あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

2017年新春初歩きは隅田川七福神巡りへ(東京)

2017-01-03 13:01:21 | 七福神めぐり
 2017年1月2日(月)
 
 新春2日は、毎年参加しているNPO東京都ウオーキング協会の「第15回江戸東京七
福神めぐり」に出かけた。

 昨年までは7コースあったが今年は3コースのみに、その中の隅田川七福神に参加する
ことにした。集合は東武スカイツリーラインや東京メトロ銀座線、都営浅草線の浅草駅に
近い、隅田公園内の水上バス乗り場近くの広場。
     
 隅田川右岸にあるので、隅田川の流れや浅草駅に入る東武の特急スペーシア、東京スカ
イツリーなどが望まれる。


 9時半近くから出発式が行われ、挨拶とコース説明の後に準備体操をして、9時37分
にスタートした。



 隅田公園を北に抜けて隅田川の言問橋(ことといばし)を渡り、左岸近くの道を少しで
最初の三囲(みめぐり)神社に入る。



 三井寺の僧・源慶が弘法大師創建の由来を持つ荒れた祠(ほこら)を再建時、出土した
神像の回りを白狐が現れて3回巡り消え去ったのが「みめぐり」の名の起こりとか。

 祭られている七福神の大黒神と恵比寿神は、越後屋(現在の三越)に祭られていたもの
という。


 広い境内には石碑などが多く、京都・太秦(うずまさ)の木島(このしま)神社に原形
があるという、珍しい三角石鳥居などが見られた。


 北北東に少し、隅田川の桜橋近くには布袋尊の弘福寺(こうふくじ)がある。

 黄檗宗(おうばくしゅう)の寺なので、山門や本堂は中国風の独特の造り。


 境内右手にある咳(せき)の爺婆尊像は、寛永年間(1624~44)に風外和尚が修
行中に両親を偲(しの)んで刻んだもので、屋外の石像だから風邪にも強かろうと風除け
の信仰を集めたとか。現在は石造のお堂に祭られている。
     


 北に接するのが弁財天の長命寺。3代将軍家光が、鷹狩り途中の腹痛をこの寺の井戸水
で薬を飲んで快癒したことから「長命水」の名をいただき、寺号も長命寺としたという。
弁財天は、開帳されて本堂内に祭られていた。
     

 都道461号・墨堤(ぼくてい)通りを進んで東側の旧道に回り、向島百花園(むこう
じまひゃっかえん)の門を入る。


 福禄寿尊は左手奥の小さな社殿に祭られているが、込んでいて尊像は拝観できない。
     

 隅田川七福神は、文化元年(1804)にここ百花園に集まった、江戸の町民文化を代
表する文化人たちの発案で始まったとのこと。

 福禄寿尊は、開祖の佐原鞠塢(さはらきくう)が、百花園の草花にちなみ本草の神とし
て愛蔵し信仰していたものという。


 普段公開されている園路は閉ざされていて、今日は巡ることは出来ないので、門の近く
の木々や咲き出した紅梅などを眺めるに留める。


         

 西北間近には、寿老神の白鬚(しらひげ)神社が祭られている。祭神の猿田彦命は道案
内の守り神ということから、お客を案内する千客万来、商売繁盛の信仰が生まれたようだ。

 参拝客が多く、ここも寿老神を拝顔することは出来なかった。

 白髭橋から延びる都道306号を横断して、隅田二丁目の岐雲園(きうんえん)跡の公
園でトイレ休憩となる。

 岐雲園は、幕末に目付や外国奉行として外交に尽くした岩瀬忠震が、河水を引いた汐入
の池のある別荘風の家を構えの跡とのこと。将軍継嗣問題で大老井伊直弼と意見を異にし
て免ぜられ、ここで隠遁生活を送り風雅な生活を楽しんだという。いまその面影は全く見
られない。


 さらに都道461号・墨堤通りの東に平行する細道を北進する。途中の正福寺の一角に、
首塚地蔵尊ののぼりの立つ地蔵堂があり、たくさんのお地蔵さんが祭られていた。


 荒川右岸の堤防際を走る東武スカイツリーラインの線路が近づき、最後の七福神、毘沙
門天を祭る多聞寺(たもんじ)はすぐ近くにある。

 かやぶきの山門前から大変な人が並び、山門をくぐるのも順番待ちしている。山門は明
和9年(1772)の建立、墨田区最古の建造物として区の登録有形文化財である。

 何とか山門を入ったが、本堂までさらに参拝の列が続いている。山門を入った辺りで拝
礼して参拝に変えた。

 ここで七福神は巡り終えたが、隅田川左岸沿いを隅田公園まで戻るフルコースを選ぶか、
ここで終えるかが選択できる。私は、この後はフリーで歩きたいので歩き終えることとし
て、11時半近くに多聞寺を後にした。


 ほぼ同じ道を500mほど戻り、隅田二郵便局前を通過して墨堤通りへ。長く連なる中
層住宅に沿って少しで、隅田川左岸沿いに延びる東白髭公園に入り、近くの隅田川神社に
参拝する。



 境内には水神社など摂社もあり、白梅が早くも咲き出していた。
    

 そばの案内板によれば、荒川下流の鐘ヶ淵を越えて大きく曲がったこの地は、隅田川の
落ち口(終点)で、かつてはうっそうとした森が広がり、「水神の森」とも「浮洲(うき
す)の森」とも呼ばれ親しまれていたという。

      
 正面に逆光の東京スカイツリーを見ながら公園の南端まで進み、白髭橋から延びる都道
306号を横断する。
     

     
 墨堤通りを南下して少し先で西に入り、隅田川左岸沿いを走る首都高6号線の下の遊歩
道を進む。
     



 桜橋近くで東に回り、先ほど参拝した長命寺の北側の道路に出た。

 短い遊歩道沿いにジュウガツザクラ↑とフユザクラ↓が咲き、野口雨情がここに来遊した
時に詠んだ「都鳥さへ夜長のころは 水に歌書く夢も見る」の詩碑がある。
    
     

 そばに、古くからの名物「長命寺の桜もち」の店があるので入り、6個入りの桜もちを
購入する。
   

       


 西側、首都高の高架下部壁面には、広重が描いたこの辺りの風景のタイル画が埋め込ま
れていた。
    


 その横を隅田川左岸に出て、X型の歩道橋、桜橋を渡り右岸に回る。


 橋の中央部2か所に、平山郁夫画伯が描いた「双鶴飛天の図」の石刻があった。


     
 右岸沿いの隅田公園を、対岸の東京スカイツリーを間近に見ながらさらに南下する。


 言問橋下を南に抜けたところで公園を離れ、浅草寺に寄ることにして都道319号を西
に向かう。

 途中の中華店で昼食をして、馬道交差点の先で北側背後から浅草寺境内に入った。正月
2日とあり、多くの参拝客で境内はごった返している。



 本堂への参拝には、南側の仲見世通りをかなりの時間をかけて並ばねばならない。今日
はあきらめ、東側の二尊仏↓などの石仏や、弁天堂に参拝するに留めた。


 弁天堂の本尊は白髪なので「老女弁財天」と呼ばれ、関東三弁天(湘南・江ノ島、千葉
県柏市の布施弁天と合わせ)のひとつとか。


 鐘楼の鐘は、元禄5年(1692)5代将軍綱吉公改鋳(かいちゅう)の江戸時代の
「時の鐘」で、芭蕉の句「花の雲 鐘は上野か浅草か」で知られた鐘という。


     
 仲見世通りに劣らず混雑する新仲見世通りを抜けて、東京メトロ銀座線の浅草駅に13
時43分に着き、今日の私のゴールとする。



(天気 晴、距離 11㎞、地図(1/2.5万) 東京首部、歩行地 台東区、墨田区、
 歩数 16,000)





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4 コメント

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七福神廻り (H.T)
2017-01-08 10:13:19
私は、昨日堀切駅多聞寺(毘沙門天)から歩き最後三囲神社(大国神、恵比寿神)廻りました。
向島百花園で、七草粥を味わいました。
今年もブログ楽しみます。
返信する
4年前に私も逆行で (saikoroat)
2017-01-08 15:59:39
私も4年前の2013年1月6日に、H.Tさんと同様に多聞寺から三囲神社へと
逆行コースを巡りました。
今回は団体歩行なのでゆっくり出来ませんでしたが、4年前は一人なので、
時間をかけて各社寺を巡りました。
その時の模様は、左の「バックナンバー」欄の年月をスライドして、
「2013年1月」のところでご覧頂けます。

返信する
七福神 (H.T)
2017-01-08 19:36:43
教えて頂きありがとうございました、
2013年1月訪れて拝見いたしました。
返信する
ありがとうございます (saikoroat)
2017-01-09 17:38:40
4年前のものまで、さっそくご覧いただきありがとうございました。
遅ればせながら、今年もよろしくお願いいたします。
返信する

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