あるきメデス

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狭山市立博物館での吉田博展観覧と市内の社寺巡り(埼玉・狭山)

2018-11-19 16:44:43 | ウオーキング
 2018年11月14日(水)

 開催期間が残り少なくなったので、狭山市立博物館で開催中の『日本風景画の巨匠 吉田
博展』の観覧に出かけた。

 西武池袋線の稲荷山公園駅に10時30分に着いた。西北に広がる狭山稲荷山公園の桜
の紅葉が見頃。


 クロガネモチだろうか、赤い実をいっぱい付けている。



 線路沿いを4分ほどで会場の狭山市立博物館に入る。入館料は普段150円だが、今日
は「埼玉県民の日」で無料だった。
     
  
 最初に、同時展示している1階の関連企画「吉田博と吉田興文」を観覧する。

 吉田興文は吉田博の孫で昭和20(1945)年生まれ、吉田博と同様の風景水彩画家
で地元狭山市に在住されているという。



 展示作品の中には、狭山市内や埼玉県内の風景も幾つか見られた。


     
  
 そのあと2階の特別展示室での「日本風景画の巨匠 吉田博展 ~山と水と桜の画家~」
を観覧する。館内は撮影禁止なので、もらってきたリーフレットに掲載の作品を紹介する。
    
 展示作品は、明治32(1899)年頃制作の「雲井桜」から、昭和14(1939)
年制作の「三渓園」までの年代にわたる37点。
         
  
    

         

 作品の対象風景は国内の弘前城から沖縄風景まで全国各地と、アメリカをはじめフラン
ス、スイスなどヨーロッパや、インドなどに及んでいた。


 特別展の観覧後は常設展示室に回ると、「入間川(いるまがわ)と入間路 -その自然
と風土-」を基本構想とした、狭山市内の歴史や文化、産業、伝統行事などに関する幅広
い展示物があり、懐かしいものも多く興味深く一巡した。







 11時42分に博物館を出た。北側に広がる狭山稲荷山公園内の園路を半円形に右回り
しながら園内を眺める。


 北西に伸びる木道を下って愛宕神社の横から公園を出た。国道16号に入り南西にすぐ、
小さな社殿の第六天神社前を過ぎる。
     
  
 300mほどで北側に並行する旧道に回って西へ、すぐ先Y字路際のマンション構内に
標高62.1mの水準点が目につく。
             

 その先を直進して間市に入って霞川の橋を渡り、突き当たりの蓮華院に南から回り込み、
弁天池の間から広い境内に入る。



 本堂にあたるのだろうか突き当たりの観音堂は、正面5間、奥行6間、総ケヤキ宝形造
り(ほうぎょうづくり)の大きな建物。虹梁(こうりよう)や欄間(らんま)には精巧な
彫刻が施されていた。


         
 正面に下がる鰐口(わにぐち)は、直径約38㎝、重さ約5.25㎏、室町中期の寛政
2(1461)年の作品とか。もとは比企郡鳩山町の千手堂に奉納されたものらしいが、
ここに伝承された理由は定かではないらしい。

              
 観音堂前には背の高いイチョウが立つが、まだ黄葉はしていない。ほかにケヤキの高木
など境内は豊富な木々に覆われている。

         
 境内には、市内扇町屋で殺された彰義隊士を供養する彰義隊遭難者の碑付(つけたり)
地蔵や、江戸時代前期の念仏信仰の様相を示す延宝9(1681)年造塔で当地最古とい
う「千日回向名号塔(せんにちえこうみょうごうとう)」↑があった。

 もとの旧道を狭山市内に戻り、さらに東進して長栄寺へ。この寺にもイチョウの古木が
立っている。


 本堂前に新しい「健脚観音」が立ち、「健康念じてまず一歩、幸せ願ってもう一歩」な
どと記されていたので、本堂に参拝後あわせて祈願した。
         

 近くには「健康の碑」もあり、背面に「毎日万歩歩き 千字かいて 百回深呼吸」と刻
まれている。
    

 狭山鵜ノ木郵便局の先まで進み、入間川の広瀬橋から伸びた通りを南に少しで国道16
号に入る。すぐ東側に「麺処 更科」があった。

 13時近かったので入り、とろろせいろそばを注文して昼食とした。
    


 次のT字路を右折して南側台地下から階段を上がり、狭山稲荷山公園の東北部へ。


 西北方から北側、東北方にかけての大展望が広がり、左手には奥多摩北部から奥武蔵、
秩父の武甲山などの山並みが、そして正面はるかには赤城山かと思われる山容も望まれた。
                            武甲山


                          堂平山   笠山       


 赤城山?


 眼下の北斜面にたくさん植え込まれたツツジは、何株もが狂い咲きしている。


 さらに円塔タンクのある配水場の先まで進み、狭山市立中央児童館のプラネタリウムの
そばを南側に下る。
     

 児童館前の皇帝ダリアが開花していた。


 その前を南下して配水場入口近くの豊川稲荷まで行き、「大正天皇御野立所の碑」を探
したが見当たらない。地図をよく見るとどうやら配水場の北側にあるようで、児童館に来
る途中で見落として通過したようだ。

 児童館前に戻りさらに先へ、北東に下って五差路の中央児童館東交差点を渡る。

 交差点北東側の小さいお堂に、「石黒坂の庚申塔」と呼ぶ青面金剛塔が祭られているよ
うだが、木格子の中でよく確認できない。
         

 北に進んで諏訪神社前を通過する。この社殿の両側にも2本のイチョウが立っていた。


 ちなみに、この神社では「お諏訪さまのなすとっかえ」という行事があるとか。8月の
第4土・日曜に行われる神事で、自分の畑でとれたナスを神社に納め、代わりに神社に供
えてあるナスをいただいて帰ることにより夏の病を避けることができたという。

 すぐ先を左折して国道16号に出た。その先は本富士見橋に伸びているが進まず、国道
の北東すぐ先にある清水八幡宮へ。

 小さい社殿前にイチョウのみ立つ狭い境内に「清水冠者源義高(みなもとのよしたか)
終焉(しゅうえん)の地」の立て札がある。その説明板によれば当時の社は無く、場所も
はっきりしてないようだ。

 入間川の新富士見橋から伸びる通りと交差する次の交差点まで進み、国道を跨道橋で越
える。跨道橋からの北側の展望。


 北東にあるスーパー・イオン横に下って小さい流れ沿いへ。次の橋を渡って八幡神社前
を通過、南側の通りを東進して天満天神社へ。
     
 社殿前にはやはりイチョウが立ち、境内には火の見やぐらも残っていた。

 道路を挟んで南側の徳林寺へは西側に回って境内に入る。武蔵野三十三観音霊場第17
番札所で、本尊は薬師如来のよう。



 大きな本堂正面の階段地下の建物に、日本各地から集めたというカエルの置物がたくさ
ん飾られていた。




 境内には地蔵堂や舎利堂などもあり、東側のジュウガツザクラが花を見せている。
    

 境内西側の小さい建物には、珍しいコレクションが並んでいた。全国の名高いトンネル
工事の奇石「貫通石」を公開しているのである。
 
 この寺の檀徒で役員の平山嘉一氏から寄贈を受けたものとか。「貫通石は護り石として
大願成就を期し、貫通(願いを貫き通す)の祈願として合格祈願や安産祈願、交通安全な
どの諸祈願を託したい」という思いが込められているようだ。


 よく見ると、北海道から九州までよくこんなに集めたと思われる各地のトンネルの貫通
石が並んでいて感心した。


         
 山門近くにはかわいらしいお地蔵さんが立ち、山門の外には交通安全地蔵もあった。

 中央図書館だトイレを借りてから東側に回って福徳院へ。本堂には不動尊が祭られてい
る。


 高台なので北側の展望が開け、その展望を背にして徳林寺中興開基の綿貫家一門の墓所
がある。


 墓地の東側には、綿貫家の邸宅内にあったという「西東」の碑もある。

 綿貫家は江戸中期にかなりの財力を蓄えた豪商で、江戸後期には「西の鴻池(こうのい
け)、東の綿貫」と並び称されたよう。


 武蔵野三十三観音霊場第17番札所であり、道路側には大きな露座の観音像と観音堂が
祭られていた。

 中央図書館前の交差点に戻り、西南側高台に上がって西側の芝生のみの公園を抜ける。
ここは旧入間川小学校跡のようで、西側の築山には卒業記念碑が残っていた。

 
 西端まで進んで車道に出て少し折り返し、色づく広葉樹に囲まれた八幡神社に入る。

 明日は七五三の日だが、一日早くお参りに来た家族連れも見られた。



 日が傾きやや冷えてきた。南に回って最後に慈眼寺へ。こちらは武蔵野三十三観音霊場
第16番札所で、本堂のほか「無量寺閣」額の掲げられたお堂や、壁付の鐘楼堂などの建
物がある。




 南東側の交差点から北東に進み、ゴールの西武新宿線の狭山市駅に15時44分に着く。

(天気 晴、距離 8㎞、地図(1/2.5万) 川越南部、歩行地 狭山市、入間市
(少し)、歩数 16,800)





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