2019年12月9日(月)
昨日は、太平洋戦争の開戦から78年になりましたが、戦争の終結(敗戦)から74年
になる現在も、沖縄を初め国内各地にはまだ多くの米軍基地が存在しています。
所沢市にも、旧陸軍の所沢飛行場が昭和20(1945)年9月から米軍に接収された
広大な通信基地があり、その後、三次にわたりその一部が変換されましたが、基地が南北
に長く位置しているので、基地を大きく迂回しないと行けないため、基地の東西を貫いて
市民が通行できる「東西道路」の建設をかなり以前から要望してきました。
その結果、2009年に米軍から具体的な返還条件(案)が示され、基地返還協議会が
検討を重ね、米軍からの返還条件に対する市と国との負担区分が決まり、2012年に日
米合同委員会で返還合意が行われました。
以下は、上記のことなどを記した所沢市基地対策協議会と所沢市作成のパンフレットの
表紙とその一部です。
私は、市内ウオーキングで時々基地の西側の市道周辺を歩いてきましたが、昨年辺りか
ら通信局舎やアンテナの解体とそれらの移転先での新設などの工事の模様を見ております。
今年に入ってからでしょうか、いよいよ東西道路の工事が始まり、少しずつ道路の様子
が見えてきたので、今日はその模様を紹介することにして、うす寒い曇天で写真も冴えま
せんが撮ってみました。
東西連絡道路の西側には、第一次返還により設置された国立障害者リハビリテーション
センター(略称リハセン)が北側(写真の左側)に、防衛医科大学校と東京電力、環境調
査研究所が南側(写真の右側)にあります。
その道路西端、T字路の国立リハビリ入口交差点付近から東方(基地方向)を見たもの。
東京電力の建物
リハセン側(北)の広い歩道を基地に向かうところ。
リハセン構内のイチョウ並木はもう葉がかなり落ちていました。
防衛大学校の北東端にある体育館の建物周辺
そばには、基地全面返還の推進塔が。
道路東端のT字路交差点、この先、金網の中で東西連絡道路が工事中。
T字路交差点際からふり返る西側道路
金網の隙間からの工事中の連絡道路の様子、上の写真の手前(下)が、この新しい道路
の手前側と結ばれるのです。
一方、この東西連絡道路の反対側、基地の東側から見た工事の様子(11月16日)
基地西側沿いの市道を北に進みます。つぎのT字路近くには、東西連絡道路新設に伴い
撤去されたアンテナに代わり、今年新設された新しい通信用アンテナが見られます。
その交差点近くには、東西連絡道路建設に伴う所沢市負担分の道路工事の説明パネルが
4個並んでいました。
4つの工事合わせて、所沢市負担の工事費が4億円を超えていることが分かります。
そばで見た新しいアンテナ2種
通信基地の西北端まで進み、基地を一望します。
同じ場所から、東西連絡道路の南側、基地の南端近くに立つアンテナ群を少しズーム
アップしてみると。
西北端近くには、工事の全体像についてのパネルもあります。
2つの地図をそれぞれ拡大してみると。
所沢市基地対策協議会と所沢市発行のパンフレットの最終頁に記された今後の取り組
みについて
それにしても、この東西連絡道路建設に伴う工事費が、所沢市負担分が14億6千万
円、国の負担額が53億円になるとは。わずか延長580m、幅員16m道路を通すだ
けでもこんなにお金がかかるとは驚きです。
でも、この道路の完成により、現在は北側、南側ともコの字状に迂回していた道筋が
一直線で行けるようになるのですから、利便が向上される市民はかなり多くなるものと
思われ、年度末までの開通が待たれます。
〈追記〉この道路の開通当日(2020年3月28日(土))の様子はこちら。
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昨日は、太平洋戦争の開戦から78年になりましたが、戦争の終結(敗戦)から74年
になる現在も、沖縄を初め国内各地にはまだ多くの米軍基地が存在しています。
所沢市にも、旧陸軍の所沢飛行場が昭和20(1945)年9月から米軍に接収された
広大な通信基地があり、その後、三次にわたりその一部が変換されましたが、基地が南北
に長く位置しているので、基地を大きく迂回しないと行けないため、基地の東西を貫いて
市民が通行できる「東西道路」の建設をかなり以前から要望してきました。
その結果、2009年に米軍から具体的な返還条件(案)が示され、基地返還協議会が
検討を重ね、米軍からの返還条件に対する市と国との負担区分が決まり、2012年に日
米合同委員会で返還合意が行われました。
以下は、上記のことなどを記した所沢市基地対策協議会と所沢市作成のパンフレットの
表紙とその一部です。
私は、市内ウオーキングで時々基地の西側の市道周辺を歩いてきましたが、昨年辺りか
ら通信局舎やアンテナの解体とそれらの移転先での新設などの工事の模様を見ております。
今年に入ってからでしょうか、いよいよ東西道路の工事が始まり、少しずつ道路の様子
が見えてきたので、今日はその模様を紹介することにして、うす寒い曇天で写真も冴えま
せんが撮ってみました。
東西連絡道路の西側には、第一次返還により設置された国立障害者リハビリテーション
センター(略称リハセン)が北側(写真の左側)に、防衛医科大学校と東京電力、環境調
査研究所が南側(写真の右側)にあります。
その道路西端、T字路の国立リハビリ入口交差点付近から東方(基地方向)を見たもの。
東京電力の建物
リハセン側(北)の広い歩道を基地に向かうところ。
リハセン構内のイチョウ並木はもう葉がかなり落ちていました。
防衛大学校の北東端にある体育館の建物周辺
そばには、基地全面返還の推進塔が。
道路東端のT字路交差点、この先、金網の中で東西連絡道路が工事中。
T字路交差点際からふり返る西側道路
金網の隙間からの工事中の連絡道路の様子、上の写真の手前(下)が、この新しい道路
の手前側と結ばれるのです。
一方、この東西連絡道路の反対側、基地の東側から見た工事の様子(11月16日)
基地西側沿いの市道を北に進みます。つぎのT字路近くには、東西連絡道路新設に伴い
撤去されたアンテナに代わり、今年新設された新しい通信用アンテナが見られます。
その交差点近くには、東西連絡道路建設に伴う所沢市負担分の道路工事の説明パネルが
4個並んでいました。
4つの工事合わせて、所沢市負担の工事費が4億円を超えていることが分かります。
そばで見た新しいアンテナ2種
通信基地の西北端まで進み、基地を一望します。
同じ場所から、東西連絡道路の南側、基地の南端近くに立つアンテナ群を少しズーム
アップしてみると。
西北端近くには、工事の全体像についてのパネルもあります。
2つの地図をそれぞれ拡大してみると。
所沢市基地対策協議会と所沢市発行のパンフレットの最終頁に記された今後の取り組
みについて
それにしても、この東西連絡道路建設に伴う工事費が、所沢市負担分が14億6千万
円、国の負担額が53億円になるとは。わずか延長580m、幅員16m道路を通すだ
けでもこんなにお金がかかるとは驚きです。
でも、この道路の完成により、現在は北側、南側ともコの字状に迂回していた道筋が
一直線で行けるようになるのですから、利便が向上される市民はかなり多くなるものと
思われ、年度末までの開通が待たれます。
〈追記〉この道路の開通当日(2020年3月28日(土))の様子はこちら。
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