2011年11月13日(日)
週末は雨のパターンが崩れ、カントリーウオークグループの第188回例会は穏やかな
好天となる。参加メンバーは4組に分かれ、2年前の3月に開業のJR川越線西大宮駅を
10時10分にスタートした。
==高木や中釘の寺社を回る==
駅北口は区画整理事業が進捗中で、地図に無い道路が何本も出来ている。それらを西に
進けて新しい十一面観音堂↓の前を過ぎ、指扇(さしおうぎ)小の西から北に向かう。
国道16号西大宮バイパスの手前、畑を囲む金網にハヤトウリが実っている。畑の持ち
主が居られたので声をかけたら、そのハヤトウリを10個余り、もいでくれた。出だしか
ら思いがけずの収穫だ。
バイパス北側の車道に入り、墓地だけの法願寺へ。貞和5年(1349)のものなど、
板石塔婆(いたいしとうば)が23基並んでいた。
埼玉栄高の手前から左折し、造成工事中の仮設道路を進んで高木集落に上がり、阿弥陀
寺に入る。
墓地に指扇城主・山内一唯(やまのうちかずただ)の家臣、高村権之丞の墓があるとい
う。後から来たTさんに教えてもらい、場所を確認した。
門前には、同じ家臣の「本山伊兵衛茂正の墓所」と記された新しい標石も立っていた。
北西側すぐ近くの法光寺に回る。山門を入った右手に、さいたま市天然記念物のシイノ
キが大きく枝を広げている。
高さ15m、目通り4.53m、枝張りは20mある大木であ。本堂の前にマキの実が
たくさん落ちていて、口に入れたら甘かった。
西に向かい、車道を二つ横断した先に、ハス田とクレソンのビニールハウスが隣接して
いた。どちらもきれいな水が流れ、オタマジャクシがたくさん泳いでいた。
暖かいこの秋は、野菜の育ちが早いとか。そばの畑の葉菜もよく育っている。南側の家
の生け垣には、ホップが実を付けていた。
すぐ先、色づいた桜並木を進むと、永昌寺本堂東側に、神殿造りの秋葉三尺坊の建物が
ある。本堂の前には六地蔵が2組と、変わった姿の石仏が数体並んでいた。
皇帝ダリアが見頃になった民家の前の細道を南に入り、さいたま市指定史跡の池上家富士
浅間塚へ。杉木立などに覆われた塚の上に、小さい浅間神社が祭られていた。
昼食地である秋葉の森総合公園の入口前を通過して西側に進み、朱塗りの山門をくぐっ
て妙玖寺(みようきゆうじ)に入る。
本堂の左手前に、指扇城主だった山内一唯一族の墓がある。
まず本堂に参拝をと思い本堂の前に行ったら、本堂が開いてご住職の奥様が顔を出し、
「墓だけにして下さい」と言う。墓を見ている間、奥様はじっと私たちの行動を監視?さ
れていた。
大坂の陣で軍功のあった土佐藩主・山内忠義の実弟・一唯は、元和9年(1623)に
二代将軍徳川秀忠から指扇領三千石を拝領し、以後三代67年間ここ中釘(なかくぎ)に
陣屋を構え、当地を納めたという。
墓地には、一唯、一輝父子、それに一唯の継室栄松院とその実母の墓が並んでいる。
門前を更に西進して竹林の間を北に入り、昼食地の秋葉の森公園南西端に12時37分
に着いた。
==大宮花の丘農林公苑へ==
13時21分に出発、公園内のサッカー場や駐車場の横を回り、北側の自然保護ゾーン
に入った。
コナラやイヌシデなどの広葉樹林の間に、ウッドチップを敷いた遊歩道が続く。オタマ
ジャクシの泳ぐ池の横や、タヌキのトンネルの上、湿地にかかる木道などを通過して、東
北端に回って秋葉の森総合公園を抜けた。
菊の咲き乱れる畑の前や、日産の自動車保管場の北を通過し、埼玉運輸支所横の交差点
に出た。県道216号を少し南下して東へ。
境内に樹木の少ない観音寺の仁王門に、コンクリート造りらしい素朴な仁王様様が立つ。
次の三差路際にある「高木の庚申塔」は、寛政3年(1791)に建てられたもの。邪
鬼を踏む金剛像と三猿が彫られていて、当時の庚申信仰の姿をよく残している。
すぐ先の小さい氏神様には、四十貫目余(150㎏余り)と刻まれた力石が転がっていた。
近くのカーブ点に、珍しいサボテンの無人スタンドがあり、女性の方々が小さい鉢植え
のサボテンを買い求めた。
幅広い国道17号バイパスを越えて大宮花の丘農林公苑に入り、咲き残るバラ園で、記
念撮影をしてから休憩する。
公苑の南端を回って折り返し、一つ南の信号で国道17号バイパスを通過、清河寺(せ
いがんじ)集落に入った。
中原バス停から少し北へ、集落の中を西進するとケヤキの大木が立っていた。県天然記
念物「清河寺の大ケヤキ」で、樹高32m、幹回り8.5m、推定樹齢650年という。
老梅の並ぶ参道を進み、新しい山門をくぐって清河寺に入り、最後の休憩。白木の大本
堂も庫裡(くり)も鐘楼も新しく、庫裡の玄関前にきれいな菊の鉢植えが並んでいた。
庭のイチョウにギンナンがたくさん実っているが、落ちているのは少ない。でも何人か
が拾い集めてビニール袋に納めた。
南に回り、清河寺温泉の横を通過する。温泉は平成11年(1999)に湧出したもの
で、源泉温度は38.3度とのこと。駐車場には、温泉に来た車が多数並んでいた。
清河寺交差点を南へ。県道165号に分かれて西側の車道を進む。JR川越線の線路の
手前に、県史跡の「方墳大塚古墳」がある。
底辺が21mと25mの方形で、古墳時代の墳墓と考えられているという。周辺は区画
整理が進んでいるが、大事に残して欲しいものだ。
線路際を進んで、16時12分にJR西大宮駅に戻った。
(参加 17人、天気 晴、距離 12㎞、地図(1/2.5万) 上尾、歩行地 さい
たま市西区、歩数 24,700)
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週末は雨のパターンが崩れ、カントリーウオークグループの第188回例会は穏やかな
好天となる。参加メンバーは4組に分かれ、2年前の3月に開業のJR川越線西大宮駅を
10時10分にスタートした。
==高木や中釘の寺社を回る==
駅北口は区画整理事業が進捗中で、地図に無い道路が何本も出来ている。それらを西に
進けて新しい十一面観音堂↓の前を過ぎ、指扇(さしおうぎ)小の西から北に向かう。
国道16号西大宮バイパスの手前、畑を囲む金網にハヤトウリが実っている。畑の持ち
主が居られたので声をかけたら、そのハヤトウリを10個余り、もいでくれた。出だしか
ら思いがけずの収穫だ。
バイパス北側の車道に入り、墓地だけの法願寺へ。貞和5年(1349)のものなど、
板石塔婆(いたいしとうば)が23基並んでいた。
埼玉栄高の手前から左折し、造成工事中の仮設道路を進んで高木集落に上がり、阿弥陀
寺に入る。
墓地に指扇城主・山内一唯(やまのうちかずただ)の家臣、高村権之丞の墓があるとい
う。後から来たTさんに教えてもらい、場所を確認した。
門前には、同じ家臣の「本山伊兵衛茂正の墓所」と記された新しい標石も立っていた。
北西側すぐ近くの法光寺に回る。山門を入った右手に、さいたま市天然記念物のシイノ
キが大きく枝を広げている。
高さ15m、目通り4.53m、枝張りは20mある大木であ。本堂の前にマキの実が
たくさん落ちていて、口に入れたら甘かった。
西に向かい、車道を二つ横断した先に、ハス田とクレソンのビニールハウスが隣接して
いた。どちらもきれいな水が流れ、オタマジャクシがたくさん泳いでいた。
暖かいこの秋は、野菜の育ちが早いとか。そばの畑の葉菜もよく育っている。南側の家
の生け垣には、ホップが実を付けていた。
すぐ先、色づいた桜並木を進むと、永昌寺本堂東側に、神殿造りの秋葉三尺坊の建物が
ある。本堂の前には六地蔵が2組と、変わった姿の石仏が数体並んでいた。
皇帝ダリアが見頃になった民家の前の細道を南に入り、さいたま市指定史跡の池上家富士
浅間塚へ。杉木立などに覆われた塚の上に、小さい浅間神社が祭られていた。
昼食地である秋葉の森総合公園の入口前を通過して西側に進み、朱塗りの山門をくぐっ
て妙玖寺(みようきゆうじ)に入る。
本堂の左手前に、指扇城主だった山内一唯一族の墓がある。
まず本堂に参拝をと思い本堂の前に行ったら、本堂が開いてご住職の奥様が顔を出し、
「墓だけにして下さい」と言う。墓を見ている間、奥様はじっと私たちの行動を監視?さ
れていた。
大坂の陣で軍功のあった土佐藩主・山内忠義の実弟・一唯は、元和9年(1623)に
二代将軍徳川秀忠から指扇領三千石を拝領し、以後三代67年間ここ中釘(なかくぎ)に
陣屋を構え、当地を納めたという。
墓地には、一唯、一輝父子、それに一唯の継室栄松院とその実母の墓が並んでいる。
門前を更に西進して竹林の間を北に入り、昼食地の秋葉の森公園南西端に12時37分
に着いた。
==大宮花の丘農林公苑へ==
13時21分に出発、公園内のサッカー場や駐車場の横を回り、北側の自然保護ゾーン
に入った。
コナラやイヌシデなどの広葉樹林の間に、ウッドチップを敷いた遊歩道が続く。オタマ
ジャクシの泳ぐ池の横や、タヌキのトンネルの上、湿地にかかる木道などを通過して、東
北端に回って秋葉の森総合公園を抜けた。
菊の咲き乱れる畑の前や、日産の自動車保管場の北を通過し、埼玉運輸支所横の交差点
に出た。県道216号を少し南下して東へ。
境内に樹木の少ない観音寺の仁王門に、コンクリート造りらしい素朴な仁王様様が立つ。
次の三差路際にある「高木の庚申塔」は、寛政3年(1791)に建てられたもの。邪
鬼を踏む金剛像と三猿が彫られていて、当時の庚申信仰の姿をよく残している。
すぐ先の小さい氏神様には、四十貫目余(150㎏余り)と刻まれた力石が転がっていた。
近くのカーブ点に、珍しいサボテンの無人スタンドがあり、女性の方々が小さい鉢植え
のサボテンを買い求めた。
幅広い国道17号バイパスを越えて大宮花の丘農林公苑に入り、咲き残るバラ園で、記
念撮影をしてから休憩する。
公苑の南端を回って折り返し、一つ南の信号で国道17号バイパスを通過、清河寺(せ
いがんじ)集落に入った。
中原バス停から少し北へ、集落の中を西進するとケヤキの大木が立っていた。県天然記
念物「清河寺の大ケヤキ」で、樹高32m、幹回り8.5m、推定樹齢650年という。
老梅の並ぶ参道を進み、新しい山門をくぐって清河寺に入り、最後の休憩。白木の大本
堂も庫裡(くり)も鐘楼も新しく、庫裡の玄関前にきれいな菊の鉢植えが並んでいた。
庭のイチョウにギンナンがたくさん実っているが、落ちているのは少ない。でも何人か
が拾い集めてビニール袋に納めた。
南に回り、清河寺温泉の横を通過する。温泉は平成11年(1999)に湧出したもの
で、源泉温度は38.3度とのこと。駐車場には、温泉に来た車が多数並んでいた。
清河寺交差点を南へ。県道165号に分かれて西側の車道を進む。JR川越線の線路の
手前に、県史跡の「方墳大塚古墳」がある。
底辺が21mと25mの方形で、古墳時代の墳墓と考えられているという。周辺は区画
整理が進んでいるが、大事に残して欲しいものだ。
線路際を進んで、16時12分にJR西大宮駅に戻った。
(参加 17人、天気 晴、距離 12㎞、地図(1/2.5万) 上尾、歩行地 さい
たま市西区、歩数 24,700)
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