4月18(月)~20日(水)、愛知、岐阜、長野県への小旅行に出かけた。日程に従
い、順次その行程を紹介する。
---------------------------------------
2016年4月18日(月) == 愛知県犬山市「博物館 明治村」へ ==
5時43分に自宅を出て、JR東京駅7時33分発の東海道新幹線ひかり503号に乗
る。好天の静岡県東部では、富士山がよく見えた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/66/cb9f7ade89ff1a22d318640b7358dbb8.jpg)
9時17分に名古屋駅で下車する。
名鉄名古屋駅から犬山線で犬山駅まで行き、東口から明治村行きバスに乗る。終点の明
治村バス停には10時28分に着いた。
「博物館 明治村」は、明治建築を保存展示する野外博物館として、昭和40年(1965)
3月18日に開村したとのこと。
私は開村して間もない頃訪ねた記憶があり、帰宅後に調べてみたら、三重県鈴鹿市の社
内研修期間へ半月余り出張していたときの最初の休日、4月18日(日)と分かった。ち
ょうど開村して1か月目、そして今回の訪問はちょうど51年ぶりということになる。
開村当時の建築物は10数棟だったと思われるが、現在は国の重要文化財10棟、愛知
県指定文化財1棟を含む67の建造物が移築保存されているとか。
敷地面積は約100万㎡あり、エリアは南北約1.1㎞、東西約620m㍍に及び、南
西端に近い正門から北西端の北口まで歩くだけでも約20分になるという(入村料 シニ
ア 1,300円)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/82/f7bc0e568b041a529b677dd251bed5f2.jpg)
村内地図によれば、村内は1丁目から5丁目までの五つのエリアに分かれているので、
正門に近い1丁目から順次巡ることにする。
正門は、名古屋市瑞穂区に明治42年(1909)建設の第八高等学校正門で、国登録
有形文化財である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/0e/640a8af3bf712e451015eb5d47e395f2.jpg)
1丁目に入り、最初の建物が大井牛肉店。神戸市生田区元町に明治20年(1887)
頃建設され、牛肉販売と牛鍋の店を兼ねた商店で、国登録有形文化財。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/b4/262e34c52deebec1c8134f0187c43087.jpg)
村内の味どころのひとつ牛鍋大井牛肉店として、文明開化の象徴ともいえる牛鍋を味わ
うこともできる(これは展示されていた見本)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/2b/44ee82b1b88aa81b0fc5f1891c200308.jpg)
その横は、国登録有形文化財の三重県尋常師範学校蔵持(くらもち)小学校。明治21
年(1888)に三重県名張市に建設されたもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/6e/5ceb0e9669fd418013a47944468c0a73.jpg)
建物内には古い教本や教室などが残されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/8c/2b94e620bcc339eedb9729ae5d2d1407.jpg)
隣接して、国登録有形文化財の近衛局(このえきよく)本部附属舎がある。東京都千代
田区に同じ明治21年に建築され、のち皇宮警察本部坂下護衛所として使用されたという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/3b/c41f7e822e7f33bdfc1fb477fed660b7.jpg)
そばに立つ赤坂離宮正門哨舎(しゅしや)も国登録有形文化財。東京・港区元赤坂の現
在の迎賓館にあったもので、当時皇太子だった大正天皇の東宮御所に明治42年(1909)
に竣工したようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/b0/d29066a67d09e7f9318dd2fc9fd2a18c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/4f/c668695c0edd3f2cf5b11cbdcc6895b1.jpg)
村内一帯は豊富な広葉樹林が残り、その間に建物が点在している。左に緩やかに上がる
と、聖ヨハネ教会の大きな建物の前に出る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/ef/56db2a2e037eec934e53bef76072004e.jpg)
国の重要文化財で、明治40年(1907)に京都市下京区に建設された。細部はゴシ
ック調にデザインされた本格的洋風建築で、現存する明治期のキリスト教会堂の代表的な
ものだという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/56/a8b47d7ee795102c1a43164f89241711.jpg)
周辺のモチツツジやヤエザクラ、ガマズミが見ごろになっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/97/1568ffec1588bf86895c20af0e649d01.jpg)
左に上がって学習院長官舎(国登録有形文化財)へ。明治42年、東京都豊島区目白町
に建設された学習院長の公邸で、建設当時の第10代院長、陸軍大将乃木希典(のぎまれ
すけ)は赤坂の私邸から通ったとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/03/8f7cdb9e4f725fbfe7e3e743d2d8465b.jpg)
公邸前のキクモモが鮮やかな彩りを見せる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/35/4797c70cee9e4b4f91fda240a9990cee.jpg)
近くの、西郷従道(さいごうつぐみち)邸は国の重要文化財。東京都目黒区上目黒の通
称西郷山から移築された明治10年代(1877~)の建築物で、従道は陸海軍の大臣を
歴任していたため在日外交官の来客も多く、明治22年(1889)には明治天皇も行幸
されたとのこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/ce/c44d93d17fb5f9553292a35c712e743c.jpg)
館内に入れるので入館して各部屋を回り、調度品などを見た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/ed/570cfe1d5401aacefe11fa6c0fbaf605.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/64/ba8fb91e8ebe197b7775dfb1b84b903c.jpg)
正午が近いのでそばにあった和食処碧水邸に入り、眼下の日本庭園やその向こうに広が
る入鹿池(いるかいけ)などを眺めながら昼食をした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/25/cb974c9e847d6bd523f0b602f562a32c.jpg)
注文したメニューは花御膳(1,350円)である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/93/29553f604b5ecfd0072ed389742737f3.jpg)
12時30分に碧水邸を出て、眼下の日本庭園へ。庭園の外れには、東京盲学校車寄
(くるまよせ)が移築されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/f3/c3dd8ba44ef32c869d9994a5869e8a4e.jpg)
東京・文京区雑司ヶ谷町に明治43年(1910)に建設された、東京盲学校本館の正
面中央に設けられたもの。国登録有形文化財である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/d8/1fb30e87d547298a50ddff38d2c7f247.jpg)
ふり返ると、食事をした碧水邸が望まれ、入鹿池周辺の新緑などの展望が気持ちよい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/3f/7f1254b7975bc266e99ed6dfeac66f23.jpg)
近くのウワミズザクラが、たくさんの花を見せていた。こんなに花いっぱいのウワミズ
ザクラは初めてだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/23/73377e07e2ecd1760af2ebea3c98141e.jpg)
日本庭園から南に緩く上がり、森鴎外・夏目漱石住宅に行く。東京都文京区駒込千駄木
町に明治20年(1887)頃建設されたもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/79/7be6fc61a82b6e2abf75a72e9b6fad69.jpg)
明治の文豪 森鴎外は明治23年から1年半ほど、夏目漱石は約13年後の明治36年
(1903)から約3年住み、「吾輩は猫である」を書いて文壇でその名を高めたゆかり
の家とか。国登録有形文化財である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/da/281a466e543e1be78b80993eb6419b68.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/3f/d8afe40459a42f3a461ab63dbfce1895.jpg)
林間を南に下って正門からの主要道に出て、正門に近い鉄道局新橋工場に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/ce/cbfc37d36e670b709acc7d2745948cf5.jpg)
東京都品川区大井町に明治22年(1889)に建設されたもので、やはり国登録有形
文化財。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/b8/2043bd7db1bdf89194f025b723414650.jpg)
建物内には、明治43年(1910)に新橋工場で製造された明治天皇御料車(6号御
料車)と、明治35年(1902)同工場製の昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)御
料車(5号御料車)(いずれも鉄道記念物)が展示されていた。下は5号御料車の内部。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/13/e3bfae051e12d61bd2587d00bc9c981b.jpg)
鉄道局新橋工場前には、二重橋飾電燈(かざりでんとう)(国登録有形文化財)が立つ。
東京千代田区の皇居内に明治21年(1888)に建設されたもので、昭和39年
(1964)まで使用されたという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/ac/1512dc32f55a082d99074f47c3d50395.jpg)
1丁目の最後は、国重要文化財のひとつで建物も大きな三重県庁舎。明治12年
(1879)に三重県津市栄町に建設された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/8f/a1616be389bbd2bbb36e28ad3c798219.jpg)
間口54mに及ぶ建物で、明治9年に東京大手町に建てられた内務省庁舎にならったも
のとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/6e/35d9698fb698658c623da7de3f711b6d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/34/136998fd16e1716be31e4059d1bc60a7.jpg)
建物内には、明治の宮廷家具が展示されていた。そばのサクラが花開く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/37/93d054b3c5a9f7a1a033c9f2e71221f7.jpg)
食事を含めて約2時間経過して、ようやく1丁目を回り終えた。すっかり曇って気温も
幾分下がり、雨も少しだけ落ちてきた。隣接する2丁目に入り、最初は第四高等学校物理
化学教室の建物へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/3e/9691f0b0102c59122da7fc79d475c75f.jpg)
金沢市仙石町に明治23年(1890)に建設され、国登録有形文化財である。
最初の部屋には、ともに第四高等学校出身でこの明治村の生みの親、名古屋鉄道の社長
や会長を歴任した土川元夫と建築家谷口吉郎の経歴や、昭和40年の草創期の明治村の様
子などが展示され、次の教室は実験もできる階段教室になっていた。
スペースとしては一番狭い2丁目の中央を直線のレンガ通りが走り、その最奥部高みに
は東山梨郡役所(ひがしやまなしぐんやくしよ)がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/6e/1597902a7063233351b727621f7ceded.jpg)
山梨県山梨市日下部(くさかべ)町に明治18年(1885)に建設され、国重要文化
財。三重県庁舎同様、内務省に代表される当時の官庁建築の特徴的建物。当時の県令(現
在の県知事)藤村紫朗は、地元山梨に「藤村式」と呼ぶ多くの洋風建築を建てさせたとい
う。
1階右手の部屋は明治村の村長室で、歴代村長の写真などが展示されている(現・4代
村長は阿川佐和子氏)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/92/99d7407dbda055ab89d31857c9f9e053.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/db/427699513517257ba39b33b7d9654fb1.jpg)
2丁目を貫くレンガ通りの左手建物を順次回る。最初は木曽路の長野県大桑村にあった
清水医院(国登録有形文化財)で、明治30年代(1897~)の建築とか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/b1/27a46dc88e8ec336837135d0488bd775.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/23/01e8ee3da3b9943cac82354651c17a3e.jpg)
島崎藤村の、姉、園子をモデルにした小説「ある女の生涯」に描かれていて、実際に園
子が入院していたという。〈続く〉
旅行・観光 ブログランキングへ
にほんブログ村
い、順次その行程を紹介する。
---------------------------------------
2016年4月18日(月) == 愛知県犬山市「博物館 明治村」へ ==
5時43分に自宅を出て、JR東京駅7時33分発の東海道新幹線ひかり503号に乗
る。好天の静岡県東部では、富士山がよく見えた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/66/cb9f7ade89ff1a22d318640b7358dbb8.jpg)
9時17分に名古屋駅で下車する。
名鉄名古屋駅から犬山線で犬山駅まで行き、東口から明治村行きバスに乗る。終点の明
治村バス停には10時28分に着いた。
「博物館 明治村」は、明治建築を保存展示する野外博物館として、昭和40年(1965)
3月18日に開村したとのこと。
私は開村して間もない頃訪ねた記憶があり、帰宅後に調べてみたら、三重県鈴鹿市の社
内研修期間へ半月余り出張していたときの最初の休日、4月18日(日)と分かった。ち
ょうど開村して1か月目、そして今回の訪問はちょうど51年ぶりということになる。
開村当時の建築物は10数棟だったと思われるが、現在は国の重要文化財10棟、愛知
県指定文化財1棟を含む67の建造物が移築保存されているとか。
敷地面積は約100万㎡あり、エリアは南北約1.1㎞、東西約620m㍍に及び、南
西端に近い正門から北西端の北口まで歩くだけでも約20分になるという(入村料 シニ
ア 1,300円)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/82/f7bc0e568b041a529b677dd251bed5f2.jpg)
村内地図によれば、村内は1丁目から5丁目までの五つのエリアに分かれているので、
正門に近い1丁目から順次巡ることにする。
正門は、名古屋市瑞穂区に明治42年(1909)建設の第八高等学校正門で、国登録
有形文化財である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/0e/640a8af3bf712e451015eb5d47e395f2.jpg)
1丁目に入り、最初の建物が大井牛肉店。神戸市生田区元町に明治20年(1887)
頃建設され、牛肉販売と牛鍋の店を兼ねた商店で、国登録有形文化財。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/b4/262e34c52deebec1c8134f0187c43087.jpg)
村内の味どころのひとつ牛鍋大井牛肉店として、文明開化の象徴ともいえる牛鍋を味わ
うこともできる(これは展示されていた見本)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/2b/44ee82b1b88aa81b0fc5f1891c200308.jpg)
その横は、国登録有形文化財の三重県尋常師範学校蔵持(くらもち)小学校。明治21
年(1888)に三重県名張市に建設されたもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/6e/5ceb0e9669fd418013a47944468c0a73.jpg)
建物内には古い教本や教室などが残されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/8c/2b94e620bcc339eedb9729ae5d2d1407.jpg)
隣接して、国登録有形文化財の近衛局(このえきよく)本部附属舎がある。東京都千代
田区に同じ明治21年に建築され、のち皇宮警察本部坂下護衛所として使用されたという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/3b/c41f7e822e7f33bdfc1fb477fed660b7.jpg)
そばに立つ赤坂離宮正門哨舎(しゅしや)も国登録有形文化財。東京・港区元赤坂の現
在の迎賓館にあったもので、当時皇太子だった大正天皇の東宮御所に明治42年(1909)
に竣工したようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/b0/d29066a67d09e7f9318dd2fc9fd2a18c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/4f/c668695c0edd3f2cf5b11cbdcc6895b1.jpg)
村内一帯は豊富な広葉樹林が残り、その間に建物が点在している。左に緩やかに上がる
と、聖ヨハネ教会の大きな建物の前に出る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/ef/56db2a2e037eec934e53bef76072004e.jpg)
国の重要文化財で、明治40年(1907)に京都市下京区に建設された。細部はゴシ
ック調にデザインされた本格的洋風建築で、現存する明治期のキリスト教会堂の代表的な
ものだという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/56/a8b47d7ee795102c1a43164f89241711.jpg)
周辺のモチツツジやヤエザクラ、ガマズミが見ごろになっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/97/1568ffec1588bf86895c20af0e649d01.jpg)
左に上がって学習院長官舎(国登録有形文化財)へ。明治42年、東京都豊島区目白町
に建設された学習院長の公邸で、建設当時の第10代院長、陸軍大将乃木希典(のぎまれ
すけ)は赤坂の私邸から通ったとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/03/8f7cdb9e4f725fbfe7e3e743d2d8465b.jpg)
公邸前のキクモモが鮮やかな彩りを見せる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/35/4797c70cee9e4b4f91fda240a9990cee.jpg)
近くの、西郷従道(さいごうつぐみち)邸は国の重要文化財。東京都目黒区上目黒の通
称西郷山から移築された明治10年代(1877~)の建築物で、従道は陸海軍の大臣を
歴任していたため在日外交官の来客も多く、明治22年(1889)には明治天皇も行幸
されたとのこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/ce/c44d93d17fb5f9553292a35c712e743c.jpg)
館内に入れるので入館して各部屋を回り、調度品などを見た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/ed/570cfe1d5401aacefe11fa6c0fbaf605.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/64/ba8fb91e8ebe197b7775dfb1b84b903c.jpg)
正午が近いのでそばにあった和食処碧水邸に入り、眼下の日本庭園やその向こうに広が
る入鹿池(いるかいけ)などを眺めながら昼食をした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/25/cb974c9e847d6bd523f0b602f562a32c.jpg)
注文したメニューは花御膳(1,350円)である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/93/29553f604b5ecfd0072ed389742737f3.jpg)
12時30分に碧水邸を出て、眼下の日本庭園へ。庭園の外れには、東京盲学校車寄
(くるまよせ)が移築されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/f3/c3dd8ba44ef32c869d9994a5869e8a4e.jpg)
東京・文京区雑司ヶ谷町に明治43年(1910)に建設された、東京盲学校本館の正
面中央に設けられたもの。国登録有形文化財である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/d8/1fb30e87d547298a50ddff38d2c7f247.jpg)
ふり返ると、食事をした碧水邸が望まれ、入鹿池周辺の新緑などの展望が気持ちよい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/3f/7f1254b7975bc266e99ed6dfeac66f23.jpg)
近くのウワミズザクラが、たくさんの花を見せていた。こんなに花いっぱいのウワミズ
ザクラは初めてだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/23/73377e07e2ecd1760af2ebea3c98141e.jpg)
日本庭園から南に緩く上がり、森鴎外・夏目漱石住宅に行く。東京都文京区駒込千駄木
町に明治20年(1887)頃建設されたもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/79/7be6fc61a82b6e2abf75a72e9b6fad69.jpg)
明治の文豪 森鴎外は明治23年から1年半ほど、夏目漱石は約13年後の明治36年
(1903)から約3年住み、「吾輩は猫である」を書いて文壇でその名を高めたゆかり
の家とか。国登録有形文化財である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/da/281a466e543e1be78b80993eb6419b68.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/3f/d8afe40459a42f3a461ab63dbfce1895.jpg)
林間を南に下って正門からの主要道に出て、正門に近い鉄道局新橋工場に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/ce/cbfc37d36e670b709acc7d2745948cf5.jpg)
東京都品川区大井町に明治22年(1889)に建設されたもので、やはり国登録有形
文化財。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/b8/2043bd7db1bdf89194f025b723414650.jpg)
建物内には、明治43年(1910)に新橋工場で製造された明治天皇御料車(6号御
料車)と、明治35年(1902)同工場製の昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)御
料車(5号御料車)(いずれも鉄道記念物)が展示されていた。下は5号御料車の内部。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/13/e3bfae051e12d61bd2587d00bc9c981b.jpg)
鉄道局新橋工場前には、二重橋飾電燈(かざりでんとう)(国登録有形文化財)が立つ。
東京千代田区の皇居内に明治21年(1888)に建設されたもので、昭和39年
(1964)まで使用されたという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/ac/1512dc32f55a082d99074f47c3d50395.jpg)
1丁目の最後は、国重要文化財のひとつで建物も大きな三重県庁舎。明治12年
(1879)に三重県津市栄町に建設された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/8f/a1616be389bbd2bbb36e28ad3c798219.jpg)
間口54mに及ぶ建物で、明治9年に東京大手町に建てられた内務省庁舎にならったも
のとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/6e/35d9698fb698658c623da7de3f711b6d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/34/136998fd16e1716be31e4059d1bc60a7.jpg)
建物内には、明治の宮廷家具が展示されていた。そばのサクラが花開く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/37/93d054b3c5a9f7a1a033c9f2e71221f7.jpg)
食事を含めて約2時間経過して、ようやく1丁目を回り終えた。すっかり曇って気温も
幾分下がり、雨も少しだけ落ちてきた。隣接する2丁目に入り、最初は第四高等学校物理
化学教室の建物へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/3e/9691f0b0102c59122da7fc79d475c75f.jpg)
金沢市仙石町に明治23年(1890)に建設され、国登録有形文化財である。
最初の部屋には、ともに第四高等学校出身でこの明治村の生みの親、名古屋鉄道の社長
や会長を歴任した土川元夫と建築家谷口吉郎の経歴や、昭和40年の草創期の明治村の様
子などが展示され、次の教室は実験もできる階段教室になっていた。
スペースとしては一番狭い2丁目の中央を直線のレンガ通りが走り、その最奥部高みに
は東山梨郡役所(ひがしやまなしぐんやくしよ)がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/6e/1597902a7063233351b727621f7ceded.jpg)
山梨県山梨市日下部(くさかべ)町に明治18年(1885)に建設され、国重要文化
財。三重県庁舎同様、内務省に代表される当時の官庁建築の特徴的建物。当時の県令(現
在の県知事)藤村紫朗は、地元山梨に「藤村式」と呼ぶ多くの洋風建築を建てさせたとい
う。
1階右手の部屋は明治村の村長室で、歴代村長の写真などが展示されている(現・4代
村長は阿川佐和子氏)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/92/99d7407dbda055ab89d31857c9f9e053.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/db/427699513517257ba39b33b7d9654fb1.jpg)
2丁目を貫くレンガ通りの左手建物を順次回る。最初は木曽路の長野県大桑村にあった
清水医院(国登録有形文化財)で、明治30年代(1897~)の建築とか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/b1/27a46dc88e8ec336837135d0488bd775.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/23/01e8ee3da3b9943cac82354651c17a3e.jpg)
島崎藤村の、姉、園子をモデルにした小説「ある女の生涯」に描かれていて、実際に園
子が入院していたという。〈続く〉
![](http://blog.with2.net/img/banner/c/banner_1/br_c_1310_1.gif)
![](http://travel.blogmura.com/img/travel88_31.gif)