時代の都市層を示す。
遺跡の高台から見える、4つ前の写真とは別方向の眺め。手前の黄色いところは、
実りを迎えた麦畑。
大劇場だったところ。右手の木のところが舞台だった。
遺跡の入口付近には、トロイの象徴ともいえる「トロイの木馬」の復元像がある。
1975年に当時の大きさで復元したが、形はこのようだったかははっきりしない
らしい。
階段を上がって中に入り、窓から外を眺めることができる。
この日の観光はトロイ遺跡のみ。ここからエーゲ海沿いに南下する。周辺は次第に
オリーブ畑が増え、やがて一面、山の上までオリーブ畑が広がる。
通過する町並みには、新築の集合住宅が目立ち、その屋根にはどこも、太陽熱の
温水設備やパラボラアンテナが並び、ベランダでのバーベキュー用という煙突も目に
ついた。
トロイからアイヴァリク(Ayvalik)まで、約170㎞南下し、エーゲ海に面したグランド
テミゼル(GRANDTEMIZEL)ホテルに宿泊した。
プールの右手を下りると、海水浴場の砂浜と紺碧のエーゲ海が広がる。
対岸に見えるのは、大きな島である。