あるきメデス

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柴又から江戸川沿いを国府台へ(東京・千葉)

2008-08-30 22:24:13 | ウオーキング
 2008年8月27日(水)

 前日、「十代青少年旅立ち応援シンポジウム」に参加し、夜は
葛飾区にある特別宿泊施設「ふらっと」に4人が泊まった。

 朝になったら前日までの雨が上がり、予想外の青空が広がる。
 8時前にフラットを出て、やまさんの案内で「寅さん」でおなじみ
の柴又周辺を巡ることにした。



 用事のある2人は帰り、参加したのは、シンポジウムには間に
合わなかったが、新幹線で大阪からかけつけたHさんと私。
 
 下町の人たちの水がめ、東京都金町浄水場のそばから京成
金町線に沿って進み、柴又七福神・布袋尊の良観寺に寄る。

 江戸時代の初期に、近くの商人が大木のうろにあった布袋尊
を持ち帰ってお祭りしたところ、商売繁盛したので、御利益を大
勢の人に役立てたいと発願し、「宝袋尊」と称してこの寺に奉納
したのだという。

 これは、境内にある新しい布袋尊。

 京成柴又駅近くから柴又商店街を抜ける。まだ8時前なので、
帝釈天詣での客で賑わう商店も開店前の店が多く、閑散として
いた。


 商店街の突き当たりが柴又帝釈天。本堂は、精巧な木彫で
飾られている。

 この日の夜、柴又の寅さん「男はつらいよ」誕生40周年プロ
ジェクトの一環で、「男はつらいよ」第1作上映会を開催すると
かで、境内のこの右手に大スクリーンが張られ、イスがたくさ
ん並んでいた。

 本堂横から境内の南側に出て、近くの山本亭構内を抜ける。
 山本亭は、カメラ部品製造の山本工場創立者、山本栄之助
翁の住宅で、山本家4代の居宅を昭和63年(1988)に葛飾
区が取得し、一般公開している。

 大正15年(1926)から5年間に数次の増改築をしており、
都内でも珍しい伝統的な書院造りから洋風建築までがあり、
純和風庭園とみごとに調和を保っている。


 南側にある長屋門は、瓦ぶき木造平屋で、伝統的な武家屋
敷の長屋門の形式を受け継ぎながらも、外観・内部ともデザイ
ンを洋風化した珍しいつくり。


 近くにある「寅さん記念館」の上の、芝生に覆われた小公園
に出ると、降り続いた雨で水かさを増した江戸川が、ゆったり
と流れていた。

 対岸は、千葉県松戸市である。
 
 まだ運行前の矢切の渡しを見下ろし、右岸堤防を上流に向か
い、広大な金町浄水場の横を通過する。


 金町浄水場への取水塔が近づいてきた。江戸川からの取水
量は毎秒5.33立方mという。


 新葛飾橋まで行き、橋を渡って千葉県側へ向かう。橋からの
下流の眺め。2つの取水塔の向こうは北総鉄道の鉄橋。


 左岸の千葉県松戸市に入り、折り返して下流に向かった。
 河口から16.8㎞地点に「川の一里塚」の標識が立つ。

 江戸時代、江戸川には1本の橋もなく、40あった渡しで
対岸に渡っていたという。

 ここは、その中でただ一つ残った矢切の渡しの船着場から
上がったところである。

 川の一里塚のそばに太田道灌の「水五則」を記した石碑と
「日本の音風景百選」と記した自然石の彫刻が立つていた。

 近くには「野菊のこみち」の案内標識があり、道標をたどっ
ていくと、野菊の墓文学碑のある松戸市矢切の西蓮寺へと
行けるようになっている。

 案内標識の上の本には、伊藤左千夫の「野菊の墓」の出
だしの部分が記されていた。


 北総鉄道の鉄橋下や排水機場のある柳原水門を過ぎて、
市川市に入る。矢切の渡し船着場から3㎞で、豊かな斜面
林の続く里見公園の下に着いた。


 斜面林を上がった里見公園の西北側は、桜など広葉樹に
覆われた自然公園、東側は噴水広場、花壇広場、梅林など
がある。

 
 花壇広場のバラ園には、咲き残ったバラが花を見せていた。
 斜面林の切れ目から、西側の江戸川区北小岩から都心にか
けての町並みが望まれる。


 公園の南端がけ下には「羅漢の井」と呼ぶ湧水がある。古
くは、天保5年(1834)の江戸名所図会にも描かれていたと
いう。


 国府台(こうのだい)の町並みを抜け、10時半過ぎ、京成
本線の国府台駅に着いた。

(天気 晴、距離 8㎞、歩行地 葛飾区、松戸市、市川市)

 


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