あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

国際ウオーキングトレイル実踏 第2日(湯ヶ島~湯ヶ野)(静岡)

2011-11-15 22:14:58 | 国際ウオーキングトレイル実踏
 ==2011年11月10日(木)==

 雨を思わせるせせらぎの音が途切れぬ、猫越川右岸に面した木太刀荘で迎えた2日目の
朝。午前中は雨の予報確率も高いので、ザックカバーとスパッツを付けて、8時14分に
出発した。川沿いのモミジがかなりよい彩り。


 合流点の上流、瑞祥(ずいしよう)橋のところで本谷川左岸沿いを南下する天城遊歩道
へ。遊歩道は、浄蓮の滝までの2.8㎞である。

 見え隠れする流れ沿いに上流に進むと、砂防ダムからかなりの流れが落下していた。


 歩行者だけの細い冠水橋を渡って右岸に回り、国道414号と本谷川に挟まれた水恋鳥
(みずこいどり)広場へ。広場には、与謝野晶子の歌碑や、キャンプ場などがあった。



 本谷川の流れや鈴なりの柿などを見ながら進み、岩尾ダムの左手を上がって、上流の小
さい橋で左岸に回る。

 天城山荘の横で国道を横断したところに、伊豆の踊子碑がある。そばに映画「伊豆の踊
子」の第1回監督、五所平之助の句碑もあり、裏面には、映画の主演女優、田中絹代から
山口百恵まで、6人の名が記されていた。


 ここで、今回の歩き旅の記念撮影をする。


 S字状の国道を再度横断、岩尾バス停から国道を少しで、浄蓮(じようれん)の滝バス
停に着く。

 ここには踊子茶屋や浄蓮の滝観光センターがあり、川への長い石段を下ると浄蓮の滝が
あるのだが、先を急いで滝への往復は省いた。

 国道の東を平行して茅野集落を抜ける踊子歩道へ。道の駅「天城越え」までは2.8㎞
という。


 茅野の家並みにも、たくさん実を付けた柿の木が多い。桜並木が続き、浄水場の先には
島崎藤村の「伊豆の旅」の一節を刻んだ文学碑があった。



 家並みが途切れて杉林に入り、車道を離れて林の中を抜けて行く。左手上に、「横光利
一文学碑」の表示があったが、碑は見えない。

 杉本橋で国道を横断し、昭和の森会館や道の駅「天城越え」、わさびの店などの並ぶ広
場に着く。広場の一角には、天城越えのことをびっしり記した説明板もあった。



 一部色鮮やかに紅葉したモミジの林に、移築された井上靖旧邸が見え、その横から再び
林間の遊歩道へ。


 遊歩道は左に国道、右下に本谷川の流れに挟まれ、旧天城トンネルまで5.4㎞である。


 少し先に小さい社があり、傍らに「山神社と七木」の説明板が立っていた。広葉樹を主
体とする林間を、見え隠れする滑沢渓谷などの流れに沿って進む。

 二本杉峠への林道に入って少しで、「ゆうゆうの森」と呼ぶ、流れが大きく左カーブす
る地点へ。ここは大川端キャンプ場跡で、木曽から移設したという森林鉄道の機関車や客
車など屋根下に保存され、付近には、バンガロー跡らしいのが幾つか認識できた。



 紅葉の始まった流れに近づき、谷に沿って、伊豆の名産のわさび田が次々に現れた。


 鉄の橋を渡って国道のコンクリート橋をくぐり、水生地下バス停のところから旧国道に
入る。

 この道は、「日本の道百選」や「日本の遊歩道百選」に選定されていて、天城峠は「日
本百名峠」に選定されているという。

 旧国道に入って間もなく、井上靖文学碑があり、小説「伊豆の踊子」の出だし部分と、
井上靖像が、自然石にはめ込まれていた。


 (続く)


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国際ウオーキングトレイル実踏 第1日(修善寺~湯ヶ島)(静岡)

2011-11-14 19:14:29 | 国際ウオーキングトレイル実踏
 日本海から太平洋へ、歩いてつなげる歩く旅のコースをつくろうと、「やまさん」こと
山浦正昭さんが始めた「国際ウオーキングトレイル実踏計画」は、2003年に新潟県の
鳥首岬をスタートして9年目になる。

 今回は、伊豆半島の中央部、修善寺(しゅぜんじ)から湯ヶ野までの2日間の行程を、
やまさんほか3人で歩いた。

 ==2011年11月9日(水)==

 伊豆箱根鉄道駿豆線の終点、修善寺駅を12時02分にスタートした。狩野川(かのが
わ)の支流、大見川の橋を渡り、狩野川沿いに山すそを南下する県道349号に入った。


 西にそびえる城山(248m)の紅葉は、もう少し先になりそう。


 橋から1㎞足らずに、「日本山妙法寺」の標石が立つていたが、建物は無く、日蓮宗系
に似た文字の碑と、狛犬代わりにライオンのような像が並んでいた。


 日向集落の南にある春日神社は、やまさんが少年達と伊豆半島の徒歩旅をした「千里道
場」の際に、大雨にあって休んだところとか。境内には大杉が並んでいる。



 新しい田方南消防署前を通過し、狩野川を挟んで西側の山並みを眺めながら進む。足下
のマンホールのふたは、川端康成の「伊豆の踊子」にちなむデザイン。


 振り返る谷間はるかに見える山波は、葛城(かつらぎ)山(452m)だろうか…。


 北村集落の妙法寺で休憩する。寺には伊豆市文化財の、日蓮聖人が弘安5年(1282)
に授与された真筆があるとか。境内に日蓮聖人像が立っていた。


 寺野集落を抜け、少し離れていた狩野川の流れが迫ると、対岸に独特な姿の狩野ドーム
が近づく。




 県道は緩やかな上り下りをして、舞台集落から皆沢集落へ。地図に無い神社が見下ろせ、
そばの茶畑で、茶葉のせん定作業をしていた。


 田沢橋を渡って間もなく、回ってはいなかったが、まだ使われていそうな水車小屋が残
っていた。


 すぐ先の神社に隣接した嶺松院は、伊豆国八十八ヶ所第1番札所。


 延暦年間(782~805)、弘法大師が諸国遊行の途中、草堂を建立して薬師三仏、
十二神将仏を奉安し、里人達の苦しみを救ったと伝えられているという。そう広くは無い
が、趣ある庭である。


 再び狩野川が近づき、上流を眺めると天城の山並みが望まれる。


 「トナカイ」の標柱の立つ貸別荘風ログハウスがあるが、あまり利用されているように
は見えない。


 その先に、雰囲気の良さそうな「民宿わらじ」があったので立ち寄り、Uさんご夫妻に
お話を伺う。


 開設して18年になり、奥様手作りの料理でもてなし、リピーター客が多いという。


 庭には、料理に出すらしいシイタケが干してあり、入口付近のヒカンザクラが花開く。
帰宅後、この宿のウェブページをのぞいて見たら、魅力的な情報が多かった。

 市山の家並みにあった明徳寺に上がる。境内には禅寺風の本堂や、社殿風の「うずさま
明王堂」、鐘楼、青銅の天城慈母観音像などがある。



 明王堂の奥に回ると、男女の持ち物に似た木根や石などが幾つも、きらびやかに祭られ、
子宝やしもの病に悩む人々の信仰の場のよう。境内のスピーカーからそれらについての放
送が流れていた。常緑広葉樹の古木に覆われた山門前の石段を下って、寺を去る。

 狩野川左岸から回ってきた国道414号に入ると、湯ヶ島温泉は近い。狩野川で採れた
アユを一夜干ししている、「ひなと丸」と呼ぶ店があった。


 簀子(すのこ)橋の先にあったセブンイレブンで、明日の昼食などを仕入れる。

 少し先で、国道の左に入る旧道へ。入口に「しろばんばの里」の案内板が立ち、この地
出身の作家、井上靖の作品「しろばんば」ゆかりの地が示されていた。

 旧道沿いの井上靖旧宅跡は小公園になっていて、自筆を刻んだ「しろばんばの文学碑」
がある。


 売地になっている旧天城営林署敷地横を通過し、弘道寺に寄る。

 米国総領事タウンゼント・ハリス一行が、日米通商条約締結を目指して江戸へ上がる途
中、安政4年(1857)10月4日にこの寺に宿泊したという。

 寺の前には、ハリス著「日本滞在記」(岩波文庫)の一部を記した石碑があり、この近
くで富士山を初めて見て感激したことが記されていた。

 すぐ先、天城神社の鳥居の近くには、ご神木になっていうるシイの木の巨樹があり、こ
んもりとした枝を広げている。


 湯ヶ島温泉口バス停のところで国道を横切る。狩野川右岸沿いに入り、昔、共同湯に通
う道だったという「湯道」と呼ぶ川沿いの遊歩道へ。16時を過ぎて曇り空ということも
あり、常緑樹に覆われた道は薄暗くなってきた。


 紅葉し始めた猫越(ねっこ)川の渓谷や、河岸に並ぶ温泉旅館を眺めながら進む。瀬古
橋を渡って右岸上流の、もと国民宿舎だった木太刀荘(きだちそう)に、16時30分に
着いた。

【コースタイム】修善寺駅12・02ー春日神社12・37~40ー妙本寺13・10~21ー舞台三差路
 13・58ー嶺松院14・16~32ー民宿わらじ14・42~52ー明徳寺15・03~20ー簀子橋際セブ
 ンイレブン15・37~45ー弘道寺15・59~16・03ー木太刀荘16・30

(天気 晴後曇、距離 13㎞、地図(1/2.5万) 修善寺、湯ヶ島、歩行地 伊豆
 市、歩数 22,100、累積標高差 約600m)



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9日から国際ウオーキングトレイル実踏へ

2011-11-08 20:32:55 | ウオーキング
 11月9日(水)から11日(金)まで、やまさんこと山浦正昭さんが毎年春秋に実施
している国際ウオーキングトレイル実踏に参加してきます。

 9日(水)は、正午に伊豆箱根鉄道修善寺駅をスタートして、狩野川に沿って南下
して湯ヶ島までの約15kmを歩きます。

 10日(木)は、湯ヶ島から旧天城トンネル経由で湯ヶ野までの約20Km、

 11日(金)は、実踏コースから外れて、帰路のために伊豆急の河津駅までの約
10kmの予定です。

 3日間のレポートについては、帰宅後の12日以降にアップします。
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第34回日本スリーデーマーチ 第3日(埼玉・東松山周辺)

2011-11-06 19:59:08 | ウオーキング
 2011年11月6日(日)

 日本スリーデーマーチ最終日は、ほぼ1日雨の予報。今朝は1時間余り遅く中央会場の
東松山市立1小に着いたが、雨は上がっていてしばらく持ちそう。

 8時25分に中央会場をスタートした。

 しばらくは、初日の帰路のコースを逆行する。市街地を西に抜けて関越自動車道を越え
る手前、おため池の傍らに立つ「虎御石」と呼ぶ板石塔婆(いたいしとうば)の横を通過
する。高さ3.75m、幅70~77cmあるという。


 第34回唐子(からこ)地区商工祭で賑わう唐子中央公園に入り、出口近くの湯茶接待
所でお茶と梅干しをいただいた。


 その先で、20㎞コースと10㎞コースの分岐点がある。雨なら10㎞にしようかと考
えて出てきたのだが、昼頃までは持ちそうな空模様なので、20㎞コースにする。

 東松山市サッカー場やソフトボール場の横を抜け、唐子浄水場の東に出ると、この地で
少年時代を過ごした作家、打木村治の小説、「天の園」の舞台だという草地を通過する。


 都幾川(ときがわ)沿いに出て、かなり密度の濃いしの竹の間を通過し、冠水橋のおと
うか橋を渡った。


 高本の集落に入り、南側の山並みを越える高本峠に向かっての急な上り坂となる。坂の
途中から振り返ると、西北の田園地帯が一望できる。


 峠を下って岩殿(いわどの)の集落に入ると、ある民家で自家製の柿と団子と漬けたシ
ョウガを接待されていたので、立ち寄っていただく。


 真っ直ぐな参道を進み、坂東三十三観音第十番札所の岩殿観音の横を通過し、物見山公
園に上がった。この頃から雨が落ちてきたので傘を差す。


 公園内にある埼玉県平和資料館内を通過、下の駐車場に向かう降り口の紅葉が、かなり
色づいていた。


 その駐車場の角が、今日の20㎞コースのチェックポイントになっていた。


 石坂ゴルフクラブに沿って車道を進んで、第35回鳩山祭を開催中の東京電気大の前を
通過する。このあたりでは雨は止んだ。


 昼食地の千年谷公園には11時45分に入る。ささやかなチャリティ募金をして豚汁サ
ービスをいただく。


 具がたくさん入った豚汁は美味しかった。


 50㎞、30㎞、20㎞コースの多くのウオーカーが、ここで昼食をする。


 広い芝生広場の南側では、東松山市民芸能祭を開催中。


 人気の東松山市民太鼓の熱演も始まる。



 熱演はまだ続いているが、12時20分に公園を後にする。

 北側の通りの、アメリカハナミズキが色づいていた。


 関越自動車道を越えて、東武東上線の高坂駅に向かう通りには、彫刻家、高田博厚氏の
作品が、広い歩道に34点続いている。


 通りの中ほどにあった朝日新聞の専売所では、お茶のサービスを。


 高坂駅構内を東に抜けて、区画整理された新しい住宅地際を通過して、国道407号バ
イパスの新東松山橋に向かって上がる。再び雨になった。


 雨具を付けて長い都幾川の橋を渡る。


 雨に濡れる都幾川上流


 1㎞余り進んで国道に分かれ、北側の川沿いに並ぶ野本かかし祭りのかかしと対面しな
がら進んだ。


 国道254号バイパスの陸橋下を通過して東松山の市街地に入り、14時28分に中央
会場にゴールして、無事3日間の行程を歩き終えることができた。


 ゴールテントで、3日間完歩17回目のバッジをいただいた。

 (天気 曇時々雨、距離 22㎞、歩行地 東松山市、歩数 36,400)



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第34回日本スリーデーマーチ 第2日(埼玉・東松山周辺)

2011-11-05 19:45:46 | ウオーキング
 2011年11月5日(土)

 今日も朝のうちは、穏やかな晴天です。第2日の「吉見百穴・森林ルート」も、20㎞
コースに参加することにしました。

 昨日とほぼ同じ7時11分に、中央会場の東松山市立第1小をスタートしました。


 市街地の中にある下沼公園を通過します。


 市街地と住宅地を東に抜けて、市野川の橋を渡り吉見町に入りました。20㎞コースは、
吉見百穴の前で30㎞コースと分かれて市野川と滑川(なめがわ)の左岸堤防を進みます。 


 国の重要文化財で、古墳時代後期の古墳群である吉見百穴は、今日は無料公開されて
いました。


 滑川の左岸から右岸へ渡り変える不動橋の欄干には、東松山市内のこども動物園の人
気者、コアラの彫刻が…。 


 川を離れて東京農大三高のグランドを抜け、岩鼻運動公園の林間を進みました。


 国道407号パイパスを歩道橋で越えて、東松山市民病院に向かう車道に入って間もなく
の、民家の庭に咲くエンゼルトランペット。


 今日の湯茶接待所は野田集会所。お茶と梅干しをいただきました。


 テントの左端には、なんと40年前の昭和46年(1971)製という梅干しが…。

 すっかり水気のなくなったこの梅干しも1つ、ごちそうになりました。

 すぐ先に野菜の無人販売所があり、横の壁際で野生ランの苗も販売していました。


 西明寺沼の先の坂を上がったあたり、花咲く畑と民家の間を進みます。


 本日のチェックポイントは、東松山ぼたん園の入口で。


 背後のぼたん園では、ヒカンザクラが見頃になっていました。


 東松山ゴルフ場の横を上り下りして、あかつき園で休憩するウオーカー。


 この地を治めた比企氏ゆかりの宗悟寺の先から、斜面林と田んぼの間の遊歩道を進みます。


 武藏丘陵森林公園中央口の近く、かやぶき屋根にトタンを被せた家の前に並ぶ自販機は
13台もあり、公衆電話も設置されています。


 森林公園中央口は改装されて、こんな建物ができていました。


 緑陰がいっぱいの園内を上り下りして、体育広場へ下りました。30㎞コースの時には
ここが昼食地でしたが、今日は通過して南口から公園を出ました。


 東武東上線森林公園駅に向かう緑道の側道を。


 12時35分に中央会場にゴールしました。


 中央会場で昼食後、会場内を回り、1時間余りして駅に向かいます。駅に向かう通り
は歩行者天国になっていて、よさこいソーラン踊りが始まっていました。


 各地から集まったソーラン踊りのグループが、交代で熱演。




(天気 晴後曇、距離 22㎞、歩行地 東松山市、吉見町、滑川町、歩数 35,700)



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第34回日本スリーデーマーチ 第1日(埼玉・東松山周辺)

2011-11-04 19:32:10 | ウオーキング
 2011年11月4日(金)

 日本最大のウオーキングイベントである日本スリーデーマーチが、今年も開催され、
私は通算22回目の参加です。第1日は快晴に恵まれました。

 最近は歩くスピードが遅くなったので、私は20㎞コースに参加することにして、
7時14分に中央会場である東松山市立第1小学校をスタートしました。


 見送りいただいている皆さん。


 今日のコースは、和紙の里・武蔵嵐山ルート、でも20㎞は小川町の和紙の里までは
行きません。東武東上線の森林公園駅前を通過し、市野川沿いに出ると、赤ソバの畑
がありました。


 川沿いにある羽尾平集会所前広場に、湯茶接待所が設けられていたので、冷たい麦
茶をいただきました。


 そばで、滑川町のボランティアの方が、甘酒の接待していたので、これもいただき
ました。


 接待所のあたりからは西側の展望が広がり、外秩父の名山、笠山(右)や堂平山(どう
だいらさん)(左)が望まれます。


 その先では、市野川の左岸土手に沿って進みました。


 川を離れると間もなく、30㎞コースとの分岐点である鬼鎮(きぢん)神社です。


 武藏武士・畠山重忠が造営した菅谷館(すがややかた)の鬼門除けとしての守護神を
祭ったものです。


 嵐山町(らんざんまち)の家並みが増えたあたりで、道路にあるマンホールに目をやる
と、嵐山町に生息する国蝶のオオムラサキと、ホタルがデザインされていました。


 菅谷小と菅谷中の横を進み、国道254号バイパスを横断する手前の歩道には、オオム
ラサキのタイル絵が埋め込まれています。


 国道バイパスを歩道橋で横断して、中間のチェックポイントである国史跡・菅谷館跡に入
りました。


 ここにも、湯茶接待処が設けられています。


 菅谷館跡にある、県立嵐山史跡の博物館を抜けた南側の芝生広場で休憩するウオーカー。

 30㎞コースに参加していたときには、ここが昼食地でしたが、まだ9時半過ぎなので
先に向かいました。

 すぐ先にある国立教育会館の構内を通過します。 


 ソメイヨシノなどの紅葉が見頃でした。


 少し先で、ハートの風船を背にして追い抜いていった、札幌の「ユキちゃん」こと I さん。

 
 広葉樹林の斜面から細い流れが落下している不動滝のあたりからは、南側に穏やかな
田園の展望が広がります。 


 竹林を上がった先の、民家の庭先に毎年咲いているツワブキ。


 禅寺である浄空院↓の近くに色づく柿。浄空院は、以前はかやぶき屋根でした。


 原爆の図で知られる丸木美術館。改装されたように思われます。


 関越自動車道を越えた先にあるおため池。池の傍らには虎御石と呼ぶ大きな板碑が
あります。


 近くには、こんなにたくさん実った柿も…。


 中央会場には、11時52分にゴールしました。


 中央会場にゴール後、思い思いに憩うウオーカーの皆さん。


 (天気 快晴、距離 20㎞、歩行地 東松山市、滑川町、嵐山町、歩数 30.300)



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埼玉県民の日に記念乗車券発売

2011-11-03 20:32:56 | Weblog
 11月14日(月)は、明治4年(1871)に廃藩置県が行われて埼玉県が誕生した
日にあたります。

 当時の埼玉県は、現在と違って荒川より東の地域だけで、西側は川越に県庁を置く入間
県でした。現在の埼玉県とほぼ同じエリアになったのは、5年後の明治9年8月です。

 埼玉県が誕生してから100年目に当たるのを記念して、昭和46年(1971)に
11月14日を「県民の日」としました。今年はそれ以来40年に、埼玉県の誕生からは
140年になります。

 毎年、県民の日を記念して、県内を走る鉄道各社が「県民の日記念乗車券」を発行して
いますが、今年もJRを除く6社から、以下のように記念乗車券が発売されます。



 いずれも、県内の路線の端から端まで往復すると、かなりお得な値段になっています。
たとえば、私の最寄り駅、西所沢駅から西武秩父駅まで西武鉄道で往復すると、1,020
円になりますが、これが460円で往復できるのです。

 埼玉高速鉄道とつくばエクスプレスは、県内だけでなく東京都や、千葉県と茨城県内
(つくばエクスプレス)を含めた全線が乗り降り自由です。

 全エリアに乗らなくても、割安であることは変わりありません。県民の日当日は、県庁
など自由に見学できたり、イベントが開催されたり、無料で入館できる施設もありますの
で、これらフリー切符を利用して興味のあるところにお出かけになってはいかがでしょう。

 県民の日の催しなどについては、埼玉県のウェブサイトをご覧下さい。



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秩父札所ジオウオーキング(影森駅~武州中川駅)(埼玉)

2011-11-02 19:00:43 | ウオーキング
 2011年10月30日(日)

 秩父まるごとジオパーク推進協議会の主催、日本地質学会関東支部後援、NPO秩父まる
ごと博物館運営の、「ひと味違った札所巡りジオウオーキング」に参加した。

 ちなみに、ジオパークとはユネスコの支援するプログラムで、優れた大地の遺産(ジオ
・Geo)の保護・活用、そしてそこで生まれた自然環境と地域の人々の活動を支援し、地域
振興に役立つ新たな活動のこと。

 秩父ジオパークは9月5日に、日本ジオパーク委員会から全国で15番目の日本ジオパー
クに認定された。

 集合は秩父鉄道の影森(かげもり)駅。西武秩父駅から2.5㎞ほどなので、影森駅まで
は歩いて行く。参加者は約50人、主催者、後援者、運営者の挨拶があり、2組に分かれて
10時25分に影森駅を出た。

 線路沿いを少し進んで踏切を渡り、線路の南に回って昭和電工の工場に向かう。工場まで
の道路は、もと秩父鉄道から工場への専用線の廃線跡だという。


 昭和電工工場の構内に入ると、正面に石灰岩採掘で形の崩れた武甲山が望まれる。構内の
一隅に、「国産フェロクロム発祥の地」碑があり、昭和6年(1931)に初の国産化に成
功したことなどが記されていた。

 昭和電工構内を抜けて、秩父札所の道しるべ石の立つ横から、林の中を340段の石段を
上がり、岩山の傍らに立つ秩父霊場二十六番札所の岩井堂に行く。


 弘法大師が護摩壇を設けたのがはじめと伝えられ、建物は、京都の清水寺のような舞台造
り。裏手の岩をうがって石仏が並んでいた。

 その岩は、斎所山チャート部層と呼ぶもので、水晶と同じ二酸化ケイ素を成分としている
という。

 岩井堂を後に、「琴平丘陵」と呼ぶ、ところどころに岩の露出した細い尾根道に設けられ
た、林間の琴平ハイキングコースを上り下ろしながら西に進む。


 左手に、採掘した石灰石を運搬するコンベアが見え隠れする。


 岩井堂から700m余り進んだ狭いピークの岩の上に、昭和10年(1935)に開眼さ
れたという護国観音が立っている。

 高さ15m、観音様ながらハスの花の代わりに剣を持っていることから護国観音と呼び、
開眼当時は、高崎、大船とともに関東三観音といわれたとのこと。

 北側の展望が開けていて、秩父盆地の家並み、最低地を流れる荒川や河岸段丘などの構造
や、その成因などについて、詳しく説明していただいた。


 真下に見える二十七番札所大渕寺(だいえんじ)に向かい、林間のジグザグ道を急降下し
て行くと、最上部にある月影堂と呼ぶ観音堂のところに出た。

 もとは七番札所として別の場所にあり、江戸時代の末期にここに移築されたが、大正8年
(1919)に汽車の煤煙で本堂とともに消失、平成8年(1996)に再建されたようだ。

 本堂の前には、延命水と呼ぶ湧水が掛樋(かけひ)から流れ落ち、この水を飲むと、33
か月長生きすると伝えられているという。


 山門横に、埼玉県指定旧跡「影森用水」の説明板がある。安政4年(1857)、当時の
上影森村名主の関田宗太郎氏が、戸数82の村内で飲料水が困っているのを見て、私財を投
じて水路を通して飲料水や農業用水に利用できるようにしたとのこと。そばに、それらしい
石積みの溝が残っていた。


 秩父鉄道の線路の北に出て、長屋門の家の残る宮本町の家並みを南西に向かう。

 再度踏切を渡り、石灰石の積み出し用の専用線、旧武甲線の廃線跡を利用したハイキング
コースを経て車道に入り、秩父市立浦山歴史民俗資料館に12時25分に着き、昼食と観覧
の時間となる。


 到着間近、ぱらぱらと雨が落ちてきたので、屋根下に腰を下ろして弁当を食べた後、館内
を巡る。

 この資料館は、近くの浦山ダム建設に伴う水源地整備事業により、浦山地域の生活文化の
復元と保存・伝承を目的として建設されたもの。入館は無料である。


 展示室には、浦山の獅子舞に使われる獅子頭や、浦山の生活用具、自然や歴史、さらに秩
父全域の地質図や「秩父の地質50選」の写真パネルなどが展示されていた。

 雨もわずかで上がり、13時10分に出発して午後のコースへ。

 すぐ先に、埼玉県内最初の近代水道として、大正13年(1922)に供給を開始したと
いう橋立浄水場があり、相対する秩父鉱業の事務務所前に、創立者、浅野総一郎の小さい銅
像が立っていた。


 そばのY字路際には、影森用水之碑、影森簡易水道碑、影森水道記念碑の三つの石碑が立
っているが、時代が経過して碑の文字が判読しにくいのが残念だ。


 Y字路の右側を橋立川沿いに入ると岩山が迫り、二十八番札所橋立堂がある。橋立堂は、
武甲山の石灰岩体の西の端に位置し、南向きの高さ約40mの大岸壁の下に、食い込むよう
に立っていた。


 朱塗り方形屋根のお堂は江戸中期の作といわれ、本尊は、秩父札所三十四か所中でただ一
つの馬頭観世音座像で、鎌倉時代の優秀な作らしい。


 切り立つ岸壁下部は、えぐり取られたようになっていて、7万年前に河岸段丘の影森面が
形成されたときの、浸食によるものと考えられるという。岸壁からは、縄文初期から古墳時
代にかけての遺跡が発掘されているようだ。

 橋立堂の横に、県内唯一の観光洞である橋立鍾乳洞があり、全長約150mの見学路を巡
れるが、時間の関係で観覧は省略した。

 浄水場の近くまで戻り、秩父鉄道の浦山口駅東の鉄橋をくぐった先に、浦山口不動名水が、
杉木立下の斜面から流出し、かたわらに不動堂が祭られている。


 橋立浄水場などのある影森面の、段丘堆積物中の自由水がその基底から湧出するもの。
 江戸時代の地図にも記され、日照りにも枯れることなく、住民の生活を支え、旅人の渇き
を癒やしてきたという。

 隣接して久那水道組合の湧水池の蛇口もあり、車で来た人が、ポリタンクにたくさん汲ん
でいた。

 浦山口駅の南まで戻り、橋立川が荒川に流入する合流点そばの橋を渡る。渓谷のモミジの
見頃はもう少し先になりそう。


 さらに進むと、次の渓谷の浦山川を渡る橋があり、南側に、高く築かれた浦山ダムの堰堤
(えんてい)が望まれる。


 水資源開発公団が、31年の年月をかけて平成11年(1999)に完成。堤高156m、
堤頂の長さ372mある重力式コンクリートダムで、総貯水量は東京ドーム47杯分に当た
る5,800立方m。東京、埼玉の60万人分の飲料水のほか、県営の5千kwの発電にも利用
されているという。

 橋を渡って右に回り込み、坂を上がると、浦山川左岸段丘面に、二十九番札所の長泉院が
あった。入口に、2本に分かれた見事なシダレザクラが立つている。


 もとは南方約500mの山頂近い岸壁にあったが、寛保3年(1743)に類焼してここ
に移され、現在の本堂は天保4年(1833)に建てられたようだ。


 北側の車道を西へ、この付近はソバの産地で、二つの送電線下を過ぎたあたりのソバ畑に、
黒く実ったソバがたくさん見られる。


 栃久保集落に入り左手山すそを進んで、シダレザクラで知られる清雲寺(せいうんじ)に
入った。


 境内には10数本のシダレザクラがあるが、本堂西側の古木は、応永30年(1423)
の開山当時に植えたと伝えられるもの。

 樹高15m、目通り2.7mあり、県天然記念物である。

 隣接する若御子(わかみこ)神社の境内から、急斜面の遊歩道を5分ほど上がり、県天然
記念物、若御子断層洞をのぞき見る。


 若御子断層は、秩父中・古生層のチャートと呼ぶ硬い岩石で出来ていて、断層洞とは、断
層破砕帯の中の粘土や礫(れき)が、地下水により洗い流されて生まれた空洞で、日野断層
と呼ばれているという。近くには、小規模の断層も見られた。


 神社境内に戻り、二つに分かれたグループが合して、主催者などの閉会の挨拶があり散会
となる。


 たくさん実る柿の木や、はるかに広がるソバ畑などを眺めながら西に進み、15時48分
に秩父鉄道の武州中川駅に着いた。


(天気 曇一時雨、距離 8㎞、地図(1/2.5万) 秩父、歩行地 秩父市、歩数
 13,800)
 


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