2016年2月17日(水)
カントリーウオークの仲間と、館林市と邑楽町(おうらまち)にかかる多々良(たたら)
沼への白鳥観察ウオーキングに出かけた。
東武伊勢崎線久喜駅に集まったのは6人、10時発館林行き下り電車に乗る。館林です
ぐの電車に乗り継ぎ、10時34分に次の多々良駅で下りた。
駅前に並ぶ、市内の茂林寺(もりんじ)ゆかりのタヌキに見送られ、10時45分に駅
を出る。
南側の国道122号を横断して稲荷町から日向町を経て、県立館林美術館の西端付近に
ある日向橋で多々良川を渡る。
流れに泳ぐカモなどを見下ろしながら、川沿いを南西に延びる桜並木の遊歩道を進む。
東側は広々とした田園地帯で、その向こうに松林の防風林が長く続いている。
イチゴ狩り農園の長いビニールハウスの横を通過して、多々良沼の東北端の多々良橋際
に出た。眼前に多々良沼が広がるが、冬で降雨が少ないためか、湖面は狭まっているよう
に見える。
そばにある野鳥観察棟に入ると、多々良沼の白鳥などの写真が展示され、白鳥ガイドマ
ップも置いてある。はく製のコハクチョウも、ケースに入って展示されていた。
この辺りからは白鳥は見えないので、西進する車道の沼側に設けられた、新しい遊歩道
を進む。車を気にせずに歩けるので安心だ。
この沼での白鳥観察を勧めてくれた、以前の中山道ウオークのメンバーで邑楽町在住の
KKさんからのメールによれば、この遊歩道は最近沼を一周できるように完成したばかり
という。
晴れていた空に雲が増えて陽が陰り、やや強い向かい風が冷たい。観察棟から1㎞ほど
で江尻橋を渡り南へ、すぐ先に多々良沼西岸の湿地に続く小さな水辺、ガバ沼がある。
沼辺に邑楽町の観光物産販売所↑や観察棟と駐車場などがあり、望遠レンズを付けたカ
メラマンが何人も並んでいた。
沼には16~17羽の白鳥と、たくさんのカモなどが望まれるが、デジカメの望遠レン
ズでは、何の白鳥かは確認できない。
ちなみに多々良沼に飛来するのは、コハクチョウを中心にオオハクチョウやアメリカコ
ハクチョウ、コブハクチョウなどだという。
観光物産販売所には毎日の飛来数が記されていて、今日午前は55羽らしい。2月では、
7日午後の140羽、14日午後の135羽、2日午後の133羽の3日間だけ、100
羽を超えているようだ。
少し南下して、甚兵衛川の向野橋を渡る。川の南岸沿いの遊歩道を東南へ、駐車場の北
側のベンチ付近に12時03分に着き、昼食とする。
西側、鶉新田(うずらしんでん)集落にある梅林の白梅が満開になっていた。
雲が切れて、再び青空が広がる。北に白いのは日光の山か、近くは↓足利周辺の山だろ
うか、西北には赤城山が望まれた。
食事を終えて12時34分に駐車場際を去り、さらに先に向かう。芦原の間の細い流れ
が湖に流れ込む辺りに、35羽前後の白鳥が見えた。
わずかな水の浅瀬だが、魚でも来るのだろうか…。
その先、西から沼に突き出た小さな半島の突端に、朱塗りの浮島弁財天の社殿が祭られ
ていた。
鎌倉幕府没落の折、執権北条高時の弟、四郎慧性がある夜、崇拝する江ノ島弁財天が夢
枕に立ち、この地に逃れて再興を図るべしとのお告げを受けてたどり着き、恩林寺を建て
て北条家の菩提寺とし、江ノ島弁財天を勧請して鎮守として建立したのだという。
弁財天堂の南側水辺には、20羽前後の白鳥が寒そうに首をつぼめて立っていた。
この周辺も水が少なく、浅瀬が西に広がる。
天気が回復して遠望が良くなり、北に冠雪した日光の男体山↑の山容がはっきりしてき
た。
赤城山↑の左手(南)には榛名山↓も望まれる。
「藤棚の小径」と呼ぶ遊歩道を西に向かう。芝生地に2本ある、サクラのつぼみがかな
りふくらんできた。
藤棚の小径には、かなりの樹齢と思われる幹の太いフジが続いている。
藤棚の終わった広場に「町指定史跡 鶉古城跡」の標柱と説明板が立っていた。
多々良沼に突き出た「荒間崎」と呼ばれる半島部に築かれた城で、元弘3年(1333)
5月、北条高時が鎌倉に滅ぼされたとき、弟慧性らが逃れ来て築城したとか。
のち多々良氏が入り、戦国時代には館林城主の重臣小曽根氏が小田原北条氏の来功に備
えたが、天正18年(1590)の館林城落城に伴い廃城になったという。
そばの、「小城の泉」と呼ぶ石積みの前で記念撮影をした。
西に延びる新しい遊歩道沿いには、多々良町で設けた健康増進用の変形の椅子などが幾
つか続く。
盛土上に東屋のあるところで新しい遊歩道は左折して南へ、さらに東へと回り込み、邑
楽町から館林市に戻る。
遊歩道は、湖岸と車道との間を緩やかなカーブで続いている。
町と市境付近のアシの茂る小さな水辺に、1羽のアオサギが立っていた。
少ない水辺などを眺めながら広葉樹の並ぶ遊歩道を東進し、成島町の北側を進む。北成
島町の北で、以前からあった松林の間を抜ける多々良沼自然探勝路に入った。
アカマツの下には野外彫刻が次々に並び、「彫刻の小径」とも呼ばれている。
多々良沼の東端の駐車場付近には、人工の池が設けられていた。
車道を横断した東側には芝生の盛土上に展望所があり、北側に広がる田園地帯の向こう
に、赤城山やスタート直後にそばを通過した、県立館林美術館↓などが望まれる。
彫刻の並ぶ林の中を少し探したら、次の横断道路の傍らに田山花袋の歌碑があった。
碑の文字もそばの説明を記した石板の文字も読みにくいが、どうやらこの松林のことを
読んだ歌のようだ。
多々良沼を反時計回りにほぼ一周したので、南側の東武小泉線の成島駅に向かうことに
する。西高根町の住宅街に入り、高根中央公園の北側を通過して北成島町へ。
駅まで700m付近まで進んだが、14時38分発上り電車には、わずかに間に合いそ
うになく、その後は約1時間後になる。皆さんの了解を得て、東側の館林駅に向かうこと
にした。
小泉線の線路際に進み、線路の北側沿いの道を東進して国道122号の陸橋下を抜け、
小泉線と伊勢崎線との合流点付近で伊勢崎線の踏切を渡る。館林駅には15時06分に着
いた。
電車時刻を勘案するのが遅れ、皆さんには2㎞ほど余計に歩いてもらうことになってし
まった。間もなくの15時14分発上り久喜行きで帰路についた。
(参加 6人、天気 晴一時曇、距離 11㎞、地図(1/2.5万) 足利南部、佐野、
館林、歩行地 館林市、邑楽町、歩数 18,900)
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カントリーウオークの仲間と、館林市と邑楽町(おうらまち)にかかる多々良(たたら)
沼への白鳥観察ウオーキングに出かけた。
東武伊勢崎線久喜駅に集まったのは6人、10時発館林行き下り電車に乗る。館林です
ぐの電車に乗り継ぎ、10時34分に次の多々良駅で下りた。
駅前に並ぶ、市内の茂林寺(もりんじ)ゆかりのタヌキに見送られ、10時45分に駅
を出る。
南側の国道122号を横断して稲荷町から日向町を経て、県立館林美術館の西端付近に
ある日向橋で多々良川を渡る。
流れに泳ぐカモなどを見下ろしながら、川沿いを南西に延びる桜並木の遊歩道を進む。
東側は広々とした田園地帯で、その向こうに松林の防風林が長く続いている。
イチゴ狩り農園の長いビニールハウスの横を通過して、多々良沼の東北端の多々良橋際
に出た。眼前に多々良沼が広がるが、冬で降雨が少ないためか、湖面は狭まっているよう
に見える。
そばにある野鳥観察棟に入ると、多々良沼の白鳥などの写真が展示され、白鳥ガイドマ
ップも置いてある。はく製のコハクチョウも、ケースに入って展示されていた。
この辺りからは白鳥は見えないので、西進する車道の沼側に設けられた、新しい遊歩道
を進む。車を気にせずに歩けるので安心だ。
この沼での白鳥観察を勧めてくれた、以前の中山道ウオークのメンバーで邑楽町在住の
KKさんからのメールによれば、この遊歩道は最近沼を一周できるように完成したばかり
という。
晴れていた空に雲が増えて陽が陰り、やや強い向かい風が冷たい。観察棟から1㎞ほど
で江尻橋を渡り南へ、すぐ先に多々良沼西岸の湿地に続く小さな水辺、ガバ沼がある。
沼辺に邑楽町の観光物産販売所↑や観察棟と駐車場などがあり、望遠レンズを付けたカ
メラマンが何人も並んでいた。
沼には16~17羽の白鳥と、たくさんのカモなどが望まれるが、デジカメの望遠レン
ズでは、何の白鳥かは確認できない。
ちなみに多々良沼に飛来するのは、コハクチョウを中心にオオハクチョウやアメリカコ
ハクチョウ、コブハクチョウなどだという。
観光物産販売所には毎日の飛来数が記されていて、今日午前は55羽らしい。2月では、
7日午後の140羽、14日午後の135羽、2日午後の133羽の3日間だけ、100
羽を超えているようだ。
少し南下して、甚兵衛川の向野橋を渡る。川の南岸沿いの遊歩道を東南へ、駐車場の北
側のベンチ付近に12時03分に着き、昼食とする。
西側、鶉新田(うずらしんでん)集落にある梅林の白梅が満開になっていた。
雲が切れて、再び青空が広がる。北に白いのは日光の山か、近くは↓足利周辺の山だろ
うか、西北には赤城山が望まれた。
食事を終えて12時34分に駐車場際を去り、さらに先に向かう。芦原の間の細い流れ
が湖に流れ込む辺りに、35羽前後の白鳥が見えた。
わずかな水の浅瀬だが、魚でも来るのだろうか…。
その先、西から沼に突き出た小さな半島の突端に、朱塗りの浮島弁財天の社殿が祭られ
ていた。
鎌倉幕府没落の折、執権北条高時の弟、四郎慧性がある夜、崇拝する江ノ島弁財天が夢
枕に立ち、この地に逃れて再興を図るべしとのお告げを受けてたどり着き、恩林寺を建て
て北条家の菩提寺とし、江ノ島弁財天を勧請して鎮守として建立したのだという。
弁財天堂の南側水辺には、20羽前後の白鳥が寒そうに首をつぼめて立っていた。
この周辺も水が少なく、浅瀬が西に広がる。
天気が回復して遠望が良くなり、北に冠雪した日光の男体山↑の山容がはっきりしてき
た。
赤城山↑の左手(南)には榛名山↓も望まれる。
「藤棚の小径」と呼ぶ遊歩道を西に向かう。芝生地に2本ある、サクラのつぼみがかな
りふくらんできた。
藤棚の小径には、かなりの樹齢と思われる幹の太いフジが続いている。
藤棚の終わった広場に「町指定史跡 鶉古城跡」の標柱と説明板が立っていた。
多々良沼に突き出た「荒間崎」と呼ばれる半島部に築かれた城で、元弘3年(1333)
5月、北条高時が鎌倉に滅ぼされたとき、弟慧性らが逃れ来て築城したとか。
のち多々良氏が入り、戦国時代には館林城主の重臣小曽根氏が小田原北条氏の来功に備
えたが、天正18年(1590)の館林城落城に伴い廃城になったという。
そばの、「小城の泉」と呼ぶ石積みの前で記念撮影をした。
西に延びる新しい遊歩道沿いには、多々良町で設けた健康増進用の変形の椅子などが幾
つか続く。
盛土上に東屋のあるところで新しい遊歩道は左折して南へ、さらに東へと回り込み、邑
楽町から館林市に戻る。
遊歩道は、湖岸と車道との間を緩やかなカーブで続いている。
町と市境付近のアシの茂る小さな水辺に、1羽のアオサギが立っていた。
少ない水辺などを眺めながら広葉樹の並ぶ遊歩道を東進し、成島町の北側を進む。北成
島町の北で、以前からあった松林の間を抜ける多々良沼自然探勝路に入った。
アカマツの下には野外彫刻が次々に並び、「彫刻の小径」とも呼ばれている。
多々良沼の東端の駐車場付近には、人工の池が設けられていた。
車道を横断した東側には芝生の盛土上に展望所があり、北側に広がる田園地帯の向こう
に、赤城山やスタート直後にそばを通過した、県立館林美術館↓などが望まれる。
彫刻の並ぶ林の中を少し探したら、次の横断道路の傍らに田山花袋の歌碑があった。
碑の文字もそばの説明を記した石板の文字も読みにくいが、どうやらこの松林のことを
読んだ歌のようだ。
多々良沼を反時計回りにほぼ一周したので、南側の東武小泉線の成島駅に向かうことに
する。西高根町の住宅街に入り、高根中央公園の北側を通過して北成島町へ。
駅まで700m付近まで進んだが、14時38分発上り電車には、わずかに間に合いそ
うになく、その後は約1時間後になる。皆さんの了解を得て、東側の館林駅に向かうこと
にした。
小泉線の線路際に進み、線路の北側沿いの道を東進して国道122号の陸橋下を抜け、
小泉線と伊勢崎線との合流点付近で伊勢崎線の踏切を渡る。館林駅には15時06分に着
いた。
電車時刻を勘案するのが遅れ、皆さんには2㎞ほど余計に歩いてもらうことになってし
まった。間もなくの15時14分発上り久喜行きで帰路についた。
(参加 6人、天気 晴一時曇、距離 11㎞、地図(1/2.5万) 足利南部、佐野、
館林、歩行地 館林市、邑楽町、歩数 18,900)
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多々良沼、2010年の1月、山さんの関東100駅で歩きましたね、
あのときも白鳥はいましたがゆっくり眺めてはいられなかったことを
思い出しました。
今度の日曜はカタツムリ。 よろしくお願い致します。
当ブログの、この月のところに掲載してあります。
今回は白鳥までかなり距離があり、そばで見ることはできませんでしたが、
デジカメのズーム比が上がったので、何とか撮れました。
沼を一周できる遊歩道が完成して、車を気にせず安心して歩けました。