あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

この冬初の積雪に(埼玉・所沢)

2013-01-14 15:45:04 | 所沢だより
 2013年1月14日(祝・月)

 朝起きたときには雨だったのですが、9時頃から雪に変わり、午前中はかなり激しく
降り、この冬初の積雪となりました。




 11時過ぎの降雪の様子


 13時過ぎにはさらに激しくなってきました。


 西武池袋線の電車の屋根にも積雪が。


 15時過ぎ、庭隅の竹も首をかしげてお辞儀をし始めました。


 赤い花も冷たそう。


 門灯にも10センチ前後の積雪が


 柿の木の枝は細いので、そんなに積もりません。


 連れ合いが毎年手入れしているサクラソウの鉢も真っ白に。



 
 15時を過ぎて少し小降りになってきたので、そろそろ玄関先と私道の雪かきをしなけ
れば…。でも、3年前のように腰痛にならないよう、注意して作業するよう心がけます。



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関東百駅巡礼歩行 JR常磐線 取手駅(茨城)

2013-01-14 12:11:55 | 関東百駅巡礼歩行
 2013年1月12日(土)

 最終年の10年目に入って最初の「関東百駅巡礼歩行」が開催された。集合はJR常磐線
の取手(とりで)駅。昨年12月、所沢市でのやまさんの講演会で知ったというNさんご
夫妻も初参加され、参加者は久しぶりに10人を超える。


 西口で記念撮影をして11時2分に出発し、南側の地下道を抜けて東口へ。取手二丁目
の商店街のすぐ背後が台地になっていて、階段を上がると広い境内に堂々たる堂宇が並ぶ
長禅寺(ちようぜんじ)である。


 臨済宗妙心寺派の古寺で、朱雀天皇の承平元(931)年に平将門が勅願所として創建
したと伝えられるという。


 大本堂のほか、外部は二層だが内部は三層になっていて、本尊十一面観音と坂東、秩父、
西国合わせて百観音が安置された三世堂↑、新四国相馬霊場の結願寺になる八十八番大師
堂、二階が鐘楼になっている山門など、皆見応えある造り。本堂の前には池もある。


 山門を下って水戸街道である県道11号に出ると、取手名産という奈良漬の新六本店が
あり、おいしそうな奈良漬けを販売していた。


 隣は、杉玉や「取手宿」のちょうちんの下がる、造り酒屋の田中酒造店。


 2階が「やねうら画廊」になっているというので、細い急階段を上がって拝見する。


 背の低い天井だが、骨組みのむき出た建物は年代を感じさせる造り。新年にちなみ、り
っぱな羽子板やきれいな刺繍を集めた額、中国の文学者、陶淵明(とうえんめい)の五言
絶句と天女を描いたふすま絵などが展示されていた。


 県道の少し先に「MEDIA BOX」と呼ぶ骨董(こつとう)店が目に入る。店の前も店内も、
ほとんど外国ものの時計や人形、彫刻、飾り物などが所狭しと並んでいる。


 その先の角を曲がり、利根川左岸河川敷に長く伸びる取手緑地運動公園に向かう。途中、
廃業した古い店を活用したらしい、ちょっと新鮮な感じのそば店があった。


 運動公園はJR常磐線鉄橋の下から下流に向かって伸びているが、鉄橋近くではテント
が張られ、市民のたこ揚げ大会をしている。




 その先では、10数mにもなる高く積んだ枯れ竹の周囲に、市民が持ってきたダルマや
正月飾りなどがたくさん積み重ねられていた。

 16時から火を点けて、どんど焼きで燃やすのだという。付近には露店も並んでいる。


 市民会館の南側辺りの川辺まで進むと「小堀(おおほり=こぼりではない)の渡し」の
立て札が立っていた。対岸の取手市の飛び地、小堀に向かう渡船場である。


 渡船場は上流の運動公園駐車場前にもあり、小堀との間をここと合わせて三角コースで
結んでいる。正午前後には運行が無く、乗船することは出来ない。そばの駐車場際の芝生
地で昼食にする。

 さらに枯れアシの続く河岸に沿って進んで、台宿集落からの流れが利根川に流入すると
ころで堤防に上がる。そばに、「海から83㎞」の標識が立っていた。


 流れ沿いに進んで車道に出て、吉岡バス停のところで本泉寺裏集落に入り、まずはそば
の浅間神社へ。創建は永禄元(1558)年と伝えられ、江戸時代にこの地、吉田村の氏
神となったとか。


 境内北側に、「富士浅間」と「大山石尊」と刻まれた石碑と、読めない字だが山の名を
記した参拝記念碑らしい石碑が並んでいた。


 少し北側には字名(あざな)のもとになる本泉寺がある。境内に樹木は少ないが、枯れ
枝の密生したイチョウとサルスベリの古木が目に付く。


 吉田小の西を進んで県道11号を横断し、次の青柳集落へ。県道229号に出て、すぐ
東北にある地図上の記念碑マークを確かめたら、「井野村耕地整理記念碑」だった。


 青柳一丁目に入って鹿島神社に寄る。寛文13(1672)年の創建で氏子は40戸ほ
ど、こぢんまりとした社殿と境内である。


 西南の井野中に向かう途中、畑のナノハナが咲き出していた。


 その先の井野小前には除洗作業の看板が立つ。この地にも東京電力福島原発の影響が及
んでいるのだ。


 40棟を超える中層住宅の並ぶ、井野団地の真ん中を西に抜ける。井野一丁目の古くか
らの住宅地に上がり、記念碑マークのところに向かうと、近くの交差点に「本多作左衞門
重次墳墓(ほんださくざえもんしげつぐふんぼ)」の標識が立つている。


 石塀に囲まれた一角、桜の古木の下に墓石や墓碑が幾つか並んでいた。墳墓は後方の五
輪塔のよう。本多作左衞門の名は知らなかったが、「一筆啓上火の用心お仙なかすな馬肥
やせ」の手紙で有名な徳川の旧臣であると分かった。


 重次は家康に仕えて当地で三千石を領し、文禄5(1596)年7月に病没したとのこ
と。お仙とは重次の長男・仙千代のことで、のち越前丸岡城4万3千石の城主になった本
多飛騨守(ひだのかみ)成重(なりしげ)だという。墳墓は県指定史跡である。


 台宿二丁目の住宅地に入り、民家の間の細い急斜面を下って下の道に出る。少し迂回し
て西側の台地上にある井野天満神社に上がる。


 室町末期の天正元(1573)年2月、祭神である天神様が昇殿された日に京都の北野
天満宮から分霊を申し受けて祭ったという。


 参道際にカシらしい古木が大きく枝を広げ、南面には天神様ゆかりの梅畑が広がる。社
殿前には、新しい牛の座像彫刻があり、そばの伐採された木株に、花キャベツが植え込ま
れていた。


 西側の取手一高際に出て南進する。高校の運動場でも除洗作業が進められていて、原発
汚染の現実を知らされる。


 ゴールの取手駅には14時30分に着く。寒中とは思えぬ穏やかな日和で、日中の気温
は10度を超えたと思われ、寒さを感ぜずに歩き終えることが出来た。

(参加 12人、天気 晴後快晴、距離 7㎞、地図(1/2.5万) 取手、歩行地 
 取手市、歩数 11,100)



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