2016年6月2日(木)
== 世界遺産ブダペストの観光と郊外のドナウベント観光(後半) ==
午前中のブダペスト市内の観光を終え、午後は全員、選べるプランのうちの<Aプラン>
ドナウベント観光に参加する。13時26分にバスは出発した。
「ドナウベント」とは、オーストリアのウィーンからスロバキアとの国境を東に流れて
きたドナウ川が、国境を離れると急に向きを南に変えてブダペストに向かう。このドナウ
川が弧を描く辺りを「ドナウベント」と呼び、幾つかの名所旧跡がある。
それらのうち、エステルゴムとセンテンドレを訪ねるのが、午後の<Aプラン>の行程
である。
地下鉄1号線の起点駅のあるヴェレシュマルティ広場の近くからバスに乗り、ドナウ川
左岸に沿う道を上流(北)に向かう。

平行してトラム2号線の線路↑が走り、間もなく国会議事堂↓の横を通過する。

反対側のドナウ川も眺めながら進む。

郊外に出てドナウ川を渡り、西北西に向かう。民家の少ないところまで進むと、ナノハ
ナ畑が見えてきた。

中ほどを過ぎた辺りのPiliscsabaの町には大学があり、建物は第二次世界大戦後駐留して
いたソ連軍の兵舎を転用しているという。下は大学の校門と思われる。

町を出ると、西側の丘陵にはモトクロスのコースらしいものが見えた。

やがて、右手に平行して単線非電化の鉄道線路が近づき、しばらく併走する。

踏切を越えた辺りの線路際には新しいコンクリート柱が立ち、近く電化されるのではな
いかと思われた。
最初の観光地、エステルゴム(Esztergom)の駐車場に14時55分に着いた。ブダペス
トの北西約60㎞、スロヴァキアとの国境に近い町である。

エステルゴムはハンガリー建国の地で、マジャル族が9世紀にこの地に定住し初め、イ
シュトヴァーン一世が997年に初代ハンガリー王となり、ハンガリーの都として栄えた
という。
13世紀半ば、モンゴルの襲来で壊滅的な打撃を受けてブダペストに遷都されたが、
1715年からカトリックの総本山が置かれ、宗教上重要な町となり今日に至っていると
いう。

城壁のような建造物の横にある階段を上がると、大聖堂の正面が望まれる。建物は
1822年から50年かけて再建したとのことで、ドームの高さは100m、直径は
53.5mあるという。

大聖堂前の高い台座上に「Magyarok Nagyasszonya!」と刻まれた立像がある。どうやら
ハンガリーの聖母像らしいが詳細は分からない。


大聖堂の内部に入り、荘厳な内部を一巡して拝観する。祭壇画「聖母マリアの昇天」は、
1枚のキャンバスに描かれた祭壇がとしては世界最大とか↓。


ほかの祭壇画も皆大きく、きめ細かな銀細工の装飾を施した祭壇↑、16世紀初頭のル
ネサンス時代に造られたという赤い大理石のバコーツ礼拝堂↓、背後の大きなパイプオル
ガンなど、堂内のすべてに目をひかれた。





大聖堂を出て裏手の展望台に回り、ドナウ川や対岸のスロバキア方面、眼下の建物など
を眺める。


バス乗り場に戻る途中には、汽車スタイルの観光用の乗物が停車していた。

バスは15時35分に出発して次の観光地、センテンドレに向かう。
少し北上してから東に向かうと、間もなくドナウ川の流れが目に入る。一昨日夕方、ブ
ラスチラバからブダペストに向かった列車が後半、ドナウ川の見えるところを通過したが、
ちょうどこの辺りの対岸(左岸)になるようだ。

ドナウ川が見えなくなり緩やかな山並みの麓などを過ぎ、山上に古城↓の見えるところ
や、どの家も広い敷地の住宅地の続く町などを通過する。

16時35分にブダペストの北方約20㎞の町、センテンドレ(Szentendre)に着いた。
センテンドレは、14世紀にオスマン・トルコの襲撃から逃れてセルビヤ人やギリシャ
人達が来たのが始まりで、のちトルコの支配下におかれるが、17世紀末にはセルビア人
などが定住したようだ。
彼らの多くは手職人や商人で、町に独自の文化や習慣、建築様式などを植えつけ、20
世紀になると多くの芸術家が移り住むようになり、町には小さい美術館や画廊、博物館が
多いという。

小さな土産物店などの並ぶ石畳の狭い通りを数100m進んで、フェー(中央)広場ま
で行く。


広場は幾つかの細い通りが合していて、中央にあるのは18世紀後半に建てられた「商
人の十字架」で、この下にセルビア人の男が逆さまに埋められていると言われているよう
だ。
広場に面してブラコヴェシュテンシュカ(Blagoveshtenska)教会がある。

「感謝教会」という18世紀に建てられたギリシア正教の教会とか。広場には、ちょっ
と変わった手洗い場のようなものももあった。

ここでフリータイムとなり、17時30分にバス乗り場に集合となったので、広場周辺
を見てからバス乗り場に戻ることにした。雲が厚くなりポチポチと雨が落ちてきたので傘
を差す。

来た方向の反対側、斜め右手の緩やかな坂を少し進むと、別の教会があった。入口のポ
ーチ上には「Värqshàza」と記されている。


時間を見て、この辺りから戻ることにした。美術館らしい建物や郵便ポスト、街並みな
どを眺めながらフェー広場に戻り、往路をバス乗り場に向かう。


少し戻ったら、右手の建物の間からドナウ川の流れが見えた。小さな土産物などをたく
さん並べた店や、しゃれたカフェ、博物館らしい建物、この地方特産の琥珀(こはく)の
店の前などを過ぎる。



もう一度ドナウ川が見えたので川沿いの道路に回り、豊富な水量でゆったりした流れを
一望する。対岸に渡る小さい渡船場もあった。


元の通りに戻り、さらに続く店舗などに沿って進む。大きな街路樹には、クルミらしい
実が付いていた。

Y字路際の小さい電柱が倒れて道をふさぎ、パトカーが来て左手の迂回路に回るよう指
示していたので、それに従って平行する通りへ。往路で目に付いていたオールドカーのあ
る店の前で往路の道に合した。


左手台地上に教会らしい建物が見え、その一帯は豊富な木々に囲まれている。間もなく
バス乗り場に戻り、17時40分にバスは出発してブダペストに向かう。

バスは南下してドナウ川の橋を渡って少し川沿いを進み、ブダペスト市内まで5㎞ほど
のところにあるレストラン↓に18時10分過ぎに入る。

最後の夜の夕食は「フォークロアディナーショー」と呼ぶ、情熱的なハンガリー伝統の
音楽と舞踊を楽しみながら味わい、最後はツアーメンバーも呼ばれて一緒に踊ったりして
盛り上がる。
19時35分にレストランを出てバスに乗り、さらにこの後のお楽しみ、ドナウ川での
ナイトクルーズに向かい、20分ほどで乗船場に着いた。

何隻かが平行して並ぶ船の一番先の船に乗り、まだ明るさの残る20時にクルーズ船は
乗船場を出て下流(南)に向かう。船は我々だけの貸し切りである。

船は右岸側を走行するので、主に右岸のブダ地区の町並みを間近に眺め、少し冷たい風
を受けつつ移りゆく風景を楽しむ。

中の島であるマルギット島の南端にかかるマルギット橋をくぐると、左岸ペスト側河岸
そばにある世界遺産の国会議事堂が近づく。

正面にくさり橋やブダ側のゲッレールトの丘が望まれ、右に左にと皆さんカメラを間断
なく向けて、シャッターを切る手が休まらない。


ブダ側に、午前中訪ねたマーチャーシュ教会や王宮↑が近づき、薄暮が進んで幾分かラ
イトが目立ってきた。

エリザベート橋の上、ゲッレールトの丘に立つ自由の像も近づいてきた。周辺にはクル
ーズ船が幾つも並んでいる。エリザベート橋の下、がけを背にするのはルダシュ温泉のよ
う。


次の自由橋下を通過し、さらに次々に見えてくる建物を眺め、その次の橋の近くで左旋
回して上流に向かっての折り返しとなる。


帰路になると皆さんのシャッター回数もさすがに減って、ゆっくりと眺めている時間が
増える。
何度かの食事の席で、一番気兼ねなく同席させていただいたMさんから、一緒に写真を
と誘われたので私も撮らせてもらったが、ストロボが発光せずアンダーの写真になり残念
だった。

王宮のライトが往路よりいっそう目立ってきた。くさり橋にもライトが点灯し、両岸の
街灯も明るくなった。


国会議事堂際まで戻ると、ライトに輝く議事堂の影が水面に揺れ、世界一美しいと呼ば
れる国会議事堂が輝きを増す。


乗船場より少し上流まで進んで戻り、20時50分過ぎにクルーズ船を下りた。
バスに乗り対岸のブダ側に回ってホテルに向かう途中、ドライバーさんが国会議事堂の
対岸辺りで止めて、5分ほどの撮影タイムを取ってくれた。21時15分を過ぎて、すっ
かり暗くなった対岸に、国会議事堂が黄金色に輝いていた。

連泊のホテル アクインカム ブダペストには予定時刻の21時30分に戻った。
(歩数 12,600)
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== 世界遺産ブダペストの観光と郊外のドナウベント観光(後半) ==
午前中のブダペスト市内の観光を終え、午後は全員、選べるプランのうちの<Aプラン>
ドナウベント観光に参加する。13時26分にバスは出発した。
「ドナウベント」とは、オーストリアのウィーンからスロバキアとの国境を東に流れて
きたドナウ川が、国境を離れると急に向きを南に変えてブダペストに向かう。このドナウ
川が弧を描く辺りを「ドナウベント」と呼び、幾つかの名所旧跡がある。
それらのうち、エステルゴムとセンテンドレを訪ねるのが、午後の<Aプラン>の行程
である。
地下鉄1号線の起点駅のあるヴェレシュマルティ広場の近くからバスに乗り、ドナウ川
左岸に沿う道を上流(北)に向かう。

平行してトラム2号線の線路↑が走り、間もなく国会議事堂↓の横を通過する。

反対側のドナウ川も眺めながら進む。

郊外に出てドナウ川を渡り、西北西に向かう。民家の少ないところまで進むと、ナノハ
ナ畑が見えてきた。

中ほどを過ぎた辺りのPiliscsabaの町には大学があり、建物は第二次世界大戦後駐留して
いたソ連軍の兵舎を転用しているという。下は大学の校門と思われる。

町を出ると、西側の丘陵にはモトクロスのコースらしいものが見えた。

やがて、右手に平行して単線非電化の鉄道線路が近づき、しばらく併走する。

踏切を越えた辺りの線路際には新しいコンクリート柱が立ち、近く電化されるのではな
いかと思われた。
最初の観光地、エステルゴム(Esztergom)の駐車場に14時55分に着いた。ブダペス
トの北西約60㎞、スロヴァキアとの国境に近い町である。

エステルゴムはハンガリー建国の地で、マジャル族が9世紀にこの地に定住し初め、イ
シュトヴァーン一世が997年に初代ハンガリー王となり、ハンガリーの都として栄えた
という。
13世紀半ば、モンゴルの襲来で壊滅的な打撃を受けてブダペストに遷都されたが、
1715年からカトリックの総本山が置かれ、宗教上重要な町となり今日に至っていると
いう。

城壁のような建造物の横にある階段を上がると、大聖堂の正面が望まれる。建物は
1822年から50年かけて再建したとのことで、ドームの高さは100m、直径は
53.5mあるという。

大聖堂前の高い台座上に「Magyarok Nagyasszonya!」と刻まれた立像がある。どうやら
ハンガリーの聖母像らしいが詳細は分からない。


大聖堂の内部に入り、荘厳な内部を一巡して拝観する。祭壇画「聖母マリアの昇天」は、
1枚のキャンバスに描かれた祭壇がとしては世界最大とか↓。



ほかの祭壇画も皆大きく、きめ細かな銀細工の装飾を施した祭壇↑、16世紀初頭のル
ネサンス時代に造られたという赤い大理石のバコーツ礼拝堂↓、背後の大きなパイプオル
ガンなど、堂内のすべてに目をひかれた。





大聖堂を出て裏手の展望台に回り、ドナウ川や対岸のスロバキア方面、眼下の建物など
を眺める。


バス乗り場に戻る途中には、汽車スタイルの観光用の乗物が停車していた。

バスは15時35分に出発して次の観光地、センテンドレに向かう。
少し北上してから東に向かうと、間もなくドナウ川の流れが目に入る。一昨日夕方、ブ
ラスチラバからブダペストに向かった列車が後半、ドナウ川の見えるところを通過したが、
ちょうどこの辺りの対岸(左岸)になるようだ。

ドナウ川が見えなくなり緩やかな山並みの麓などを過ぎ、山上に古城↓の見えるところ
や、どの家も広い敷地の住宅地の続く町などを通過する。

16時35分にブダペストの北方約20㎞の町、センテンドレ(Szentendre)に着いた。
センテンドレは、14世紀にオスマン・トルコの襲撃から逃れてセルビヤ人やギリシャ
人達が来たのが始まりで、のちトルコの支配下におかれるが、17世紀末にはセルビア人
などが定住したようだ。
彼らの多くは手職人や商人で、町に独自の文化や習慣、建築様式などを植えつけ、20
世紀になると多くの芸術家が移り住むようになり、町には小さい美術館や画廊、博物館が
多いという。

小さな土産物店などの並ぶ石畳の狭い通りを数100m進んで、フェー(中央)広場ま
で行く。


広場は幾つかの細い通りが合していて、中央にあるのは18世紀後半に建てられた「商
人の十字架」で、この下にセルビア人の男が逆さまに埋められていると言われているよう
だ。

広場に面してブラコヴェシュテンシュカ(Blagoveshtenska)教会がある。

「感謝教会」という18世紀に建てられたギリシア正教の教会とか。広場には、ちょっ
と変わった手洗い場のようなものももあった。

ここでフリータイムとなり、17時30分にバス乗り場に集合となったので、広場周辺
を見てからバス乗り場に戻ることにした。雲が厚くなりポチポチと雨が落ちてきたので傘
を差す。

来た方向の反対側、斜め右手の緩やかな坂を少し進むと、別の教会があった。入口のポ
ーチ上には「Värqshàza」と記されている。


時間を見て、この辺りから戻ることにした。美術館らしい建物や郵便ポスト、街並みな
どを眺めながらフェー広場に戻り、往路をバス乗り場に向かう。


少し戻ったら、右手の建物の間からドナウ川の流れが見えた。小さな土産物などをたく
さん並べた店や、しゃれたカフェ、博物館らしい建物、この地方特産の琥珀(こはく)の
店の前などを過ぎる。



もう一度ドナウ川が見えたので川沿いの道路に回り、豊富な水量でゆったりした流れを
一望する。対岸に渡る小さい渡船場もあった。


元の通りに戻り、さらに続く店舗などに沿って進む。大きな街路樹には、クルミらしい
実が付いていた。

Y字路際の小さい電柱が倒れて道をふさぎ、パトカーが来て左手の迂回路に回るよう指
示していたので、それに従って平行する通りへ。往路で目に付いていたオールドカーのあ
る店の前で往路の道に合した。


左手台地上に教会らしい建物が見え、その一帯は豊富な木々に囲まれている。間もなく
バス乗り場に戻り、17時40分にバスは出発してブダペストに向かう。

バスは南下してドナウ川の橋を渡って少し川沿いを進み、ブダペスト市内まで5㎞ほど
のところにあるレストラン↓に18時10分過ぎに入る。

最後の夜の夕食は「フォークロアディナーショー」と呼ぶ、情熱的なハンガリー伝統の
音楽と舞踊を楽しみながら味わい、最後はツアーメンバーも呼ばれて一緒に踊ったりして
盛り上がる。
19時35分にレストランを出てバスに乗り、さらにこの後のお楽しみ、ドナウ川での
ナイトクルーズに向かい、20分ほどで乗船場に着いた。

何隻かが平行して並ぶ船の一番先の船に乗り、まだ明るさの残る20時にクルーズ船は
乗船場を出て下流(南)に向かう。船は我々だけの貸し切りである。

船は右岸側を走行するので、主に右岸のブダ地区の町並みを間近に眺め、少し冷たい風
を受けつつ移りゆく風景を楽しむ。

中の島であるマルギット島の南端にかかるマルギット橋をくぐると、左岸ペスト側河岸
そばにある世界遺産の国会議事堂が近づく。

正面にくさり橋やブダ側のゲッレールトの丘が望まれ、右に左にと皆さんカメラを間断
なく向けて、シャッターを切る手が休まらない。


ブダ側に、午前中訪ねたマーチャーシュ教会や王宮↑が近づき、薄暮が進んで幾分かラ
イトが目立ってきた。

エリザベート橋の上、ゲッレールトの丘に立つ自由の像も近づいてきた。周辺にはクル
ーズ船が幾つも並んでいる。エリザベート橋の下、がけを背にするのはルダシュ温泉のよ
う。


次の自由橋下を通過し、さらに次々に見えてくる建物を眺め、その次の橋の近くで左旋
回して上流に向かっての折り返しとなる。


帰路になると皆さんのシャッター回数もさすがに減って、ゆっくりと眺めている時間が
増える。
何度かの食事の席で、一番気兼ねなく同席させていただいたMさんから、一緒に写真を
と誘われたので私も撮らせてもらったが、ストロボが発光せずアンダーの写真になり残念
だった。

王宮のライトが往路よりいっそう目立ってきた。くさり橋にもライトが点灯し、両岸の
街灯も明るくなった。


国会議事堂際まで戻ると、ライトに輝く議事堂の影が水面に揺れ、世界一美しいと呼ば
れる国会議事堂が輝きを増す。


乗船場より少し上流まで進んで戻り、20時50分過ぎにクルーズ船を下りた。
バスに乗り対岸のブダ側に回ってホテルに向かう途中、ドライバーさんが国会議事堂の
対岸辺りで止めて、5分ほどの撮影タイムを取ってくれた。21時15分を過ぎて、すっ
かり暗くなった対岸に、国会議事堂が黄金色に輝いていた。

連泊のホテル アクインカム ブダペストには予定時刻の21時30分に戻った。
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