2014年1月5日(日)
今年2度目の、七福神巡りに出かけた。今日は、西武鉄道主催のウオーキングイベント
の一つ「雑司が谷七福神めぐり」である。
スタート地は、西武鉄道池袋駅南口から徒歩10分ほどの、南池袋三丁目にある静観院。
受付のテントで地図をもらい、そばの別のテントで七福神御朱印用の色紙(500円)
を求め、10時20分にスタートする。
静観院の七福神は弁財天で、受付テントの左手に祭られた石造りのもの。境内はかなり
の参拝者で賑わう。
参拝を終えた頃、笛と太鼓が聞こえてきて、七福神のお面を被った行列がやってきた。
まずは弁財天の前に並び、一行のお姿を参拝者に披露してくれた。
南に進んで、突き当たりの雑司が谷鬼子母神境内に入る。広い境内には露店も並ぶ。
雑司が谷鬼子母神といえば、すすきみみずくの人形が知られ、その店もある。
大きな本堂に参拝後、手前右手にあった大黒天に詣でる。
境内南側には、都指定天然記念物で、樹高30m、幹周8m、応永年間(1394~
1428)に植えたと伝えられるイチョウの大木が立っている。
ケヤキ並木の参道を南下し、都電荒川線の線路沿いに出た。
V字状に折り返して線路沿いを北東に進み、恵比寿神の大鳥神社に入る。
茅の輪をくぐって社殿に参拝後、露座のままの恵比寿神に手を合わせる。
境内のテントでは、東日本大震災復興支援チャリティ事業の甘酒が振る舞われていたの
で、少しの義援金を入れて暖かい甘酒をいただいた。
次の踏切を渡って東に回り、南池袋四丁目の台地斜面にある清立院の階段を上がる。本
堂はコンクリート造り。
毘沙門天は本堂の扉のそばに祭られていた。
境内には日蓮上人像と、正嘉年間(1257~9)の雨乞いに霊験あったという雨乞い
の松が立つ。
弦巻通りに出て南東に向かう。「雑二ストアー」の看板の出た店に、小さな置物など正
月の縁起物が並んでいた。
日本女子大学寮の南側を回って不忍通りに出て、少し先を北に入ると吉祥天の精士鬼子
母神がある。ここだけは豊島区ではなく、文京区目白台二丁目である。
本堂横にイチョウの古木が、ほかに文京区保護樹木のムクノキなどの高木が目につく。
吉祥天立像は、本堂の左手、ムクノキの近くに祭られていた。
その横から境内を出て、折り返すように北西に向かう。雑司が谷幼稚園の横を東に入り、
雑司が谷旧宣教師館を見に回ってみた。
「旧マッケーレブ邸」が正式名称のようで、明治40年(1907)にアメリカ人宣教
師マッケーレブが建てたもので、昭和16年(1941)に帰国するまで生活していたと
いう。
19世紀後半のアメリカ郊外住宅の特色を有する質素な外国人住宅で、都内でも少ない
明治期の宣教師館として都の有形文化財に指定され、一般公開していた。
都立雑司が谷霊園に南側から入り、中央部を北に抜ける。
管理事務所近くに、「お鷹部屋と松」の説明板があり、「この辺りには江戸中期の享保
4年(1719)以降、幕府の御鷹部屋があり、鷹狩りに用いる鷹の飼育や訓練を行って
いて、将軍が鷹狩りの際には立ち寄って休息や食事の場所でもあったた」とのこと。
説明板の後方に、当時をしのばせる松が残っている。
都電荒川線の雑司が谷駅際の踏切を渡り、東(あずま)通りを西進する。
池袋駅に近い、南池袋二丁目の中野ビル一階の小さな社殿に、笑顔の布袋尊が祭られて
いた。
相対するビルの一階には「老眼めがね博物館」の看板が掛かり、数知れぬ眼鏡が壁面に
並ぶ。店の前にも店内にも老眼めがねがたくさん販売されていて、店内では時計修理も行
っている。
次の角を右折して、突き当たった右手、同じ南池袋二丁目の仙行寺が最後の福禄寿尊。
本堂前のガラスケースに、「華の福禄寿」と呼ばれる小さな福禄寿尊が祭られていた。
郵便局前を通過して西武鉄道池袋駅のある西武百貨店前に戻り、別館四階屋上のゴール
に、12時36分に着いた。
(天気 晴、距離 公称7㎞、実質5㎞、地図 「雑司が谷七福神めぐり」地図(西武鉄
道製)、歩行地 豊島区、文京区)
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今年2度目の、七福神巡りに出かけた。今日は、西武鉄道主催のウオーキングイベント
の一つ「雑司が谷七福神めぐり」である。
スタート地は、西武鉄道池袋駅南口から徒歩10分ほどの、南池袋三丁目にある静観院。
受付のテントで地図をもらい、そばの別のテントで七福神御朱印用の色紙(500円)
を求め、10時20分にスタートする。
静観院の七福神は弁財天で、受付テントの左手に祭られた石造りのもの。境内はかなり
の参拝者で賑わう。
参拝を終えた頃、笛と太鼓が聞こえてきて、七福神のお面を被った行列がやってきた。
まずは弁財天の前に並び、一行のお姿を参拝者に披露してくれた。
南に進んで、突き当たりの雑司が谷鬼子母神境内に入る。広い境内には露店も並ぶ。
雑司が谷鬼子母神といえば、すすきみみずくの人形が知られ、その店もある。
大きな本堂に参拝後、手前右手にあった大黒天に詣でる。
境内南側には、都指定天然記念物で、樹高30m、幹周8m、応永年間(1394~
1428)に植えたと伝えられるイチョウの大木が立っている。
ケヤキ並木の参道を南下し、都電荒川線の線路沿いに出た。
V字状に折り返して線路沿いを北東に進み、恵比寿神の大鳥神社に入る。
茅の輪をくぐって社殿に参拝後、露座のままの恵比寿神に手を合わせる。
境内のテントでは、東日本大震災復興支援チャリティ事業の甘酒が振る舞われていたの
で、少しの義援金を入れて暖かい甘酒をいただいた。
次の踏切を渡って東に回り、南池袋四丁目の台地斜面にある清立院の階段を上がる。本
堂はコンクリート造り。
毘沙門天は本堂の扉のそばに祭られていた。
境内には日蓮上人像と、正嘉年間(1257~9)の雨乞いに霊験あったという雨乞い
の松が立つ。
弦巻通りに出て南東に向かう。「雑二ストアー」の看板の出た店に、小さな置物など正
月の縁起物が並んでいた。
日本女子大学寮の南側を回って不忍通りに出て、少し先を北に入ると吉祥天の精士鬼子
母神がある。ここだけは豊島区ではなく、文京区目白台二丁目である。
本堂横にイチョウの古木が、ほかに文京区保護樹木のムクノキなどの高木が目につく。
吉祥天立像は、本堂の左手、ムクノキの近くに祭られていた。
その横から境内を出て、折り返すように北西に向かう。雑司が谷幼稚園の横を東に入り、
雑司が谷旧宣教師館を見に回ってみた。
「旧マッケーレブ邸」が正式名称のようで、明治40年(1907)にアメリカ人宣教
師マッケーレブが建てたもので、昭和16年(1941)に帰国するまで生活していたと
いう。
19世紀後半のアメリカ郊外住宅の特色を有する質素な外国人住宅で、都内でも少ない
明治期の宣教師館として都の有形文化財に指定され、一般公開していた。
都立雑司が谷霊園に南側から入り、中央部を北に抜ける。
管理事務所近くに、「お鷹部屋と松」の説明板があり、「この辺りには江戸中期の享保
4年(1719)以降、幕府の御鷹部屋があり、鷹狩りに用いる鷹の飼育や訓練を行って
いて、将軍が鷹狩りの際には立ち寄って休息や食事の場所でもあったた」とのこと。
説明板の後方に、当時をしのばせる松が残っている。
都電荒川線の雑司が谷駅際の踏切を渡り、東(あずま)通りを西進する。
池袋駅に近い、南池袋二丁目の中野ビル一階の小さな社殿に、笑顔の布袋尊が祭られて
いた。
相対するビルの一階には「老眼めがね博物館」の看板が掛かり、数知れぬ眼鏡が壁面に
並ぶ。店の前にも店内にも老眼めがねがたくさん販売されていて、店内では時計修理も行
っている。
次の角を右折して、突き当たった右手、同じ南池袋二丁目の仙行寺が最後の福禄寿尊。
本堂前のガラスケースに、「華の福禄寿」と呼ばれる小さな福禄寿尊が祭られていた。
郵便局前を通過して西武鉄道池袋駅のある西武百貨店前に戻り、別館四階屋上のゴール
に、12時36分に着いた。
(天気 晴、距離 公称7㎞、実質5㎞、地図 「雑司が谷七福神めぐり」地図(西武鉄
道製)、歩行地 豊島区、文京区)
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