あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

カタツムリ歩行 JR中央線 西武線 国分寺駅(東京)

2011-11-27 18:30:44 | カタツムリ歩行
 2011年11月20日(日)

 JR武蔵野線周辺を歩く「カタツムリ歩行」の第209回例会に参加した。

 集合地の国分寺駅は、JR中央線の快速や特別快速電車の停車駅であるとともに、西
武国分寺線と西武多摩湖線のターミナル駅でもあり、好天となったこの朝は、ウオーキ
ングなどのグループが何組も集まり、たくさんの人でごった返していた。


 10時5分に駅北口を出発してJR中央線の線路沿いを東へ。最初のガードをくぐっ
て南側に回り、線路に向かって斜面を上がると、広い庭と長い塀の続く民家があった。


 線路に近い住宅地の間を東進して、正門の守衛に断り東京経済大学の構内に入る。


 東京経済大の前身は、明治33年(1990)に渋沢敬一らが都内赤坂葵町に創立した
大倉商業学校で、東京経済大学となったのは昭和24年(1949)だという。

 緑の多い構内の校舎の間を東に抜けて、うっそうとした緑陰を下ると、「新次郎池」と
呼ぶきれいな池が現れた。

 1957年から1967年に在任した北沢新次郎学長の時代に池として整備したもので、
以前はワサビ田だったところとのこと。この池には5か所からの湧水が集まるという。

 ちなみに、カントリーウオークグループの例会で訪れた7月3日(日)には、水は涸れ
ていた。

 現在はこのような池からの流れが、南側を流れる野川に流入している。


 流れに沿って、校内とは思えぬ豊富な林間を南側の道路に向かう。道路際には、近隣か
ら通学しているらしい大学生の自転車が何台か置いてあり、そのなかに、新潟県上越市の
出身らしい大学生の自転車も止めてあった。

 中学、高校(糸魚川中、糸魚川高)と通学に利用したものを、いまも大事に使用してい
るようだ。


 桜並木の続く野川の鞍尾橋を渡って、庚申塚通りに入る。だるまのような石の彫刻を置
いた民家があった。何のためなんだろうか…



 貫井町四丁目から五丁目へと車の少ない住宅地を進む。民家の庭先のサザンカの花が見
ごろになり、柿の葉もよい彩りを見せる。


 近くの畑には、いっぱい実を付けた柿の木も。
  

 中層の集合住宅が並び、街路樹のケヤキが色づく都住宅供給公社の小金井貫井住宅を南
に抜ける。


 そろそろゴールに向かおうと貫井南町一丁目で折り返し、地図上の千手院の横に来たが、
寺は無くてその用地は光明第二保育園になり、そばに小さい神社の建物だけが残っていた。


 北に向かうと道路の西側に、高い生け垣で囲まれた広いクリ畑があった。住宅に囲まれ
た一角に、このような広大なクリ畑が残っているとは…


 その通りの東側、住宅地の中の少しのスペースには、10数本のモクレンとハクモクレ
ンを植えた「モクレン緑地」があった。

 小金井市で設けたものである。

 
 交番の角を曲がって一つ西側の通りへ。近くの広い民家の庭先にジャンボユズが実り、
その下には、ヒョウタンのような実の柑橘も見られた。


 野川の坂下橋から、上流に向かって右岸沿い野遊歩道を進む。


 弁天橋で川を離れて、北側の高台にある真明寺に上がる。そう広くは無いが、境内の
庭木はよく手入れされている。


 隣接する西側が、きょうのゴール貫井(ぬくい)神社である。12時ちょうどに着く。


 本堂の西側斜面からも野川の水源になる湧水があり、流れは境内の弁天池に入る。


 境内で昼食後、記念撮影とミーティングをする。ミーティングでは、この歩きの発案
者である「やまさん」が、大正時代に描かれたこの辺りの風景の絵を何枚か持参され、
当時の様子などを紹介してくれた。


 13時頃散会となる。この後回った日立中央研究所の庭園の模様は、当日のブログで
すでに紹介した。

 (天気 晴、距離 4.5㎞、地図(1/2.5万) 立川、歩行地 国分寺市、
  小金井市) 
 


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