あるきメデス

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秩父札所ジオウオーキング(影森駅~武州中川駅)(埼玉)

2011-11-02 19:00:43 | ウオーキング
 2011年10月30日(日)

 秩父まるごとジオパーク推進協議会の主催、日本地質学会関東支部後援、NPO秩父まる
ごと博物館運営の、「ひと味違った札所巡りジオウオーキング」に参加した。

 ちなみに、ジオパークとはユネスコの支援するプログラムで、優れた大地の遺産(ジオ
・Geo)の保護・活用、そしてそこで生まれた自然環境と地域の人々の活動を支援し、地域
振興に役立つ新たな活動のこと。

 秩父ジオパークは9月5日に、日本ジオパーク委員会から全国で15番目の日本ジオパー
クに認定された。

 集合は秩父鉄道の影森(かげもり)駅。西武秩父駅から2.5㎞ほどなので、影森駅まで
は歩いて行く。参加者は約50人、主催者、後援者、運営者の挨拶があり、2組に分かれて
10時25分に影森駅を出た。

 線路沿いを少し進んで踏切を渡り、線路の南に回って昭和電工の工場に向かう。工場まで
の道路は、もと秩父鉄道から工場への専用線の廃線跡だという。


 昭和電工工場の構内に入ると、正面に石灰岩採掘で形の崩れた武甲山が望まれる。構内の
一隅に、「国産フェロクロム発祥の地」碑があり、昭和6年(1931)に初の国産化に成
功したことなどが記されていた。

 昭和電工構内を抜けて、秩父札所の道しるべ石の立つ横から、林の中を340段の石段を
上がり、岩山の傍らに立つ秩父霊場二十六番札所の岩井堂に行く。


 弘法大師が護摩壇を設けたのがはじめと伝えられ、建物は、京都の清水寺のような舞台造
り。裏手の岩をうがって石仏が並んでいた。

 その岩は、斎所山チャート部層と呼ぶもので、水晶と同じ二酸化ケイ素を成分としている
という。

 岩井堂を後に、「琴平丘陵」と呼ぶ、ところどころに岩の露出した細い尾根道に設けられ
た、林間の琴平ハイキングコースを上り下ろしながら西に進む。


 左手に、採掘した石灰石を運搬するコンベアが見え隠れする。


 岩井堂から700m余り進んだ狭いピークの岩の上に、昭和10年(1935)に開眼さ
れたという護国観音が立っている。

 高さ15m、観音様ながらハスの花の代わりに剣を持っていることから護国観音と呼び、
開眼当時は、高崎、大船とともに関東三観音といわれたとのこと。

 北側の展望が開けていて、秩父盆地の家並み、最低地を流れる荒川や河岸段丘などの構造
や、その成因などについて、詳しく説明していただいた。


 真下に見える二十七番札所大渕寺(だいえんじ)に向かい、林間のジグザグ道を急降下し
て行くと、最上部にある月影堂と呼ぶ観音堂のところに出た。

 もとは七番札所として別の場所にあり、江戸時代の末期にここに移築されたが、大正8年
(1919)に汽車の煤煙で本堂とともに消失、平成8年(1996)に再建されたようだ。

 本堂の前には、延命水と呼ぶ湧水が掛樋(かけひ)から流れ落ち、この水を飲むと、33
か月長生きすると伝えられているという。


 山門横に、埼玉県指定旧跡「影森用水」の説明板がある。安政4年(1857)、当時の
上影森村名主の関田宗太郎氏が、戸数82の村内で飲料水が困っているのを見て、私財を投
じて水路を通して飲料水や農業用水に利用できるようにしたとのこと。そばに、それらしい
石積みの溝が残っていた。


 秩父鉄道の線路の北に出て、長屋門の家の残る宮本町の家並みを南西に向かう。

 再度踏切を渡り、石灰石の積み出し用の専用線、旧武甲線の廃線跡を利用したハイキング
コースを経て車道に入り、秩父市立浦山歴史民俗資料館に12時25分に着き、昼食と観覧
の時間となる。


 到着間近、ぱらぱらと雨が落ちてきたので、屋根下に腰を下ろして弁当を食べた後、館内
を巡る。

 この資料館は、近くの浦山ダム建設に伴う水源地整備事業により、浦山地域の生活文化の
復元と保存・伝承を目的として建設されたもの。入館は無料である。


 展示室には、浦山の獅子舞に使われる獅子頭や、浦山の生活用具、自然や歴史、さらに秩
父全域の地質図や「秩父の地質50選」の写真パネルなどが展示されていた。

 雨もわずかで上がり、13時10分に出発して午後のコースへ。

 すぐ先に、埼玉県内最初の近代水道として、大正13年(1922)に供給を開始したと
いう橋立浄水場があり、相対する秩父鉱業の事務務所前に、創立者、浅野総一郎の小さい銅
像が立っていた。


 そばのY字路際には、影森用水之碑、影森簡易水道碑、影森水道記念碑の三つの石碑が立
っているが、時代が経過して碑の文字が判読しにくいのが残念だ。


 Y字路の右側を橋立川沿いに入ると岩山が迫り、二十八番札所橋立堂がある。橋立堂は、
武甲山の石灰岩体の西の端に位置し、南向きの高さ約40mの大岸壁の下に、食い込むよう
に立っていた。


 朱塗り方形屋根のお堂は江戸中期の作といわれ、本尊は、秩父札所三十四か所中でただ一
つの馬頭観世音座像で、鎌倉時代の優秀な作らしい。


 切り立つ岸壁下部は、えぐり取られたようになっていて、7万年前に河岸段丘の影森面が
形成されたときの、浸食によるものと考えられるという。岸壁からは、縄文初期から古墳時
代にかけての遺跡が発掘されているようだ。

 橋立堂の横に、県内唯一の観光洞である橋立鍾乳洞があり、全長約150mの見学路を巡
れるが、時間の関係で観覧は省略した。

 浄水場の近くまで戻り、秩父鉄道の浦山口駅東の鉄橋をくぐった先に、浦山口不動名水が、
杉木立下の斜面から流出し、かたわらに不動堂が祭られている。


 橋立浄水場などのある影森面の、段丘堆積物中の自由水がその基底から湧出するもの。
 江戸時代の地図にも記され、日照りにも枯れることなく、住民の生活を支え、旅人の渇き
を癒やしてきたという。

 隣接して久那水道組合の湧水池の蛇口もあり、車で来た人が、ポリタンクにたくさん汲ん
でいた。

 浦山口駅の南まで戻り、橋立川が荒川に流入する合流点そばの橋を渡る。渓谷のモミジの
見頃はもう少し先になりそう。


 さらに進むと、次の渓谷の浦山川を渡る橋があり、南側に、高く築かれた浦山ダムの堰堤
(えんてい)が望まれる。


 水資源開発公団が、31年の年月をかけて平成11年(1999)に完成。堤高156m、
堤頂の長さ372mある重力式コンクリートダムで、総貯水量は東京ドーム47杯分に当た
る5,800立方m。東京、埼玉の60万人分の飲料水のほか、県営の5千kwの発電にも利用
されているという。

 橋を渡って右に回り込み、坂を上がると、浦山川左岸段丘面に、二十九番札所の長泉院が
あった。入口に、2本に分かれた見事なシダレザクラが立つている。


 もとは南方約500mの山頂近い岸壁にあったが、寛保3年(1743)に類焼してここ
に移され、現在の本堂は天保4年(1833)に建てられたようだ。


 北側の車道を西へ、この付近はソバの産地で、二つの送電線下を過ぎたあたりのソバ畑に、
黒く実ったソバがたくさん見られる。


 栃久保集落に入り左手山すそを進んで、シダレザクラで知られる清雲寺(せいうんじ)に
入った。


 境内には10数本のシダレザクラがあるが、本堂西側の古木は、応永30年(1423)
の開山当時に植えたと伝えられるもの。

 樹高15m、目通り2.7mあり、県天然記念物である。

 隣接する若御子(わかみこ)神社の境内から、急斜面の遊歩道を5分ほど上がり、県天然
記念物、若御子断層洞をのぞき見る。


 若御子断層は、秩父中・古生層のチャートと呼ぶ硬い岩石で出来ていて、断層洞とは、断
層破砕帯の中の粘土や礫(れき)が、地下水により洗い流されて生まれた空洞で、日野断層
と呼ばれているという。近くには、小規模の断層も見られた。


 神社境内に戻り、二つに分かれたグループが合して、主催者などの閉会の挨拶があり散会
となる。


 たくさん実る柿の木や、はるかに広がるソバ畑などを眺めながら西に進み、15時48分
に秩父鉄道の武州中川駅に着いた。


(天気 曇一時雨、距離 8㎞、地図(1/2.5万) 秩父、歩行地 秩父市、歩数
 13,800)
 


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