2013年7月23日(火)続き
昨日投稿した、東京大学生態調和農学機構のハス見本園を見た後、構内にあるという農
場博物館も今日は公開しているというので、行ってみることにしました。
ハス見本園の北側にある建物の方に向かいます。近くの広葉樹の大木。
その木の北東側に2階建ての建物があり、ハス見本園の観覧者のための販売コーナーが
設けられていました。
早い時間には農場でとれたモモの直売もしていたのですが、すでに売り切ており、私が
回った時にはハスの果托(かたく)だけでした。
近くに居られた方に聞いて、農場博物館に回りました。これがその建物で、思ったより
小さめ。看板はありません。
この建物はもと牛舎で、昭和9(1934)年に建設され、昭和40年(1960)代
半ばには60頭もの乳牛が飼育されていたようです。
昭和49(1974)年にその役割を終えて農業展示室となり、その後展示室は移転問
題などで補修されずに自然崩壊状態になり、危機状況に追い込まれたのですが、農場に残
る建築群の調査を行った結果、関東大震災後の耐震性を重視した貴重な建物と分かり、修
復工事が行われて「農場博物館」として生まれ変わったとのこと。
館内には、農具やトラクターなどを中心のコレクションがたくさん展示されていました。
これは乳製品を製造するもののよう。
東大農学部の前身、駒場農学校で集めた洋鎌刃コレクション。
グレーンドリルと呼ぶ種まき器械。
農機具がたくさん並んでいます。
懐かしい大八車。私もかつて、伯父がひく堆肥などを積んだ大八車の後を押して、きつ
い坂道を上がって手伝いをしたことを思い出しました。
こちらは田んぼの耕耘(こううん)に使う農具などでしょうか。
農場博物館の天井。
この構造の説明パネル。
博物館の前に、ブレーキ付きの木製の平トロッコがありました。新潟県糸魚川市の石灰
工場で石灰石やその製品、燃料に使われる石炭の輸送などに使われたものとか。
製造は昭和初期(1920年代後半)と推定されるようです。
ここで、ハス見本園の催しのことを教えてもらった練馬区のMさんとひょっこり出会い、
農場の北西に広がる演習林も見られると言われ、一緒に回ってみることにしました。
博物館の北には、農機具の納屋らしい建物が見られます。
りっぱなポプラ並木の横を西に進むと、田無演習林と呼ぶ森が広がっています。
杉林
こちらは松林
演習林の南西端に出口があり、その近くに「西東京市の木50選」のクスノキが立って
いました。
ところで、10万坪に及ぶこの広大な演習林と農場の中ほどを、東西に横切る都市計画
道路・都道西3・4・9号線を通す計画が持ち上がっていて、演習林に住むオオタカなど
生物多様性が守れなくなるのではないかと危惧されており、都道の建設を断り売却予定地
1万坪を農地として残すような運動が行われているようで、行方が気になるところです。
その道路にかかりそうな演習林の出口は所沢街道に面していて、バス停六角地蔵のそば。
そのY字路を北に向かい、ひばりが丘団地を抜けて西武池袋線ひばりヶ丘駅に11時38
分に戻りました。
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昨日投稿した、東京大学生態調和農学機構のハス見本園を見た後、構内にあるという農
場博物館も今日は公開しているというので、行ってみることにしました。
ハス見本園の北側にある建物の方に向かいます。近くの広葉樹の大木。
その木の北東側に2階建ての建物があり、ハス見本園の観覧者のための販売コーナーが
設けられていました。
早い時間には農場でとれたモモの直売もしていたのですが、すでに売り切ており、私が
回った時にはハスの果托(かたく)だけでした。
近くに居られた方に聞いて、農場博物館に回りました。これがその建物で、思ったより
小さめ。看板はありません。
この建物はもと牛舎で、昭和9(1934)年に建設され、昭和40年(1960)代
半ばには60頭もの乳牛が飼育されていたようです。
昭和49(1974)年にその役割を終えて農業展示室となり、その後展示室は移転問
題などで補修されずに自然崩壊状態になり、危機状況に追い込まれたのですが、農場に残
る建築群の調査を行った結果、関東大震災後の耐震性を重視した貴重な建物と分かり、修
復工事が行われて「農場博物館」として生まれ変わったとのこと。
館内には、農具やトラクターなどを中心のコレクションがたくさん展示されていました。
これは乳製品を製造するもののよう。
東大農学部の前身、駒場農学校で集めた洋鎌刃コレクション。
グレーンドリルと呼ぶ種まき器械。
農機具がたくさん並んでいます。
懐かしい大八車。私もかつて、伯父がひく堆肥などを積んだ大八車の後を押して、きつ
い坂道を上がって手伝いをしたことを思い出しました。
こちらは田んぼの耕耘(こううん)に使う農具などでしょうか。
農場博物館の天井。
この構造の説明パネル。
博物館の前に、ブレーキ付きの木製の平トロッコがありました。新潟県糸魚川市の石灰
工場で石灰石やその製品、燃料に使われる石炭の輸送などに使われたものとか。
製造は昭和初期(1920年代後半)と推定されるようです。
ここで、ハス見本園の催しのことを教えてもらった練馬区のMさんとひょっこり出会い、
農場の北西に広がる演習林も見られると言われ、一緒に回ってみることにしました。
博物館の北には、農機具の納屋らしい建物が見られます。
りっぱなポプラ並木の横を西に進むと、田無演習林と呼ぶ森が広がっています。
杉林
こちらは松林
演習林の南西端に出口があり、その近くに「西東京市の木50選」のクスノキが立って
いました。
ところで、10万坪に及ぶこの広大な演習林と農場の中ほどを、東西に横切る都市計画
道路・都道西3・4・9号線を通す計画が持ち上がっていて、演習林に住むオオタカなど
生物多様性が守れなくなるのではないかと危惧されており、都道の建設を断り売却予定地
1万坪を農地として残すような運動が行われているようで、行方が気になるところです。
その道路にかかりそうな演習林の出口は所沢街道に面していて、バス停六角地蔵のそば。
そのY字路を北に向かい、ひばりが丘団地を抜けて西武池袋線ひばりヶ丘駅に11時38
分に戻りました。
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