あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

続カタツムリ歩行で八潮駅周辺を歩く(埼玉・東京)

2016-07-19 21:35:00 | カタツムリ歩行
 2016年7月18日(日)

 銀座に出かけた前日同様に蒸し暑いが、「続カタツムリ歩行」の第36回例会に参加し
た。

 集合は、つくばエクスプレスの八潮(やしお)駅。駅前の街区案内図に、八潮市のマス
コットキャラクター「ハッピーこまちゃん」が描かれている。
        


 雨が落ちてきたのでザックカバーを掛け、傘を差して10時ちょうどに北口をスタート
した。駅前の建物に市役所の駅前出張所が設けられていて、市の推奨品などがウィンドウ
に紹介されていた。


 広い通りを北西に少しで首都高6号線の高架下を抜けて、八潮五丁目へ。大原(だいば
ら)中の北東端の角から北に延びる大原緑道に入る。
     
 ソメイヨシノの並木が続き、両側に歩道と自転車道が区分されている。歩道側に相撲場
があり、すぐ先突き当たりで大原公園に入る。



 草地の回りを広葉樹が囲み、東側斜面は樹林が覆う。公園内のタイルに、市の花くちな
しと市の木いちょうがデザインされていた。


 道路のマンホールデザインも、市の花くちなしと市の木いちょうである。
  

 公園の東を流れる八条用水沿いに北進する。中央交番前交差点で左折して県道54号・
松戸草加線に入り、中央三丁目の妙光寺へ。

 妙光寺は、日蓮宗の名僧、日正が文明3年(1471)に開山したとのこと。

     
 新しい山門を入ると、左手に市保存樹木のクスノキが高く枝を広げ、堂々たる本堂前に
はハスが1輪花を見せていた。


             


 近くには、拝殿がほかより横長の造りの諏訪神社がある。拝殿手間にご神木のイチョウ↓
が葉をいっぱい茂らせ、拝殿右手には市の保存樹木のケヤキが目に付く。
    


 境内の背後は、緑陰豊富な諏訪児童公園↑。神社や公園の西側は南部葛西(かさい)用
水だが、水量は少ない。


 北側の橋を渡り中央四丁目へ。近くには天満宮があり、本堂はどっしりとしたコンクリ
ート造り。


 道路を挟んだ西側は観音寺。天文3年(1534)開基の不動坊跡を、元和7年(1621)
に長清律師が開山したという。


 本堂前の大イチョウは長清律師お手植えと伝えられ、樹齢400年、樹高14m、胸高
周囲3.8mあり八潮市最古のイチョウ。市の木をイチョウとしたのも、この木あっての
ことのよう。
     

 境内には「川上先生顕彰之碑」がある。川上先生とは川上行則氏で、八潮中初代校長と
して八潮中の基礎を築き、定年後は八潮市教育長に就任するなど、純農村から都市化した
八潮市の教育環境の整備に献身され、市民の信望厚い人だったという。
        

 ここから南下して、ゴールに向かうことにする。南部葛西用水沿いを進むと、水の少な
い流れに1羽のサギがえさを探していた。
    


 八潮七丁目を東進すると、住宅地の中に1枚の水田が残っていた。稲荷神社に背後から
入る。


 南側の墓地際にも1枚の水田があり、墓地は円照寺のもの。法事にでも出かけるのか、
ご住職が本堂の雨戸を閉めていた。



 南側の県道102号・平方東京線に出たところに、「畑まるごと直売所」の建物がある
が、入口は閉じている。そばの畑の道路際に、ノイチゴだろうかたくさんの実が熟し始め、
畑にはきれいな花が咲いていた。
        

    

 県道を南西へ、すぐ先に杵屋という和菓子店があるが、ゴールまでの距離を見ると寄る
時間が無いので、そのまま通過する。


 近くの建物際に、見たことの無い黒っぽい花が咲いていた。
  

 境橋で南部葛西用水を越え、西側近くの大曽根八幡神社に回る。文亀2年(1502)
に勧請(かんじょう)されたが、後三年の役に源義光が兄義家援軍のため、寛治元年
(1087)に当国に趣いた頃、八幡神を奉斉したとも伝わるとか。

 寛文10年(1670)に大曽根村領主森川公から3石の朱印を受け、のち2石加増さ
れ、森川家の氏神になったという。境内の2本のイチョウは市の保存樹木である。


 南側近くには福寿院↑があるが、由緒などの紹介は無い。正午にゴールできそうににな
く、寄るところも無いのであとは大原の区画整理された道路を南に急ぐ。

 こちらは市の鳥をデザインしたマンホールだろうか…。

 
 首都高6号線に突き当たり、少し東北に回ってその下を抜ける。大曽根小の東からつく
ばエクスプレスの高架下を南へ。


 緩やかにカーブして流れる垳川(がけかわ)の北岸に突き当たり、東側の南部葛西用水
と交差するふれあい桜橋の側道を渡る。

 垳川沿いの豊富な植え込みの続く神明・六木(しんめい・むつき)遊歩道を折り返し、
ゴールの神明水の森公園に、12時18分に着いた。垳川が埼玉県と東京都の都県境で、
南側の神明の森公園は足立区神明三丁目にある。

 公園の中心部は広い空き地になっているが、ここに以前は神明水の池があったとか。北
側には風車もあったようだが老朽化で撤去し、台座だけが残っていた。


 昼食後のミーティングでは、途中で出会った人から八潮の昔の様子などを聞いたことな
どの報告がある。13時頃散会となった。

 帰路は、垳川沿いを少し回ってから八潮駅に戻ることにする。公園の背後から垳川沿い
の神明・六木遊歩道を西に向かう。

 かなり年代を経た木が多くて種類も豊富だ。木には名札が付いていたので幾つかメモし
たら、エノキ、ムクノキ、ケヤキ、シラカシ、タブノキ、カヤ、サクラ、サンゴジュ、ク
ロマツ、スダジイなど、多彩な植栽の緑陰が続き、暑い時期でも良い遊歩道である。


 流れにたくさん泳ぐアメンボウや、木々などを眺めながら次の平成泉橋まで進み、遊歩
道を離れた。


 南側は「泉の広場」で、小さい池がある。



 神明三丁目の住宅地を北東へ。近くの天祖神社にはケヤキが多く、そのうち5本は足立
区の保存樹木。境内の消防団の格納庫際には、素朴な火の見やぐらが残る。

 隣接して、やはり樹木豊富な南蔵院がある。この地の名主の先祖で福島正則の家臣、星
野又太郎が慶長15年(1610)に菩提寺として開創したとか。



 山門を入ると8地蔵が並び立ち、その先に「平成の鐘」と呼ぶりっぱな鐘楼がある。


 慈母観音と本堂との間を入ると、創建時に植樹されたと伝わる幹回り3.2m、樹高
24mで区の保存樹木のクスノキの大木が枝を広げて立つ。
     


 東進して、南部葛西用水に平行する通りに出た。緑に覆われた用水沿いの緑道を北に少
しで都県境のふれあい桜橋を渡る。




 八潮市に戻り東側の垳(がけ)地区に入る。ちなみに「垳」とは崖(がけ)と同じ意味
の国字。垳という地名は国内でも八潮市にしか無いが、この地名があるため「垳」の文字
はJIS第二水準漢字に入っているという。

 八潮駅に近いので、一帯は区画整理が進められている。民家の庭先にクルマユリがたく
さん咲く。
    


 近くに、小さめの社殿の垳稲荷神社が祭られていた。
  

 境内もそう広くないが、その南東側には標高2.0mの一等水準点がある。
  

 
 さらに南東に少し、潮止中の前にあるのは常然寺。境内に植栽は少なく、観世音菩薩や
水子地蔵、そして何やら分からぬ笠付きの石塔が立っていて、この塔に一番興味をひかれ
た。
       
 石塔の礎石には延宝2年(1674)と記され、塔には数え切れぬほどの文字が刻まれ
ている。
         
 帰宅後調べた八潮市の資料によれば「延宝2年垳万人の塔(がけまんにんのとう)」で、
「垳の万人塔」とも呼ばれる別時念仏(べつじねんぶつ)供養塔。高さ4.6mあり市内
最大の石造物のよう。塔は、常然寺4世で中興2代と称えられる称誉上人が千日回向(せ
んにちえこう)の別時念仏を発願し、万人講を組織して延宝2年に造塔したものとのこと。

 塔身の四面に金剛界四仏の種子(しゅじ)を配し一面に文字が刻まれていて、基礎部に
は導師名とともに58か所もの地名と、参加人数が刻まれ、判読可能な人数だけでも
8,700人余りにも及んでいるという。ほかでは見たことの無い、珍しい石塔だった。

 潮止中の西側から北へ、少し迂回して北進し、八潮駅南口に14時25分に着いた。


(天気 曇一時雨、距離 10㎞、地図(1/2.5万) 草加、歩行地 八潮市、足立
 区、歩数 19,400)




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