あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

博物館 明治村へ(愛知・犬山)〈後半〉

2016-04-25 23:05:51 | 国内旅行

 2016年4月18日(月) == 愛知県犬山市「博物館 明治村」へ〈続き〉 ==

 博物館 明治村2丁目を貫くレンガ通りの中ほど、木造の大きな商家は、国重要文化財
の東松家(とうまつけ)住宅。名古屋市中村区船入町に明治34年(1901)頃に建設
された。

 東松家は明治20年代後半までは油屋、その後昭和の初めまで堀川貯蓄銀行を営んでい
たとか。中に入ると、古い調度品と直線的な木造建造物の構造が目につく。


 道路を挟んだ斜め前は、明治30年(1897)頃に大阪府南河内郡千早赤阪村(ちは
やあかさかむら)に建設された、千早赤阪小学校講堂(国登録有形文化財)。

 建物の周囲に吹放ち(ふきはなち)の廻廊(かいろう)を巡らせ、1階が雨天体操場で、
2階が講堂だったという。

 ちなみに、千早赤阪村は大阪府にいまも唯一残る村である。

 東松家住宅に並ぶのは京都中井酒造。明治3年(1870)、京都市中京区御幸町に建
設されたもので、国登録有形文化財。中には酒造設備が残されている。


 その隣、黒壁の建物は安田(やすだ)銀行会津支店。明治40年(1907)、福島県
会津若松市大町に建設され、国登録有形文化財である。

 伝統的な土蔵造りをもとに、要所に洋風デザインを施し、火災に強い厚い土壁に洋風デ
ザインがうまくかみ合った、優れた明治建築の好例という。

 「明治村体験処 ハイから衣装館」になっていて、建物内には貸衣装が並ぶ。


 少し下がり隣接するのは、国重要文化財の札幌電話交換局。明治31年(1898)、
札幌市大通り西に建設されたもの。高価な電話交換機を火災から守るため、石材を用いて
建てられている。


 2階には、古い手動式交換台や電話機が展示されていた。


 右手背後の建物内には、京都に次いで国内2番目に運行を開始した名古屋電気鉄道の
「名電1号形」電車が展示されている。

 明治34年(1901)に名古屋で製造され、明治40年代まで名古屋市内で運行して
いた車両。昭和2年(1927)~昭和11年(1936)頃までは、改造のうえ札幌市
電として親しまれたという。


    

 近くには、国登録有形文化財の京都七条巡査派出所がある。

 明治45年(1912)の建設で、京都駅に近い西本願寺や龍谷(りゅうこく)大学の
入口角にあり、西本願寺への参拝客の道案内に応じていた身近な交番だったようだ。

 交番の横を、開村当時から運行している京都市電が通過した。

 京都市電は明治28年(1895)、わが国最初の市内電車として開業しており、明治
村の車両は、明治43~44年に製造された大型の車両で、3駅2区間約800m路線を
約30分間隔で往復運行している。



 村内を運行しているバスも通過したので見送り、東側の3丁目に向かって緩斜面を上
がる。線路際のヤエザクラが見ごろ。


 間もなく、折り返してきた京都市電が、市電 京都七条駅に停車した。

 
 3丁目への上り口からは、いま見てきた2丁目の建物が望まれる。


 3丁目の最初は、北里研究所本館(国登録有形文化財)。

 北里研究所は、ドイツでロベルト・コッホに師事して細菌学を研究した北里柴三郎博士
が、伝染病の研究所として創立したもので、東京都港区白金に大正4年(1915)に建
設されたとか。

 正面車寄上部に取り付けられた紋章は、北里博士が発見した「破傷風菌」に「月桂樹」
があしらわれている。
    

 玄関を入ると、研究所の第11代所長で昨年のノーベル生理学賞・医学賞を受賞された
大村 智博士を祝うパネルがある。
       

 館内には、北里博士の業績を記すパネル、歴代所長・理事長・学長の紹介、研究に使わ
れた顕微鏡などが展示されていた。


    

 玄関横に咲き競うパンジー


 隣接するのは、兵庫県西宮市上甲東園から移設された芝川又右衛門邸(しばかわまたえ
もんてい)。

 明治44年(1911)の建設で国登録有形文化財。移設されたのは平成19年(2007)
で、村内で最も最近移設された建物のようだ。

 芝川又右衛門は大阪で唐物商を営む豪商で、茶道にも造詣深かったとか。邸宅は甲東農
園内に建てた別荘だという。

 南東側の広い邸宅は、西園寺公望(さいおんじきんもち)別邸「坐漁荘(ざぎよそう)」。

 大正9年(1920)に静岡県清水市(現静岡市)興津清見寺町に建設され、国登録有
形文化財である。


 西園寺公望は明治、大正、昭和と平和主義を貫いた政治家で、政治の一線を退いたのち
に別荘を建てたが、事あるごとに政治家の訪問が絶えなかったという。

 部屋数が多く複雑な建物構造が目につき、趣ある日本庭園にも目をひかれた。

 東側高みには、幸田露伴(こうだろはん)住宅「蝸牛庵(かぎゆうあん)」(国登録有
形文化財)がある。

 東京・墨田区向島に明治初年(1868)頃に建設されたもの。文豪幸田露伴が多くの
作品を著した住宅で、次女で女流作家の幸田文(こうだあや)はこの家で生まれたという。

 入鹿池を見下ろす高台にあり、池の周辺などが望見できる。そばのヤエザクラ。
    

 西園寺公別荘付近から北東に下り、入鹿池際に位置する国重要文化財の品川燈台に回る。
     
 品川燈台は、神奈川県の観音埼(かんのんざき)、野島埼(のじまざき)に次ぎ明治3
年(1870)に東京都港区品川第二台場に点灯された洋式燈台。
       
 フランス人技師ヴェルニーの設計で、レンズや金属部をフランスから輸入したとのこと。
観音埼、野島崎燈台が関東大震災で倒壊したため、現存するわが国最古の洋式燈台だとい
う。

 そばには、三重県鳥羽市菅島町に明治6年(1873)に建設された菅島(すがしま)
燈台附属官舎(国重要文化財)がある。

 燈台の灯りを管理する係員の住居で、創建からしばらくは、イギリス人技師が住んでい
たといわれているらしい。

 品川燈台の近くが、京都市電の終点、品川燈台駅である。


 菅島燈台附属官舎の北に回り、神戸西洋館の典型とされる、神戸山手(こうべやまて)
西洋人住居(登録有形文化財)へ。

 神戸市生田区山本通に明治20年代(1887~)に建設されたもの。当初は外国人の
住居で一時日本人の所有となり、その後フランス人が住んだという。

 この近くでも、色濃いヤエザクラが目に入る。


 東側眼下には、明治41年(1908)に東京都豊島区巣鴨に建設された宗教大学車寄
(国登録有形文化財)が見下ろせる。


 神戸山手西洋人住居の西側にある長崎居留地二十五番館は保存工事中で観覧できない。
    

 3丁目の建造物を一巡したが、もう15時30分になる。この先の4丁目、5丁目は省
略することにして正門に戻った。

 正門を出て16時発のバスに乗り、犬山駅東口に16時20分に着く。駅前広場には、
寛永12年(1635)以来継承されてきたという伝統の祭り、犬山祭の車山(やま)を
形どったからくり時計らしいものが立っていた。
     

 そばのスーパー、イオン地下フロアの食品売り場を一巡して西口に回り、17時頃、駅
近くのビジネスホテルに入った。 


 なお、博物館 明治村の詳細については、こちらのWebサイトをご参照下さい。






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コメント (2)
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